20 無血で滅びた国と蹂躙された国
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ノルトシュテルンブルクでの3姉妹の鼎談からゲファレネ2名のノインラターネン加入までの間に、テストゥド大陸北部では大きな動きがあった。
バグロヴァヤ帝国が、最後の皇帝の崩御とともにヴェルトヴァイト帝国へ吸収合併されることとなった。
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バグロヴァヤ帝国の皇帝位は先帝の子か兄弟姉妹しか継承できず、継承順位は男子が優先されるなどさまざまな制限があったため、末期には最後の男性の皇帝となるボリスラーフとその妹ヴィクトーリヤしか継承できる者が残っておらず、2人とも結婚していたが子供がいないまま高齢になった。
兄がボリスラーフ9世として即位し、6年後に崩御するとヴィクトーリヤが帝位を継承。
ヴィクトーリヤもすでに肉体的な衰えが顕著に表れており、彼女亡き後のバグロヴァヤ帝国をどうするかについては、早急に決定すべき課題だった。
ノクスは当然、ヘーアの諜報要員"ナハトヴァンドレリネン"を使ってバグロヴァヤ帝室の"末期症状"を把握しており、帝位の継承権がない帝室の傍流にあたる者たちを"保護"すると、自分の意のままに動く"手駒"としていた。
ノクスが保護した者たち以外の帝室傍流はすべて、ナハトヴァンドレリネンがエリスたちの協力も得て断絶させており、慎重に時機をうかがって、ゲネラールのラヴェルナをバグロヴァヤの帝都に派遣。
国の実権を握っている重臣たちと接触したラヴェルナは、"ヴェルトヴァイト帝国とバグロヴァヤ帝国がかつてウリンに対抗するため結んだ約定は、神々によって認められた両国の帝室が続く限りにおいて有効である"という前提を述べ、さらにバグロヴァヤ帝室の傍流がヴェルトヴァイト帝国にいることを伝えた上で、
「遠くない将来、"その時"が来たら、あなた方の選ぶ"道"によっては、この町もスタリーツァのようになるかもしれない…。
そのことは忘れないでいてくださいね…」
彼らの一部が画策していた"共和制への移行"や"帝室に近い有力貴族への禅譲"がなされないよう、ウリン軍に攻め込まれ、最終兵器による自爆で崩壊した旧都の名を挙げ、牽制する言葉を深く刻み付けた。
それから1年も経たぬうちに、ヴィクトーリヤは老衰のため息を引き取り、ここにバグロヴァヤの帝室嫡流は断絶。
翌日にはヘーアが、明らかにバグロヴァヤ側へ圧力をかける目的で、国境に部隊を集め始めた。
重臣たちはヴィクトーリヤの崩御が公然の秘密になったところで、ようやくヴェルトヴァイト帝国側と交渉を行い、ヴェルトヴァイト帝国への編入を受け入れる条件として、"旧帝国領"について、帝室の傍流から首長を選ぶこと、一部地域をディアボロスが立ち入れない"人間自治区"にすることを要求。
ヴェルトヴァイト帝国はそれを認め、バグロヴァヤ帝国はすでにヴェルトヴァイト帝国の"ノルトシュヴァルツ準州"になっていた地域と合わせて"ノルトシュヴァルツ・バグロヴァヤ州"となった。
初代の"州知事"には"旧バグロヴァヤ帝室の傍流"から選ばれたナジェージダが就任。
"人間自治区"から外れた場所では小規模な武装蜂起が数件発生したものの、ヘーアによってすぐに鎮圧され、ヴェルトヴァイト帝国によるバグロヴァヤ合併は、いくつもの段階に分けられた上で比較的順調に進められた。
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ヴィクトーリヤ崩御の翌年には、チュンヤン王国の北でしぶとく残っていたウリンが滅ぼされた。
かつての"上層部"最後の生き残りがリーダーとなってわずかな土地を北方の勢力"ニザヴェリル"から守ってきたが、そのリーダーが亡くなると、将来を悲観して脱走する者が相次ぎ、防衛戦力不足に陥ったところでニザヴェリル軍が襲来。
周辺国からも、天からも助けは来ず、かつてテストゥド大陸を荒らしまわったウリンはあっけなく地上から完全に姿を消した。
チュンヤン王国はウリンからの脱走者、避難民を無条件に近い形で受け入れたが、ニザヴェリルがウリンを滅ぼすだけにとどまらず、チュンヤン王国にも侵攻する勢いであることから、急いで国境の守りを固めるとともに、エリスが率いるデー・クラフトに救援を要請するためラヴェンデルシュタットへ使者を派遣した。
チュンヤン王国軍の主力は元ウリンの女性戦闘員たちで、当初はほとんどが人間のままだったが、今は全員がザフィッシュマテリエにより、人間からヴェルティアの下級眷属"ルベド"へと変貌している。
ルベドは主が指示さえすれば、男性へ無差別に危害を加えることがなくなるので、男性の部隊と共同で動くこともできる。
個人の能力では間違いなくニザヴェリル軍を上回っているが、懸念があるとすれば、頭数の差で劣る可能性と、本格的な実戦が久しぶりであること。
そのため、チュンヤンの女王シュエは最悪の事態に備えてエリスにも頼ることにした。
ラヴェンデルシュタットからヒンメルスパラストのエリスまでシュエからの救援要請が伝わると、エリスは三賢女、ノインラターネンと数人の指揮官を召集。
「アンゼルマ、シュヴァルツェ・フェーダンの半分を王都の北に展開させて、後はあなたに任せるわ」
アンゼルマに救援部隊の指揮を命じ、1つだけ具体的な指示をしたものの、ほとんどをアンゼルマの裁量に委ねた。
ただし、それはあくまで"現場"での最終的な判断についてであり、大まかな戦略等は事前にドライヴァイゼンと話し合う。
「ミヤとマナは前線のルベドたちと合流して、彼女たちを支援しつつ、機会があれば"兵器"の"素材"を入手してきて」
「はい、エリス様…」
チュンヤンを援護するだけでなく、"素材調達"という自分たちの利益を追求することも忘れなかった。
エリスは翌日、救援部隊より先んじてチュンヤンの王都・シュアンチンへ向かった。
同行する専属侍女はメイとクロエ、ほかにノインラターネンからレナーテとベルティルデ。
もちろん、メイの侍女であるホンメイもエリスに付き従う。
「エリス様、お越しいただきありがとうございます…」
私室でエリスたちを迎えた女王シュエの姿は、エリスと初めて会った時からほとんど変わっていない。
大地の女神ヴェルティアの"巫女"というべき立場のシュエは、ヴェルティアから授けられた特殊能力で、寿命の尽きる時まで若さを保つことができる存在になった。
もっと成長した姿でもよかったのだが、シュエはエリスが好む小柄な身体を選択。
侍女が退室すると、引き締まっていたシュエの表情が緩み、
「エリスちゃん…もふもふ…」
エリスに抱きつくと、ふわふわした黒髪の触り心地に耽溺するだけの存在と化した。
「エリスちゃん、救援要請に応えてくれてありがとう…」
「かわいいあなたからのお願いだもの…断る理由はないわ」
エリスの黒髪を堪能した後、エリスからもらった合成魔獣のぬいぐるみを抱えながら、シュエは笑顔でエリスに感謝の意を伝える。
初めてエリスの髪の虜になって以来、シュエは侍女がそばにいない時だけ、エリスと親しげな口調で話すようになった。
その状態のシュエは欲望に忠実な言動をする一方、エリスからの問いかけはすべて正直に答え、事実上の命令ともいえる依頼にも素直に従う。
エリスに都合よく利用されているだけにも見えるが、現状ではそうしないと王国が維持できないことを悟っているため、"都合のいい女"でありつづけていた。
「ニザヴェリル対策はこれでいいとして、後は女王の後継者問題ね」
「うん…」
エリスがシュアンチンを訪れた理由は、ニザヴェリルの件ではなくシュエの後継をどうするか話し合うためであった。
チュンヤン王国が復活した時点で、王家の者はすでにシュエとホンメイしか残っていなかった。
ホンメイはディアボロスになり、シュエも特殊能力の"副作用"で子を生すことはない。
"ジン朝"はシュエの代で断絶することが確定している。
だが、チュンヤン王国には復活にあたって王位継承に関する規定を何も決めていなかったため、これから決めていくことになる。
「まず言っておくけど、バグロヴァヤに対してやったように合併したり、帝国から女王候補を送り込んだりはしないわ。
チュンヤン王国がヴェルティア様の意に背くことをしない限りは、帝国がチュンヤン王国を名実ともに乗っ取ろうとしても、ヴェルティア様の怒りを買うだけで必ず失敗するから」
チュンヤン王国の民はウリンによって王都から追放され、主要都市のヴェルティア神殿が破壊されても、隠れ住んでいた地でヴェルティアへの信仰を捨てなかった。
そのような者たちを愛おしく思っているヴェルティアのために、名目だけでもチュンヤン王国はなるべく現状に近い形で継承させていく必要がある。
当然結論を簡単に得られるわけもなく、この件はニザヴェリルを退けてから日を改めて協議することとなった。
「エクレアちゃん、シュエの後継の件だけど、ヴェルティア様の意見を聞く手段はないかな?」
ヒンメルスパラストに戻ってから、エリスはエクレアにこんなことを尋ねた。
「レア様経由で確認してみるですの」
「お願いね…」
エリスが自分と色違いのエクレアを抱き寄せ、神の世での"調査"を託すと、数日後にエクレアは笑顔とともにエリスの欲しかった情報を持ち帰ってきた。




