第二話 災厄の森の主・2
「――いたよ」
索敵役としての優れた聴力が魔物の足音を聞き分け、鍛え上げられた視力がその姿を捕らえた。
息を殺し、茂みに身を隠しながら静かに近づく。すると、他の面々もさして苦労することなく目標を発見することができた。
森の中にあって異様なほどに目立つ、白。
いいや、その毛並みの美しさは白銀と評する方が的確かもしれない。
わずかに差し込む日の光を反射して煌めく銀髪。魔物とは思えないほどに白く整った肌。纏う者の知性を感じることのできる精巧な衣装。
美人。
綺麗。
ゆえにこそ、人の身長ほどもある蜘蛛の下半身が異形さを強調していた。
「――っ!?」
獲物であるはずのアラクネの姿を目にして、魔導師の女は絶句した。目は大きく見開かれ唇は細かく震えている。
そんな仲間の様子に気づくことなく大盾、次いで剣士が口を動かした。
「ほぅ、美しいな」
「あぁ。惜しいぜ。あれで下半身が蜘蛛でなければ酒の一杯でも奢っているところだ」
男二人の軽口に魔導師が信じられないとばかりにかぶりを振る。
美しい。
確かにあのアラクネは美しい。
下半身も人間であったならば傾国の美女として名を残していただろう。
だが。問題はそこではない。
なぜ皆は気づかないのか。
あのアラクネでまず注目するべきは白銀の髪ではない。白雪のような肌でもない。
――金色の瞳。
黄金よりもなお眩く。月よりもなお煌やかに。まるで自ら光を発しているかのごとく光り輝く瞳は……神話にいわく。神々にのみ許された聖なる色。
神話を本気で信じるなど愚かしいにもほどがある。魔導師の女とてすべてを盲信しているわけではない。
けれど、金の瞳だけは“本物”だ。
マキナのように金髪の人間は数多いるが、金の瞳を持つ人間は一人もいない。
魔術には様々な変装方法があり、髪の色を変えることも、瞳の色を変えることもできる。術の巧拙はあるにしても、開口一番で不可能と断じることはない。……ただ一つ。金色の瞳を除いては。
この世界を作り上げたという神々は、例外なく金色の瞳を有していたという。
そして、神ならぬ人間では、金の瞳を再現することができない。絶対に。
いわく。金色の瞳は森羅万象を見通す。
いわく。金色の瞳は未来を予知する。
そんな、おとぎ話にもならないような与太話を信じてこれまで数多くの魔導師が神秘へと挑戦してきた。金色の瞳を再現しようとしてきた。魔術的に金色の『魔眼』を作り出そうとした賢者がいたし、詐欺目的で色だけを金にしようとした愚者もいた。
賢者は神罰の雷によって骨すら残らず燃え尽きたというし、愚者は神獣に食い殺されたという。
他にもあらゆる人間が金の瞳を再現しようとして、そのことごとくが失敗してきた。人類の叡智の敗北である。
魔眼の再現こそ魔導の神髄だと語る者もいるが、その意味でいえば金色の魔眼――いいや、神眼こそが魔導の目指すべき頂となるのだろう。
そのような金の瞳を、神瞳を、ランクC程度の魔物が有していることなどありえない。しかも、アラクネとは『神の怒りを買って異形へと姿を変えられた咎人』なのだから。
「――――」
白銀のアラクネが真っ直ぐこちらへと向かってくる。もしかしたら話し声を聞かれたのかもしれない。まだかなりの距離があるのだが、魔物の中には人より遙かに感覚が優れた種もいるので不思議なことではない。
「……気づかれたな」
「落ち着け。茂みに隠れていれば問題はない」
アラクネの主立った武器は粘着力のある糸だ。それで獲物を絡め取り、じっくりと喰らうという。
しかしこの位置ならば糸が飛んできても心配することはない。茂みが盾となって糸を防いでくれるからだ。逆にこちらは魔法で一方的に攻撃できるので、魔物が近づいてきているからといって慌てて飛び出るのは悪手となる。
「マキナ、魔法の準備を」
声を掛けられた魔導師は反応することができなかった。アラクネの有する金の瞳に意識を囚われていたためだ。
「……マキナ? どうした?」
リーダーである剣士に肩を揺さぶられてやっと意識が現実へと戻ってくる。
「あ、あのアラクネ……金の瞳です」
「? それがどうした?」
「あ~、あれでしょ? 金色は神様の瞳だっていうおとぎ話。マキナってば変な迷信を信じているのねぇ」
盗賊が呆れたように肩をすくめた。
神秘を扱う魔導師がおとぎ話を馬鹿にしてどうするのか、と不満に思いつつマキナはやっと落ち着きを取り戻した。
よく考えれば。金の瞳を再現できないのは人間に限った話。人の間でしか信じられていない神の物語だ。人間にいないからといって魔物にもいないと断ずるのは早計というものだろう。たとえばアラクネのように糸を吐ける人間などいないのだから。
深呼吸して、魔法発動の準備をする。手順はすでに打ち合わせ済みだ。アラクネは火に弱いのでまずは炎の壁を生み出してアラクネを取り囲む。そして炎の熱と毒 (酸欠)によってアラクネが弱まるのを待ち、生け捕りにするという作戦だ。魔導師の負担ばかりが大きいが、そのぶん分け前を弾んでもらえば問題はない。
目を閉じて、深呼吸。体内の魔力の巡りを意図的に操作する。
「――炎よ、壁となりて我が敵を防げ(フライム・ワンディア)」
アラクネを取り囲むように炎の壁が立ち上がる。そのままでは森の木々に延焼するので剣士と大盾が手にした剣で近くの枝を振り払っていく。盗賊と弓師は周囲の警戒だ。
炎の壁によってアラクネの姿は見えないが、弱点である火属性の魔法を周囲に展開されて身動きが取れないはずだ。
魔法の解除のタイミングは難しい。早すぎればアラクネに逃げられてしまうし、遅すぎればアラクネが死んでしまうからだ。
そこでマキナは左目の手を添えて、『鑑定眼』を起動させた。マキナの実力では相手の簡単なステータスしか見ることができないが、体力(HP)の減り具合や状態異常くらいは確認することができる。
≪結界展開・闇≫
≪完全耐性・炎≫
「……へ?」
はじめ、マキナには鑑定眼で見えた情報が何なのか分からなかった。
しばらく瞳に魔力を注ぎ続け、それが『スキルの発動』であると理解する。
≪完全耐性・熱≫
≪完全耐性・攻撃魔法≫
それがスキルというのは理解できる。
しかし。アラクネが。複数のスキルを。しかも、完全耐性スキルを使用していることは理解力の範疇を超えていた。普通魔物が持っているのは一つか二つのスキルであるし、種族によってスキルもある程度決まっているものなのに。
少なくともアラクネが耐性系のスキルを持っているなど聞いたこともない。いや、そもそも、≪完全耐性≫などというのは通常の耐性スキルを進化させた先、魔導書の中にしか存在しない夢物語ではないのか?
闇属性の結界だけで炎の壁を防ぐには十分すぎるほどなのに、わざわざ完全耐性スキルを複数任意で起動させたのは……マキナを嘲笑っているのだろうか? 敵対したのは人間程度ではどうしようもない存在なのだと教え、絶望させるために……。
「――――」
アラクネがゆっくりと歩き出す。まるで炎の壁などないかのように。
炎が、熱が、アラクネの身体に纏わり付くが、その身が焼け焦げる様子はない。
当たり前だ。
炎に、熱に、攻撃魔法に。完全なる耐性があるのなら炎の壁など空気も同じ。触れようが歩こうが何らかの影響を与えられるわけがない。
「――あら、あら」
アラクネが笑う。子供のくだらないイタズラを眺めるように。必死に餌を運ぶ蟻を見つめるように。
炎に照らされたその笑みは怖気がするほど美しかった。
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