25 初陣
25
アヴァロン王国の都セントメアリ近郊にある小高い山"ヴァイヒェ"から5人が空へ飛び立った。
中心には専用武装"ジズ・ヌル"をまとったエリス。
エリスの前にはドリッテのアンネ、右にはエルステのメイ、左にはフィアーテのファニー、そして後ろにはツヴァイテのクロエが、万が一に備えて主を護るような"陣"を形成している。
「エリ、今です」
メイは進行方向右側に見えるファニーの"ラボ"が"自分より後ろ"になったところでエリスに声をかけ、
「クービッシャー・ラウム…ベグレンツト・シュティルシュタント」
それに応えたエリスが、すでに城壁を含む王都全域を範囲と定めて準備していた2つの魔法のキーワードを紡いだ。
1つは時空魔象"クービッシャー・ラウム"。
もう1つは時間制限付きの時空魔象"活動停止魔法"。
エリスの魔法が問題なく発動したことを確認したアンネは、それを伝えるため"ラボ"に向かう。
残ったエリスは、ファニーに"活動停止魔法"を無効化させる魔力を注ぎ込み、メイと右手を、クロエと左手をつないで自分と2人にも"活動停止魔法"の無効化を付与してから、専属侍女3人を従えて、何の抵抗もなく王都セントメアリの上空に侵入した。
ファニーが王都中に"泡の玉"を仕掛けている間、エリスとメイとクロエは手をつないだまま、ブラーゼを壊さないよう、少し高度を上げた位置で待機していた。
「エリ…」
「お嬢様…」
「メイ…クロエ…」
メイとクロエは敬慕する主の名を、エリスは大好きな専属侍女の名を紡ぐだけでそれ以上の言葉を続けなかった。
なぜだかわからないが、今、声に出してしまうと、何か良くないことが起こるきっかけになってしまうと思ったから。
"十分な量"のブラーゼを仕掛け終わったファニーがエリスのもとに戻ってくると、メイとクロエはエリスとつないでいた手を離し、エリスは無事帰ってきたファニーの身体をぎゅっと抱きしめる。
「エリス様…」
「ファニー…」
「お嬢様、そろそろ…」
「ええ、それでは…あちらに行って、ファニーの"劇薬入り"ブラーゼによって始まる、人間どもの愉快な"惨劇"が開演する時を待ちましょうか…」
4人が王都の南東の角でしばらく待つと、"ベグレンツト・シュティルシュタント"の効果が切れ、範囲内にあった、エリスたち以外のすべての存在が活動を再開する。
同時に、ファニーによって仕掛けられた大量のブラーゼが王都中に降り注ぐ。
南東側の城壁上にいた王国の男性兵士はすぐに上空のエリスたちを見つけたが、全員がエリスたちへ何もできず斃れた。
彼らは横や後ろから、味方であるはずの王国の女性兵士に斬られたり刺し貫かれたりして殺された。
これが、セントメアリにおける"惨劇"の始まりだった。
帝国軍の主力…というより王国へ侵攻している帝国軍のほぼ全軍と言ってもいい陸上軍"ヘーア"は王都に迫っておらず、王都が急襲される可能性は限りなく低かったということはあったが、それでも王国軍は以前、今回と同じ東の方向を飛んでいた"吸血鬼"2体を魔法で迎撃した実績はあった。
今回はそれよりも近かったにもかかわらず、エリスたちによる襲撃に反応できなかった最大の理由は"気の緩み"で、それ故にセントメアリは"惨劇"を防ぐことができなかった。
ファニーが仕掛けたブラーゼに含まれた"劇薬"の1つザフィッシュマテリエは、何の対策もせずに一定量以上体内に入ってしまうと、男は不要であるとの思考に支配され、男に殺したくなるほどの敵意を抱く。
婚約者や夫、祖父、父、兄、弟、息子、孫であっても躊躇いなく手にかける。
一方で女に対しては敵意を抱かなくなり、忌み嫌っていた相手や敵性生物のメスにも親しく接するようになる。
好天に恵まれたこの日、王都のほとんどの施設では空気の入れ替えのため窓を開けていた。
そこからザフィッシュマテリエが入り込み、屋外だけでなく屋内でも、王宮の中でも女たちが男たちに襲いかかった。
もちろん男たちも一方的にやられっぱなしではなく、女性を"排除"して混乱を収拾させた場所もわずかながらある。
「エリスねーさま…"ラボ"に待機している親衛隊はいつでも出撃できます…」
「ファニー、"ラボ"に行ってシュヴェンツェに"この場所とこの場所"へ行くよう指示して…それ以降は任せるわ」
「はい…エリス様…」
エリスはアンネが"ラボ"からやってくると、ぎゅっと抱いて感触を堪能してから、入れ替わりにファニーをシュヴェンツェへの出撃指示とともに"ラボ"へ遣わした。
ファニーの"ラボ"には前日から"ヴルムロッホ"を使って予め少しずつ親衛隊員を送り込んでいたが、警戒心を緩めていた王都の警備兵には一切咎められなかった。
それどころか、ファニーがエリスの手に堕ちて以来、一度もベネディクト家の者がファニーの様子を見に来なかった。
ベネディクト家のファニーへの"無関心"も、今まさに王都で演じられている"惨劇"を防げなかった要因の1つである。
ファニーを送り出したエリスはメイとクロエとともにアンネを愛でながら王都の騒乱を眺めていたが、北東方向からレニとカリナに率いられた数十人の親衛隊員たちが飛来すると、途中で二手に分かれて、エリスが指示した場所へ向かった。
それを見たエリスは、アンネに問いかける。
「そろそろ私とメイは王宮に行くけど、アンネはどうする?
今なら王都にたくさん転がっている人間の血を吸い放題よ」
「エリスねーさまといっしょに、王宮へ行きたいです…。
そちらのほうが、"もっとおいしい血"を吸えるから…」
「いいわよ…ヴァンピーリンとして真っ当な理由だわ。
じゃあ、クロエも一緒に…ついていらっしゃい」
4人は阿鼻叫喚の巷と化した王都でたくさんのポニーテールやツインテールが揺れる様を眼下に見ながら、王宮へ向かった。
エリスたちが開いていた扉の1つから王宮に侵入すると、中には多数の男性の屍が横たわっており、女性の近衛兵や王宮に仕える侍女たちが、討ちもらした男がいないか、男たちが侵入してこないか見回っていた。
エリスは侍女の1人から
「あら、かわいいお客様ね…王宮にどんな御用かしら?」
と尋ねられたが、
「お姫様が男たちに連れ去られて、隠し部屋に閉じ込められていると聞いて助けに来ました…。
この子が隠し部屋の入り方を知っているから…。
大人のお姉さんたちはこのまま見回りを続けてください…」
と返し、
「わたしは後ろにいるお姉さんのほうがタイプだけど、姫様はあなたと同じくらいの年頃だから、あなたが助けに来たらきっと一目惚れされるわ…姫様のこと、よろしくね…」
エリスの話を信じた侍女から"王女の救出"を任された。
エリスが侍女に語った"王女の救出"は完全な嘘ではないが、その前に"やる"ことがある。
その標的が隠れている可能性の高い、王族しか知らない隠し通路の入口に4人が到着すると、
「ここから先は、"こと"が済むまでエリとわたくしだけで行かせてください…」
「私からも…ここはメイが決着をつけるべき場だから…」
「わかりました…アンネはここでエリスねーさまとメイねーさまを待ちます…」
「アンネに言われてしまいましたが、私もここで吉報をお待ちしております…」
「ありがとうございます…」
クロエとアンネの了承を得て、エリスとメイだけで先へ進む。
地下の何もなさそうな行き止まりでメイが壁に手を触れると、壁が丸ごと消失して"隠し部屋"が現れた。
そこには"予想通り"、アヴァロンの国王ヘンリー4世と王太子エドワードがいた。
ヘンリーとエドワードは驚きの余り、声を出すことも悲鳴を上げることもできない。
エリスが虚無魔象で2人を動けなくすると、メイはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「わたくしの、人間だった頃の真の名前は…メアリ・ゴーサ…。
この王都にも名を残す、ゴーサ朝アヴァロン王国初代女王メアリ1世にあやかって名付けられた、お前たちバンベリ家に王位を簒奪されたゴーサ朝最後の国王ジョシュア2世の末裔よ…。
王位簒奪後、歴代のバンベリ家の国王はゴーサ家を"配下の上級貴族"として上手く扱っていたようだけど、先代の国王ジョン2世が下らない理由でわたくしの両親を処刑し、わたくしを幽閉した…。
だが、皮肉にも"そのおかげ"でわたくしはエリと出会い、エリのエルステとなることができたの…。
それでもこの場にジョン2世がいたら容赦なく永遠の責め苦を味わってもらうつもりだったわ。
両親の処刑を命じたジョン2世と違い、お前には個人的な恨みがないから、ジョン2世の分のお礼として、本来この国の主であったゴーサ家の末裔であるわたくしが自ら、苦しみのない死を与えましょう。
もちろん、拒否権はないわ…うふふ…」
「ああ、その前に邪魔者は排除しておくわね…。
冥土の土産に教えてあげるわ…。
ヴェルトヴァイト帝国の第3皇女である私、エリスの手にかかって死ぬ人間はお前が第1号よ…」
エリスが"ジズ・ヌル"の一部に組み込まれた緋色と漆黒の鎌刃で先にエドワードを切り裂くと、メイはトイフェライ"ツェアシュテールング"でヘンリーを"内側から破壊"した。
エリスとメイの攻撃を受けた2人は床に倒れこむと、2度と動かなかった。
バンベリ朝アヴァロン王国第13代国王と、その後継になるはずだった者の、あっけない最期だった。
「エリ…セントメアリから偽りの王はいなくなりました…。
ゴーサ家唯一の生き残りであるわたくしはエリのものですので、この王宮を含む王都セントメアリもエリのものです…」
「ええ…その証に、ここでメイの唇…もらうわね…」
「はぃ…」
エリスは、もしバンベリ家による王位の簒奪がなかったらゴーサ朝アヴァロン王国の女王メアリ5世として、自分の敵になっていたかもしれなかった、愛らしいエルステ・メイの唇を奪った。
まだ数か所で王国軍の抵抗は続いているが、エリスとその配下による王都セントメアリ攻略戦はたった1日で大勢が決した。




