3 エルステと元人間
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メイをお持ち帰りした次の日、エリスが目を覚ますと、横ではメイがまだ眠っていた。
昨日、完全なる"ディアボロス"となるための魔法をエリスからかけられたメイの体は、一晩かけて、残っていた"人間の要素"がすべて"ディアボロスのもの"に変異した。
専属侍女であれば主よりも早く目覚めているべきだが、メイは魔法の"副作用"で早起きできる状態ではなかった。
エリスもそれを知っているため、今日だけは咎めるつもりはなかった。
むしろ、明日以降メイが自分より早起きしたらなかなか見られなくなる、メイのかわいい寝顔を堪能していた。
エリスは最悪、目を覚まさないメイを置いて、別のエリス担当の侍女を伴って朝食の場へ向かうことを想定していたが、幸いメイの"寝坊"は許容範囲内で済んだ。
瞼を開き、緋色の瞳がエリスの顔に焦点を合わせると、
「エリス様、おはようございます…」
メイは寝起きでまだ少しぼーっとしているものの、微笑みながら主に朝の挨拶をした。
「おはよう、メイ…気分はどう?」
「まだ、ディアボロスとしての体に慣れない部分もありますが…気分はいいです…。
大好きなエリス様の魔法で…エリス様と同じディアボロスになれて…ディアボロスとしての初めての朝を迎えたので…」
「じゃあ、さっさと着替えて、いい気分のまま朝食をとりに行くわよ」
「はい…」
「そうそう…本来、"ディアボリー"で人間をディアボロスにする際は、自分に従順な性格になるように、頭の中も徹底的に弄るそうだけど、私はメイをそんな風にしたくなかったから、人格に関わる部分はそのままにしながら、ちゃんと人間には戻らないように調整したのよ…」
「そこまでしていただけて…うれしいです…ますますエリス様が大好きになりました…」
メイは陶然とした面持ちで熱を帯びた視線をエリスに向けた。
2人はナイトウェアを脱ぎ、エリスは室内用のドレス、メイは侍女服を着る。
「侍女服姿のメイ…とてもかわいいわよ…」
「えへへ…ありがとうございます…」
笑顔の2人は手をつなぎながらダイニングへ向かった。
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朝食を終え、メイが部屋に戻ってくると、2人で女帝リリスの執務室へ向かう。
エリスが三女として生まれてから、リリスはエリスを世界征服のための"第3の矢"として育てることに注力するため、女帝としての職務の大半について権限を長女のノクスに代行させている。
リリスが権限を残している職務は、いずれも接する人物が自分の娘か側近に限られるもので、エリスが突然執務室を訪れても支障がないように配慮している。
それでも、エリスは中の様子を魔法で確認してから執務室の扉をノックし、入室許可を得てからメイと一緒に扉を開けた。
すでに顔は合わせているが、改めてメイはエリスの専属侍女になったこと、エリスの魔法によってディアボロスになったことをリリスに報告した。
「私も、メイのようなかわいくて利発な娘を同胞に迎え入れることができて、うれしいわ。
エリスのこと、よろしく頼むわね」
「はい…」
「メイ…あなたが正式に私の専属侍女となるには、あと1つやることがあるの。
母様の前で、私と抱き合ってキスをするのよ」
「リリス様の前で…エリス様とキス…。
もちろん嫌ではないですが…少し恥ずかしいです…」
「そんな顔されたらもう我慢できないわ…するわよ…」
「はい…」
エリスがやや強めにメイを抱きしめ、勢いでキスする形になったが、メイもエリスを抱き返した。
「これでメイは正式にエリスの専属侍女"1人目"になったわ」
「エルステ…ですか?」
「専属侍女は最大4人までで、そのうちの1番がエルステよ。
エルステは他の3人と違って、いろいろな特権があるの。
だから、メイは今後エリスの専属侍女になる3人と比べて特別な存在になったのよ」
「えへへ…うれしいです…」
メイはリリスが言った、エリスの"エルステ"になったという意味をまだ理解しきれていないようだったが、いい意味であることは間違いなさそうなので、とりあえず喜んで笑顔を見せた。
「ねえ、メイ…私もかわいいメイをぎゅってしたいのだけれど、いいかしら?」
「はい、リリス様…」
抱きついたリリスも抱きつかれたメイも、身体が離れるまでずっと表情を緩めていた。
特にメイは、抱きつかれた直後にびくっとなって気絶し、それに気づいたリリスが頃合いを見て覚醒魔法をかけた。
「メイ、今のも"エルステ"の特権の1つよ。
母様に触れていい者は、母様の専属侍女4名と私たち娘3人、それと3人のエルステだけ」
「リリス様にぎゅってされただけで…言葉に表せないくらい…すごかったです…。
特権のありがたみが少しわかった気がします…」
「ところでエリス…2人目はもう決めているの?」
「はい、クロエにするつもりです…。」
私が生まれてからずっとそばにいてくれて、私の"記憶"が確かならば、私よりも私のことをよく知っているもの…」
「そうね…あの子は自己主張が控えめで礼儀も正しいし、戦闘能力もかなりのものよ。
それに、"生まれながらのディアボロス"だから…」
「メイ…母様やお姉ちゃんたち、それに私はメイが元人間でもまったく気にしないけど、残念ながらディアボロスの中には、"生まれながらのディアボロス"としか接しないという者もいるのよ…。
もちろんそういう意味だけでクロエを選んだわけではないけど、エルステがやるべきことでも、相手によってはクロエに代行させることもあるから…それだけは憶えていて…」
「はい…"その類のこと"は、人間側でもありましたから…。
さんざんディアボロスの"非道"を謗っておきながら、裏では同じことをしているのです…」
「そんな人間どもは、私たちディアボロスが…いつか滅ぼすから…」
「はい…わたくしも、なりたてのディアボロスですけど、微力ながらお役に立てるよう頑張ります…」
「話が逸れてしまったけど、クロエはいつ、ツヴァイテにするの?」
「10日後にしようと思っています…」
「わかったわ、クロエがツヴァイテになった後の準備は進めておくから、それまで…2人きりでいられる間は、メイをたくさんかわいがってあげなさい」
「はい、母様…」
リリスの執務室を辞した2人は、次にノクスの部屋へ向かう。
扉の前にはノクスの専属侍女"3人目"のフォルトゥナと"4人目"のミネルヴァがいて、
「あら、エリス様…ノクス様にご用でしょうか」
エリスよりも先にフォルトゥナから声をかけてきた。
「ええ、ノクスお姉ちゃんと…ユノにも用があるのだけど…」
「少々お待ちください」
フォルトゥナはそう言うと中に入っていった。
フォルトゥナが戻ってくるまで待っている間に、メイがミネルヴァに話しかける。
「あの…あなたも元人間ですか?」
「そうですが、なぜそれを?」
「リリス様に、そういうことがわかる力をいただいたからでしょうか…それで、わたくしも元人間…」
「もしかして、あなたは元人間の身でエリス様のエルステになられたのですか?」
「は、はい…」
「ついに…ヴェルトヴァイト帝国の歴史上初めて、元人間がエルステになったのですね…。
おめでとうございます…わたしも同じ元人間として、とてもうれしいです…」
ミネルヴァは思わずメイに抱きついた。
やや押しの強いミネルヴァだが、元人間同士というだけでなくメイとは気が合ったようで、フォルトゥナが戻ってきた時にはすっかり仲良くなっていた。
そのことを知ったフォルトゥナはミネルヴァに案内役を譲り、ミネルヴァの先導で2人は部屋の中に入った。
エルステのユノ、ツヴァイテのスアデラとお喋りしながら寛いでいたノクスだが、エリスが姿を見せると、話を無理やり打ち切ってかわいい妹をぎゅっと抱きしめた。
「エリス…用はメイのことかしら?」
「はい…メイが正式に、私のエルステになったので…」
「改めまして…エリス様のエルステになりましたメイと申します…」
「かわいいエリスには、あなたのようなかわいらしいエルステが相応しいわ…。
ユノもエルステになりたての時は、これくらい小さくてかわいかったわよね?」
「その頃はノクス様も同じくらい小さくて…かわいかったですよ…」
どうやらノクスとユノも、単なる主従関係以上の深い仲であるらしい。
「それより、初めてメイちゃんを見た時には気づかなかったけど、メイちゃんは元人間なのね…。
ああ、ミネちゃんの話し声をノクス様が"聞いていて"、それをワタシにも教えていただいたの…。
それに、ワタシも…というよりリリス様、ノクス様、イルミナ様の専属侍女は全員、そういう偏見は持ってないから…。
ワタシは身分や出自にかかわらず、かわいい娘とはできるだけ仲良くしたいから、エルステ同士よろしくね」
「はい…こちらこそ、エルステについていろいろと教えていただきたいので…よろしくお願いします…」
初対面ではないが、ユノとメイが改めて挨拶すると、その後はスアデラとミネルヴァも加わって、昼食の時間になるまでお喋りは続いた。
エリスがそのままノクスと一緒にダイニングに向かうと、途中からいつの間にかクロエがついてきていたが、あえてエリスは何も言わなかった。
ダイニングに着くと、先に到着していたイルミナが、
「エリスちゃん…今までずっとお姉様と一緒にいたの?」
と少し怒ったふりのような口調で話しかけてきた。
「はい…昼食前にイルミナお姉ちゃんのところにも行こうと思ったのですが、話が弾んでしまって…」
「まあ、エリスちゃんはお姉様のことも大好きだから仕方ないわね…。
その代わり、昼食が終わったらそのままわたしと一緒にアビュススに来てもらうわよ」
「はい…今度はイルミナお姉ちゃんと一緒…うれしい…」
我慢できなくなったイルミナは、料理が運ばれてくるまでずっとエリスを抱きしめていた。
昼食後は先ほどの言葉通り、イルミナとエリスが手をつなぎながらアビュススへ向かう。
前にはメイとイルミナのエルステであるフェブラ、後ろにはクロエとイルミナのツヴァイテであるエイプリが侍っていた。
地下通路を通ってアビュススに入り、イルミナの部屋の前に着くと、クロエの姿はすでになかった。
5人がイルミナの部屋に入り、椅子に腰かけると、
「改めまして…エリス様のエルステになりました…メイと申します…」
メイはノクスにしたものと同じ挨拶をイルミナにもした。
「こちらこそ改めて…エリスちゃんのことよろしくね、かわいいエルステちゃん…。
それにしても、やっとフェーりんにもかわいい後輩ちゃんができたわね…」
「イルミナ様…その呼び方は…」
「だって、ユノっちとは"フェーりん""ユノっち"って呼び合ってるんでしょ?
エルステ同士仲良くするなら、メイぴょんに聞かれたって問題ないわよね?」
「ハイ…ソウデスネ…」
フェブラが棒読みのような言葉で諦めた一方、
「"メイぴょん"って…わたくしのことですか?」
何の前触れもなく、聞いたこともない愛称で呼ばれたメイは戸惑った。
「そうよ…だって、白くてきれいな髪と緋色のお目目が兎っぽくてかわいいから…フェーりん」
「はい…」
イルミナの意図を察したフェブラがメイに魔法をかけると、メイの頭頂部に一対の、兎のような白くて長い耳が生えた。
「兎の耳を生やしたメイ…かわいすぎる…」
欲望を抑えきれなくなったエリスがメイにぎゅっと抱きつく。
後ろからはイルミナも抱きつく。
相次ぐ不測の事態にメイは混乱し、ついには気絶してしまった。
フェブラの魔法が解除されたことにより兎耳が消えたメイはソファに寝かされた。
「エリスちゃん、ごめんなさい…やりすぎてしまったわね…」
「メイは私がパンゲーアに連れてくるまで、長い間他人と接することができなかったので、私以外の者が急に距離を縮めすぎるとだめみたいです…。
イルミナお姉ちゃんがメイをすごくかわいがってくれることはうれしいですけど、少し加減してあげてください…」
「メイぴょんはエリスちゃんのエルステだから、そのようにするわ」
メイが目を覚ますと、真っ先にフェブラが謝罪した。
「メイ…私の魔法のせいであなたを気絶させてしまって…ごめんなさい…」
「許しますけど、その代わり…ユノさんにもお願いしたのですけど、エルステについていろいろと教えてください…」
「わかったわ…」
もともとフェブラにもエルステについて教えてもらうつもりで、他に求める代償を考えていなかったメイは、実質的に"ただ"でフェブラを許した。
メイはイルミナからの謝罪も受け容れ、"メイぴょん"という愛称も許可した。
アビュススからの帰り道、エリスはメイに提案をした。
「メイ…クロエをツヴァイテにするまでの間だけど、朝食と昼食の間は私の部屋以外のところで2人きりで過ごして、昼食と夕食の間はお姉ちゃんのところに行って、メイがユノやフェブラにエルステについて教えてもらう時間にして、夕食後は今まで通り、というのはどうかな?」
「はい…ノクス様、イルミナ様、ユノさん、フェブラさんの都合が悪くなければ、とても良い案だと思います…」
「じゃあ、早速夕食の時にお姉ちゃんたちに都合を聞いてみるわ」
夕食の際にエリスが話を持ち掛けると、姉2人とエルステ2人は二つ返事で承諾した。
【補足説明:専属侍女】
女帝及びその娘はそれぞれ、"フィーア・テュヒティヒステン"とも言われる最大4名の専属侍女を擁しています。
エルステは専属侍女の中でも特別な存在で、いろいろな特権があります。
ツヴァイテはエルステの補佐・代理・代行を務め、万が一エルステが亡くなった場合はエルステに昇格します。
ツヴァイテがエルステの代理・代行をしている間も、あくまでツヴァイテなので、エルステのみに認められる特権は行使できません。
なお、専属侍女たちは自分よりも主人を優先するので、ツヴァイテがエルステの地位欲しさにエルステを害するなどの、専属侍女同士での諍いはめったに起こりません(そのようなことがあれば主人が悲しむため)。
ドリッテとフィアーテは、エルステまたはツヴァイテに欠員が出た場合ツヴァイテに昇格できるかできないか以外、特に違いはありません。
また、正式には"専属侍女"(フィーア・テュヒティヒステン)ではないが、実質的に女帝または3人娘の専属となっている侍女も存在します。
<2022/ 2/11修正>後書きの専属侍女の補足説明で誤字がありましたので修正しました