第32章 飛翔の果て
二人は黙った。
いつの間にか家族連れや子供達が何人も公園に来て、遊具や砂場で遊んだり、ボールを蹴ったりしていた。
しばらくして、りんは左斜め前方を指差した。
「さっきから蝶々が何匹も飛んでいるなと思っていたのですが、あんなところに花壇があったのですね。昔はなかったですよね?」
「うん、なかった。三年くらい前だったかな。地元の有志がボランティアで公園の中に作ったみたい」
「あの黄色い花はマリーゴールドですか?」
「そうなの?僕は植物に関しては殆ど知識がないので分からない。でも、植え替えているみたいで一年中何かの花が咲いているんだよ。費用も馬鹿にならないし、世話も大変だと思うけど、大したものだよ。この町にはこういう住民の繋がりや人情味があって、そういうところがこの町の良いところなんだよね。だから、僕もずっと住んでいるのかもしれない」
「立派ですね」
二人は花壇の方を向いた。白色や黄色や青色の蝶々が戯れるように黄色、赤、白、水色、色とりどりの花の周りを飛び交っている。
その時、光彦は長い間ずっと胸の中にあり、りんと再会したら、言おうと決意していたことを思い切って切り出した。
「以前、蝶の海渡りの話をしたことがあったよね?」
「あ、はい。しました」
「絵の話を聞いていたので、CGでも蝶は青空に吸い込まれるイメージだったのだけど、よく考えると、蝶の群れはアーチを描いて上ってゆくだけでなく、大河を渡り終わると、それからは下降して遥か遠くの土地に降り立つんだよね」
「はい。そうなりますね」
彼女は彼が何を言いたいのか分からず、不得要領に頷いた。
「蝶が延々と飛んでゆくのは、飛ぶことが目的ではなく、幸せな定住する場所を求めてのことだと思わないかい?」
「ええ。今まで考えたことなかったけど、言われてみたら確かにそうですね」
「ねえ、りん」
「はい」
「君ももう飛ぶのは止めて、永遠に羽を休めないか?」
「え?どう言う意味ですか?」
「僕のところで羽を休めて、僕と一緒に残りの人生の棲家を探そう」
「それって、もしかしてプロポーズなのですか?」
「うん、僕と結婚してくれ」
「本気で言ってるんですか?私は一生結婚出来ない人だと思っています」
「そんなことはない。君以外に結婚したい相手は僕にはいない」
「本当にこんな私でいいのですか?こんな汚い私なのに」
「君は汚くなんかないよ。立派な人だよ。君の方こそ、こんなお金もない年寄りでよければ、結婚してくれ。……旅はもう終わりにしよう」
りんの目に大粒の涙が溢れ、はらはらと頬に流れ落ちた。
「私、終わってもいいんですか?」
「ああ、もちろん。君はよく頑張ったよ。運命の風に抗って、十五年、いや、もの心ついた時から三十年も晴れの日も雨の日も雪の日も嵐の日もずっとずっと飛び続けてきたのだから、もう終わりにしてもいいよ。苛烈な状況に身を置かなくていい。生暖かく心地よい陽だまりで僕と一緒に暮らそう」
「本当に終わってもいいんですか?バチは当たらないですか?」
「バチは当たるかもしれない。君と出会って、結果的に僕は離婚した。家族も家も財産も失い、それは世間的にいえばバチが当たったということかもしれない。しかし、僕の心はむしろ今の方が自由で元気で生き生きとしている。自分の意志で進むことを選んだ結果、それで罰を受けても、それは受け入れられる罰できっと悔いることはない」
「鈴木さんは私と出会ったことを後悔していないのですか?」
「もちろんだよ。天に感謝こそすれ、後悔なんて全くしていないよ」
「わかりました。鈴木さんが後悔していないのなら、私もバチが当たることをもう恐れません。……もう旅は終わりにします」
「じゃあ、プロポーズを受けてくれるんだね」
「はい。こんな私ですが、よろしくお願いします」
りんは深く頭を下げた。それから前屈みの姿勢のまま両手で顔を覆い、嗚咽を漏らし始めた。
光彦は彼女の背中を優しく撫でた。




