2 陥落と籠絡
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バグロヴァヤ帝国の都スタリーツァにとって東側最後の砦がウリン軍の手に落ちた。
すでに南側も最後の砦はウリン軍によって陥落しており、ウリン軍が侵攻してくる前にスタリーツァを無血開城するか、それとも徹底抗戦を選ぶか、当事者である両国の民だけでなく、ヴェルトヴァイト帝国も注目していた。
5日後、ウリン軍が城内からの攻撃を一切受けずにスタリーツァの南門と東門に到達。
ウリン軍の2つの部隊はいずれも男女混成だが、指揮官はとある思惑で男だけを先行させた。
施錠もされていなかった門をほぼ同時に開け、ウリン軍の男たちがスタリーツァ城内になだれ込む。
女たちがそれに続こうとした時、バグロヴァヤの伏兵によって2つの門は固く閉じられた。
バグロヴァヤ軍はスタリーツァの無血開城を拒否し、スタリーツァの住民も命をかけて国への忠誠を示した。
個々の能力では劣っていても、地の利を活かしてゲリラ戦を展開したスタリーツァの住民は、これまでと悟ると、自爆によって1人でも多く、ウリン軍の男性戦闘員を道連れにした。
皇宮の留守番をしていたバグロヴァヤ軍の近衛部隊は、軍属でないスタリーツァの住民が最後まで国への忠誠を見せたことに奮い立ち、皇宮へ侵入したウリン軍に激しく抵抗。
近衛部隊の隊長が、皇帝から許可されていた権限を行使し、この世で最後の仕事として、皇宮に残されていた最終兵器"カニェッツ・スヴィエータ"を発動すると、スタリーツァのすべての建造物は城壁を含めて崩壊。
テストゥド大陸で最も美しい都市の1つに数えられていたスタリーツァは、城内にいたすべての人の命とともにこの世から完全に失われた。
城外で待機していたウリン軍の女性戦闘員は、城壁の崩壊で数人が負傷したものの、いずれも治癒魔法で回復できるレベルであり、命を落とした者は皆無だった。
だが、廃墟と化したスタリーツァの様子を見て精神を病む者が少なからずおり、別の部隊が"交代要員"として到着するまで、ウリン軍の進軍は完全に止まった。
新たに前線に投入されたウリン軍の部隊は"無機物を修復できる加護"を持った隊員数名をスタリーツァの廃墟へ派遣し、一帯を統治する拠点として利用できるスタリーツァの"復元"を試みる。
道を塞ぐ瓦礫の除去は成功したが、城壁や家屋などを元の姿に戻そうとすると、加護が働かず、うまくいなかった。
数日かけて皇宮跡までの道が開通すると、皇宮の正門があった場所に大きな石碑が鎮座しており、そこにはバグロヴァヤ語による文章がびっしりと記されていた。
バグロヴァヤ語が解読できる者に翻訳させたところ、
"バグロヴァヤ皇室と結んだ、この地を神に祝福された都とする契約が維持される条件は失われた。
今後この地に人間が住むことはできない。
これを無理に覆そうとする者は神の名で罰を与える。"
という趣旨の文章だったらしい。
勢いのあるウリンといえど、神に逆らうつもりはないようで、スタリーツァの利用は諦め、次の作戦が固まり次第進軍を再開することにした。
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アヴァロニア大陸を手中に収め、次はテストゥド大陸の征服を目指すヴェルトヴァイト帝国。
3軍の1つ、デー・クラフトを率いる第3皇女のエリスは、ヒンメルスパラストにルーシアを招いていた。
「ルーちゃん、ヴェクトラ様は天使がディアボロスのもとにいることを認めたという解釈でいいよね?」
「はい…私がここでエリスと一緒にいることをヴェクトラ様が認めていなければ、私の存在は消されているはずですから」
「うふふ…バグロヴァヤやウリンにかわいい天使がいたら、どんな手段を使ってでも、絶対に殺さず私のものにするわ…。
その時に、もし捕まえた天使ちゃんが私に従わない場合、ルーちゃんにも手伝ってほしいな…」
「はい…大好きなかわいいエリスのお願いなら…私がどうしてもできないことでなければ…いいですよ…」
エリスに抱きついて背中のふわふわロングヘアを優しく撫でていたルーシアは、エリスの"お願い"を承諾すると、今度は自分の頬をエリスの頬とくっつけて、ぷにぷにした感触に酔いしれている。
"万有"の女神ヴェクトラ配下の天使ルーシアは、恋人であるマルティナとともに訪れたセントメアリでエリスとエクレアによって籠絡され、マルティナがそばにいない時間のほとんどをエリスと過ごすか、エリスから与えられた、エリスそっくりの小さな人形を愛でている。
"ヴェクトラへの忠誠"と"マルティナへの愛情"は揺るがず、それらを無理やりルーシアの頭の中から消そうとすると、彼女の人格が崩壊してしまうため、エリスは手を付けずにいるが、今のルーシアは"よほどのことがない限り干渉しない主"と"すでにエリスが支配している恋人"を除けば、エリスのことを最優先に考えて動くようになっている。
「ルーちゃん…ちゅーしてもいい?」
「いいですよ…ちゅーならいくらでもどうぞ…」
すでにファーストキスはマルティナと済ませていることもあり、唇を重ねるだけのキスならエリスにも許していた。
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バグロヴァヤの帝都スタリーツァが"崩壊"したという知らせを伝えるため、親衛部隊"シュヴェンツェ"のメンバーであるマルティナがエリスの部屋に入室した時も、ルーシアはエリスとイチャイチャしていたが、さすがに堅い表情のマルティナを見てイチャイチャを中止した。
マルティナからの報告を受けると、少し間を置いてからエリスが口を開く。
「非戦闘員も含めて、敵を道連れにするとは…。
人間の勢力同士が争って潰しあう情勢は私たちにとって好都合だけど、私たちが滅ぼす対象は、人間至上主義を掲げる人間どもの勢力であり、全人間ではない。
セントメアリの住民やマルティナのような、私たちの役に立ってくれる人間は好きよ。
起きてしまったことは仕方がないけれど、2度目以降が起きることのないよう、ノクスお姉ちゃんにはバグロヴァヤ内部での"ナハトヴァンドレリネン"による活動の修正をお願いしておくわ。
それはそれとして…マルティナ、お疲れ様。
特段の用事がなければ、今日はもう退勤してルーちゃんをかわいがってあげなさい」
「はい…ありがとうございます」
「エリス…ティナへの気遣い、ありがとうございます」
マルティナとルーシアはエリスの気遣いに感謝し、手を恋人つなぎにしながらヒンメルスパラストから退出した。
「エリ…」
「ルーちゃんは気づいているけど、"あれ"はウリン軍の女性に負傷者が出たこと以外、私の期待通りの結果よ。
あの時スタリーツァに残っていたバグロヴァヤ側の人間は軍人も民間人も全員男だったらしいから、両国の犠牲者も当然男だけ。
しかも、ウリン軍は先陣でかなりの戦歴を重ねてきた男どもが全滅したそうだから、主力の大量離脱がウリン軍による今後のバグロヴァヤ攻めにどう影響するか、見ものね…」
「うふふ…やはり、エリの思惑通りでしたか…。
わたくしもエリのために、人間至上主義の男どもがもっと減るような策を考えないといけないです…」
「ミーネの策に匹敵するような素晴らしいものを期待しているわ…」
エリスは愛しいエルステを抱き寄せると、唇を奪う。
エリスとキスを交わしたメイの頭の中に、今後やるべきこととして"男どもを減らす策の考案"は残っていなかった。