第十八話 お姉ちゃんも少しは大人になるために
「光毅、ちょっといい?」
「えっと……うん、何?」
「私の帽子知らない? 確か洗濯に出したんだけど」
「知らない」
旅行から帰ってきた後、菜月は光毅の部屋に入ってきて、自分がいつも付けている帽子がないか訊ねる。
あれから、菜月は光毅のことを『みっくん』ではなく、名前で呼び捨てにしており、段々とそれが定着してきていた。
しかし、光毅はまだ慣れないのか、『光毅』と呼ばれるたびに、何だか複雑な顔をしていた。
「どうしたの、そんな顔をして?」
「えっと……何でもない」
「そう。今の内に夏休みの宿題やっちゃいなさいよね」
「うん」
何か言いたげな顔をしていた光毅をジロっと睨みつけると、光毅も黙ってしまい、そのまま菜月も部屋を後にする。
光毅が少しでも独り立ち出来るようにと、菜月も心を鬼にして、彼を呼び捨てにし、子ども扱いしないと固く決心していたのであった。
「あららー、どうしたの、菜月ちゃん怖い顔をして」
「ゆ、由奈お姉ちゃん……別に何でもないわよ」
「ふーん。まだ、みっくんのこと、光毅なんて呼び捨てにしてるんだ」
部屋を出ると、由奈が意味深な顔をして、菜月を見つめながら、そう言う。
「まだじゃなくて、これからずっとそうするの。由奈お姉ちゃんも静子お姉ちゃんもそうしてって言ってるでしょう」
「いや。みっくんはいつまでもみっくんだもん。みっくんー、お姉ちゃんがアイス買ってあげるから、一緒に出掛けようかー」
「あ、うん……」
由奈が光毅の部屋に入ると、早速光毅を連れ出して、二人で出かける。
その際、光毅は菜月とすれ違ったが、菜月はプイっとそっぽを向いて、そのまま自分の部屋へと入ってしまった。
「みっくん、どれが良い?」
「えっとね……」
近くのコンビニに行き、由奈と一緒にアイスを選んで手に取る。
今日は静子はバイトで出かけており、菜月の分も取ろうとしたが、
「菜月ちゃんの分は良いんじゃない? 最近、みっくんに冷たいし、わざわざ菜月ちゃんの分まで用意する必要ないでしょう」
「で、でも……」
「んもう、可愛い子ね、みっくんは。いいの、いいの。菜月ちゃんはもう子供じゃないんだし、アイスくらいで膨れたりしないわ」
「うん……」
そうは言う物の、光毅は菜月の事が気になってしまい、二人で分けて食べられるよう、モナカのアイスを買う事にする。
きっと菜月も喜んでくれるだろうとその時は思ったが、由奈は彼の頭を撫でて、
「優しいなあー、みっくんは。足りなかったら、お姉ちゃんのアイス分けてあげるからね」
「い、良いよー……」
「遠慮しないの」
何を考えているのか、由奈にはすっかり見透かされてしまい、光毅も顔を真っ赤にしてしまうが、とにかく由奈にアイスを買ってもらい、コンビニを後にする。
「ねえ、みっくん、お姉ちゃんと何処か遊びに行きたい所ある? あるなら、アイスを家に置いて、何処かに行こうか」
「別にないよ。由奈お姉ちゃん、勉強は良いの?」
「ちゃんとやってるから、平気よ。みっくんこそ、宿題は終わった?」
「もうすぐ終わるよ」
由奈は今年は大学受験があるので、あんまりのんびりしていて大丈夫なのかと、光毅も心配になったが、彼女は成績が良く推薦狙いの為、あまり急いでいる様子はなかった。
「ねえ、菜月ちゃんに名前で呼び捨てにされるのまだ慣れない?」
「うん……お姉ちゃんって呼ぶと怒るし、何だか慣れなくて」
「それくらいで怒るなんて、菜月ちゃんもちょっと行き過ぎよねー。みっくんはまだ中学生なんだから、子供なんだし、ねー?」
「はうう……」
と言いながら、由奈はアイスの入った袋を持っている弟に抱き付く。
人通りは少ないとは言え、ここは往来のど真ん中なので、流石に姉に抱き付かれるのは恥ずかしかった。
「菜月ちゃんも寂しいと思っていると思うけど、みっくんの為を思ってるのよ。だから、悪く思わないでくれると嬉しいなーなんて」
「悪く何か思ってないよ。菜月お姉ちゃんにそう呼ばれるの慣れなくて……」
生まれてからずっと、菜月には『みっくん』と呼ばれており、今更『光毅』と呼び捨てにされても、光毅も中々受け入れられなかった。
「大丈夫よー、お姉ちゃんはずっとみっくんって呼んであげるから。そうだ、静子ちゃんもこれからはみっくんって呼ぶって」
「そ、それは……うん」
ずっとというのは、大人になってもそう呼ぶ気でいるのかと一瞬思ったが、光毅も由奈が自分の為を思って言ってくれてると理解し、口を噤む。
しかし、こんな事で悩んでいる自分はやっぱり子供なのだろうと、光毅も段々と恥ずかしくなってきた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。何、アイス買ってきたの?」
「うん。みっくんとねー。菜月ちゃんの分はないわよー。もう子供じゃないんだし、一人で買ってきなさい」
「べ、別にアイスなんか買って欲しくないわよ。みっくん……じゃない。光毅、由奈お姉ちゃんにちゃんとお礼は言った?」
「言ったよ。あの、菜月お姉ちゃん。アイス、僕のを半分……」
「いらない。弟にアイス分けてもらうなんて、おかしいじゃない。食べたければ自分で買ってくるから、光毅は勝手になさい」
「う、うん」
家に帰るや、光毅は菜月にアイスを半分分けようとするが、菜月は意地を張ったのか拒否してしまい、そのまま部屋に引っ込む。
アイスが欲しくなかった訳ではないが、自分や光毅もこのままでは大人になれないと思い、敢えて突き放すような事をし続けていったのであった。
「むうう、これは重症ね」
「何が重症なのー」
「あら、静子ちゃん。もう帰ってきたの?」
「うん。バイト、三時までだったし。あ、アイス買ってきたの、いいなー。みっくん、お姉ちゃんにも分けてくれる?」
「うん」
とバイトから帰ってきた静子が家に入ってきて、袋に詰め込まれていたアイスを見て、自分も欲しくなってしまい、光毅と一緒にリビングへと向かい、一緒に食べる。
あれ以来、静子もみっくんと呼び始め、前以上に光毅を甘やかし始め、彼の手を繋ぎながら、二人で並んで座ったのであった。
「みっくん、あーん♡」
「は、恥ずかしいよお」
「良いじゃない、アイスを食べさせっこするくらい。あ、食べかす付いてるよ。チュッ♡」
「っ!!」
静子が光毅とアイスをあーんして食べさせ、更に頬にキスをすると、たまたまリビングに入ってきた菜月とバッタリ目が合う。
「あら、菜月ちゃんいたんだ」
「な、何をやってるのよ、静子お姉ちゃん」
「んー、一緒にアイス食べてるの。菜月ちゃんも、どう?」
「い、いらない。光毅! いつまでも静子お姉ちゃんとベタベタしないで、宿題でもやりなさい! 良いわね!」
「あ……うん」
菜月にキスをしている所を見せつけた静子にムキになっていた菜月であったが、そんな挑発には乗らないとばかりにそう告げ、部屋に戻る。
だが、菜月も心にモヤモヤしたものが終始残り、落ち着かない日々が続いていったのであった。




