第11章
翌日は酒を飲まずに抱き合ったが、また同じことの繰り返しになった。
光彦は仰向けになり、りんに身を委ねながらぼうっと天井の照明を眺めていたが、しばらくして、すべてを諦め、「ありがとう。もういいよ」と言った。
彼女は動きを止めて、彼の唇に優しくキスをし、彼の頬にそっと手を当てて言った。
「そうね。時間はいっぱいあるのだから、一度休憩して、それからまたしましょう」
りんも光彦の横に並んで仰向けになった。
いまだ信じられず、事実を受け止められない。
「不能」「インポテンツ」「役立たず」そんな罵りの言葉が次々と頭に浮かんできた。
不甲斐なくて敗北感のような惨めな気持ちでいっぱいだった。
しかし、彼女はそんな自分をなじることなく、優しい言葉を掛けてくれる。それが愛おしくて堪らない。
彼は彼女の方を向き、宝物を慈しむように彼女の身体をゆっくりと撫ぜた。
昨夜、臍の左下、右の紋黄蝶のタトゥーと逆の辺りに、火傷の跡のような皮膚の引き立ったような傷跡があるのに気がついていた。
何気なくそこを指でなぞっていると、りんはぽつりと言った。
「それ、タトゥーの跡なんです。タトゥーを消そうと手術したのですが、一回ではきれいにならなくて、そんな跡が残ったのです。お金が貯まったら、また手術するつもりです」
一瞬、口籠もり、それから「ちょうどいい機会なので、よかったら私のことを聞いてくれますか?」
そう言って、自分の身の上を語り始めた。
高知の小さな漁村の家で生まれ育った。父親は漁師をしていたが、彼女が小さい時に女を作って家を出て行った。
もともと貧乏だったが、貧しさは一層ひどくなった。母子手当を貰い、母親が魚の干物の行商をしながら、自分と二人の妹を育ててくれた。
中学を卒業すると、大阪に働きに出た。稼ぎたいので水商売につきたかったが、年齢が満たないために働くことが出来ず、ラブホテルの従業員として働き始めた。
18歳になるとすぐ、キャバクラで勤め出した。しかし、半年でキャバクラを辞めて、ファションヘルスで働くことにした。
「風俗の方が稼げるのです。それにキャバクラの客って、結局は身体目当てじゃないですか。客と同伴やアフターしたり。鈴木さん、キャバクラって行かないですか?同伴やアフターって分かりますか?」
「あまり行かない。若い頃は上司に連れられて時々言ったけど。今はコンプライアンスもあってそんな時代じゃないしね。……同伴って言うのは食事をしたりして、その後一緒にお店に行くことだろ?アフターは仕事が終わってからのデートのことだろ?」
「そう、そういうことをして、女の子を口説こうとするのね。でも、そういう面倒臭いことするなんて、なんかかったるくて、私の性分に合わなくって。それなら始めから風俗で働いた方がいいと思ったのです」
その後、店の同僚に連れて行かれたホストクラブで一人のホストに恋に落ちた。
「彼はすごく優しくって。私、あんなに優しくされたことなかった。それが嬉しくて、彼を好きになったのね。花火大会の花火が見たいね、ということになって、それが見えるアパートを借りて、一緒に住み始めたときは一番幸せだったわ。
それで、彼とお互いの名前のイニシャルをデザインしたタトゥーを入れたの。消した方のタトゥーだけど。
……だけど、しばらくしたら、だんだん彼が暴力を振るうようになってきたの。機嫌が悪いことがあると、すぐに私に当たるようになったのね。私は何も悪いことしていないのに突然暴力を振るわれたりした。それにお金をよくねだっていたけど、それも段々ひどくなってきて、無理矢理お金をむしり取るようになってきた。
結局、私は彼にとって、ただの不満の吐口であり、金づるであっただけだと気がついたの。
それでもずっと我慢していたのだけど、ある日、どうしても我慢しきれなくなって、飛び出して友達のアパートに匿って貰ったの。
だけど、すぐに見つかって、連れて帰られて、ひどい暴力を受けました。
それで、次は神戸まで逃げて、ヘルスの寮に入ったのです。さすがにそんな寮までは手が出せないと思って。
でも、それからも彼に見つかることが怖くて、住む場所を転々と変えるようになったのです。
2年も経った時には、さすがに彼ももう追ってこないだろうと思ったのだけど、それからも住いを変えることは続けました。
前にも言ったことがあるけど、長い間同じところにいたら、人間関係や自分の気持ちや色んなことが澱んできて、リセットしたいと思うようになるのです。
で、ある時、日本を一周しようと思いついたのです。日本中の町の歓楽街の風俗店に勤めてみるのも面白いかな、と思って。あれからもう7、8年になるかな。風俗で日本一周って、なんか面白いでしょ?」
「うん。確かに」
そう答えながらも自分にはそんな生活は到底出来はしない。そんな根無草の生活には不安しかない。病気になったらどうするつもりだろう?将来のことなど考えないのだろうか?
そう思ったが、光彦は別のことを訊いた。
「ホストって髪型や洋服や薄暗い照明で誤魔化しているだけで、イケメンはあまりいないと思うけど。うちの若い社員の方がずっと男前がいる。でも、風俗や水商売をしている女の子はよくホストに惹かれるよね。あれは何でだろう?」
「すごく優しいのよ。会話も面白いし。それに気が利くし、褒めるのも上手いのよ。自分が褒めて欲しいと思っているツボを褒めてくれるのよ」
「そうなんだ」
接客のプロなので、エスコートの仕方や会話などは素人とは違うのだろう。
「お客さんでもいい人はいるでしょ?風俗に来る客って、奥さんや恋人とかいないもてない人が多いのかな?」
ふふっと彼女は曖昧に笑った。
「いい人だなと思う人もいるし、どうしてこんな人が風俗に来るのかと思うようなすごいイケメンもいます。でも、お客さんと恋仲になることはないな。何でだろう。最初から恋愛の対象とは見ていないからかもしれない」
そういうものか、と光彦は思った。自分と彼女は二十歳くらい離れている。しかし、客でないから、彼女にとって恋愛対象になっているのだろうか?
彼女と出会ってから、流れでこうなってしまい、今まで考えたことがなかったけれど、彼女はどういう気持ちで、今こうして自分と暮らしているのだろうか?
改めて考えてみると、不思議としか思えない。が、それを口に出したら今の関係が終わりそうな気がして、怖くて彼は訊けなかった。