第30章
その夜、光彦は殆ど眠れなかった。
りんは自分の言葉を聞いただろうか?
それに「明日の朝」と言ったけれど、何時とは言わなかった。全くドジな話だ。自分はいつも大事な時に大きな失敗をしてしまう。
何時に来たらいいのか彼女は困っているだろう。
窓の外が薄明るくなり雀が囀り始めた時、彼はベッドから出た。
まだ6時前だった。インスタントコーヒーだけを飲み、出掛けた。
果たしてりんは来るだろうか?
もし来ても何時に来るだろうか?
何時でも待とうと思った。七年も待ったのだから、たとえ一日中待つことになっても、なんでもないことのように思われた。
休日の早朝なので、人ひとりいないだろうと思っていたが、外に出ると、ジョギングをしている人や犬の散歩をしている人もいて、意外な気がした。昔も今も光彦は休みの日の朝は遅く起きてゆっくりすることにしている。それが休みの日も早くから行動を起こす人が何人もいるのは不思議な感じがした。
公園に着き、ベンチに座る。ちょうど心地よい涼しさだった。
りんはきっと来てくれると確信めいたものがあった。 が、8時になっても彼女は現れなかった。
声が聞こえていなかったのではないかと考えた。しかし、夜の静けさの中で怒鳴るように言ったのだから、聞こえていない筈はない。
9時を過ぎた時、彼女が今日休みで時間があるというのは自分の勝手な思い込みであることに気がついた。
もしかして今日は仕事か用事があって来られないのかもしれない。そんな都合さえ確認しなかった自己のまぬけさに頭を抱えた。
10時を回った時には、さらに不安が募ってきた。
もう七年にもなる。
自分の時間は止まったように、生活も何も変わっていない。
が、りんの時間は大きく進んでいるのかもしれない。
もしかしたら結婚して子供もいて、幸せな家庭を築いているのかもしれない。それならば、過去のこと、自分のことなどはすっかり忘れていても当然だし、過去の亡霊のような自分みたいな者が今更突然現れても迷惑なだけだ。だから昨夜、あのように逃げ出したのかもしれない。
光彦の気持ちは次第に沈んでいった。このままいても、無駄ではないかと思い始めた。しかし、少なくとも正午までは待とうと思った。それで来なければ、たぶんもう永遠に来ることはないだろう。
その時、光彦の背後で声がした。
「ずいぶんお待たせしましたか?」