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「社会」と「国語」もデジタル教科書にしてほしかったな。

作者: アーヤ

今は小学生じゃないけど。

 2024年に「英語」がデジタル化するらしい。

 それもいいことだと思う。教科書などが重いから、子供の骨格が歪むなどの問題も聞いたことがあるからだ。


 しかし、ランドセルに荷物を詰めたときの「重さ」が問題視されている今、文系の「社会」と「国語」もデジタル化などで軽くしてほしい。


 内容も増え続け、教科書の紙の量も比例して増える。加えて資料集にノートにプリント!

 体育がある日は体操服を持って行って、学期末には道具箱を持って帰らないといけない。


 小学生は持ち物が多い! そして、教科書やノートをロッカーなどに置くことを許されていない。

 その理由を聞いても「ルールだから」としか言ってもらえなかったので、理由は不明です。


 そして、私の経験上と知り合いの話から聞いて「英語」よりも「社会」と「国語」の方が、持ち物としてとても多いのである。英語は教科書とノートくらいだ。しかし、文系の場合は教科書とノートに加えて漢字のドリルやそれを見て書き写すためのノートに資料集と多くなる。


 だから、私が小学生であれば「英語」だけじゃなくて他も変えてほしいと思う。

 英語は“本場の発音”を聞くためにデジタルにしたと思うが、子供の疲労は全く変わっていないだろう。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 中途半端なデジタル化は、教科書業者との繋がりのせいかな? 常識としてなかなか問題視されない慣習が、教科書以上の重しになって見えますねぇ。(イラッ) [一言] 相変わらず大人の都合だけ…
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