最終章 陽の当たる場所
一人の女の子が「ちょうちょだあ」と叫びながら、駆けて来た。そして、りんの前に来ると、立ち止まった。
3、4歳だろうか。首を傾げて、不思議そうな顔をして、りんを見ていた。それから、「泣いてるの?お腹が痛いの?」と言った。
りんはハッとしたように顔を上げて、女の子の方を向いた。そして、微笑んだ。
「ううん。違うの。痛みがなくなったの。いっぱいいっぱい心が痛かったのが飛んでいったの。痛いの痛いの飛んでけーって、全部無くなったの。それが嬉しくて嬉しくて泣いてるの」
「へんなの」
幼女は口を尖らせて言った。
「すみません」
母親が駆けて来て、女の子の手を取って、向こうに連れて行った。
「ママ、変なんだよ。あの人、痛くないから泣いてるんだって」
そう言っているのが聞こえた。
りんは振り向き、二人は顔を見合わせて、笑った。
「ねえ、お願いがあるのだけど、お腹が空いたらから、これからアパートに入って、朝ご飯を作ってくれないかな?」
「もちろんです。では、いつものスーパーに行きましょうか?まだやってますよね?」
「いや、君がいなくなってから自炊をし始めたんだ。だから、食材は一応揃っている」
「へえー、鈴木さん、料理出来るようになったのですね。びっくりです。昔は卵焼きも作れなかったのに。一度私にご馳走してください」
「料理のプロの君に作るのは面映ゆいけど。君の勉強が忙しい時とかには僕が光彦特製カレーを作るよ。……それにもう鈴木さんと呼ばないでよ。光彦と呼んでくれたらいい」
「では、光彦さん。いえ、あなたと呼ばせてください。……では、あなた、家に帰りましょ」
そう言うと、鼻に皺を寄せて笑った。光彦はこの笑顔を見るために自分は七年間も待っていたのだと悟った。
二人はベンチから立ち上がった。
「手を繋いでもいいかな?」
「はい、もちろんです」
澄み切った青空の下、柔らかな陽光の中、穏やかな大気に包まれて、二人は手を繋いでゆっくりと歩を進めた。まるで、バージンロードを歩くようにゆっくりと。
「ともに白髪になるまで。十年、二十年、三十年先もこうして手を繋いで歩ける素敵な夫婦になろう」
「はい、きっとなりましょう。ずっとついて行きます。いつまでもいつまでも」
「バイバイ」
さっきの女の子がりんに向かって手を振っていた。
「治って、良かったね」
りんは繋いでいない右手をまっすぐ上に上げた。
「うん。バイバイ。心配してくれてありがとうね」
大きな声で、弾ける笑顔で、りんは朗らかに何度も何度も手を振り返した。
その笑顔はこの日の太陽のように、光彦には眩しかった。
(了)




