2 運命の人
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イルミナの本拠"アビュスス"を見に行った翌日、エリスはパンゲーアの上空を飛び回っていた。
リリスもノクスもイルミナも、ある程度の高さまで"跳躍"することはできるが、空中への浮揚や飛翔はできなかった。
だが、エリスは女神レアから与えられた力で、空を意のままに動くことができる。
空に浮いたままのエリスが視線を斜め下に向けると、広大なアマージエン島とクリュメネ海峡が見え、さらに海峡の向こうにはアヴァロニア大陸も見える。
パンゲーアがあるアマージエン島も古くから全域をディアボロスが支配しており、島の上空なら人間に襲われることもないため、エリスは安全なところで空を飛ぶ練習をしていた。
練習を終えてパンゲーアに戻ると、エリスは後ろからノクスに抱きつかれた。
「エリス、楽しそうに飛び回っていたわね…」
「はい、ノクスお姉ちゃん…あと何日か、空中での身体の動かし方を練習したら、向こうの大陸に行ってみます」
「それはいいけど、人間どもの縄張りに行くときは予め、母上か私かイルミナに言ってね」
「わかりました…大陸に渡っても、数日は"帝国"の領空で飛びます…」
ディアボロスの支配領域は、正式には"ヴェルトヴァイト帝国"を称し、エリスたちが住むパンゲーアも正確には帝都ヴェルトブルクにある皇宮の一部である。
ただし、人間からは帝国ではなく"魔王軍"と呼ばれ、女帝リリスも"魔王"として扱われている。
なお、人間たちは大小さまざまな国に分かれており、人間同士で争うことも少なくない。
そういう"人間側の内輪揉め"を利用して帝国が征服した土地もある。
エリスがパンゲーアの上空で飛行練習をしていた数日間、空を見上げながら、
「今日も空を飛んでいるエリスかわいい…」
などと呟いていたノクスの仕事は多少滞ったらしいが、地上征服への影響は軽微だったという。
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エリスがクリュメネ海峡を越えてアヴァロニア大陸側での飛行練習を始めると、"空飛ぶお姫様"はたちまち大陸側に住むディアボロスたちの注目の的になった。
当然、"お姫様"に降りてきてほしいと望む者たちは少なからずいたが、皇族と一般国民の接触は例外を除いて認められない。
ノクスが幼い時に帝都に出たり、近郊の町を訪れたりした際も、変装した上で気心の知れた専属侍女を護衛につけて、同年代の少女と言葉を交わしたくらいである。
単独行動をしているエリスも"下界"の様子は気になったが、許しを得ていない以上、一般国民とは接触せずに帰った。
1か月間の飛行練習を終えたエリスはリリスのもとを訪ねると、
「母様…そろそろ、人間どもの縄張りに行ってみたいです…」
人間たちの支配領域への遠出を願い出た。
「用件は、偵察だけ?」
「いいえ、人間の…有能そうな子を…私の侍女にしたいです。
そういう子を引き抜けば…母様たちの助けにもなるから…」
「わかったわ…空の飛び方は、ノクスがいつも見ていて、全く隙がないと言っていたし、足を地に着けた戦闘でも、神の加護を受けた者に遭遇しなければ、無傷で相手を滅ぼせるレベルに達しているものね…。
でも、万が一加護を受けた人間に遭遇したら、相手をしないで逃げてきなさいね」
「はい…」
エリスは飛行訓練だけでなく戦闘訓練も行っており、今ではノクス配下の幹部数人が全力でかかってきても完勝できる。
それを把握しているリリスは、万が一のことを心配しながらもエリスに許可を出した。
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リリスに許可をもらってから3日後、エリスはパンゲーアの屋上からアヴァロニア大陸に向かって飛び立った。
クリュメネ海峡を横断して、アマージエン島とアヴァロニア大陸の中間あたりに差し掛かると認識阻害の魔法を使う。
大陸側に住むディアボロスたちに気づかれないまま領空を通過し、ついに人間側の"アヴァロン王国"へ侵入した。
ノクスのために記録用の魔法を発動させながらアヴァロン王国の領内を進むと、奥の方に巨大な城郭都市が見えた。
エリスはおそらくあれが王都だろうと推測し、張り巡らされた結界に抵触しないよう気をつけながら王都周辺を"記録"。
これ以上の深入りは禁物だと判断したエリスが引き返そうとしたところ、王都に向かって右手側に小高い山を見つけた。
近づいてみると、結界は張られていたもののディアボロス向けでないことから、あっさり通り抜けて結界内に入る。
山の頂上に降り立つと、そこには下半分くらいが埋まった塔のような建物があり、中に人が住んでいるようだった。
魔法で中の様子を確認すると、エリスは認識阻害を解いて"塔"の中へ入った。
「あなたは誰?」
「私は…エリス」
「エリス…あなたが…わたくしの…運命の人なのですね…」
「えっ…どういうこと?」
中にいた、白く長い髪をポニーテールにした"美少女"にいきなり"運命の人"と呼ばれて戸惑ったエリスが話を聞くと、メイと名乗った女性(小柄だが成人しているとのこと)はアヴァロン王国の貴族だった両親が無実の罪で処刑され、メイは命だけ助けられたものの、領地の一部だったこの山に結界を張られた上で幽閉されたという。
食料に関しては山で取れるものだけで自給自足が可能だったため問題なく、塔の中にはメイが一生かかっても読み切れないほど膨大な書物があって、暇つぶしには困らなかったという。
そして、"運命の人"については、母親が処刑される前に残った魔力を使った未来予知で、"メイが囚われの身になっても、いつか運命の人が助けに来てくれる"未来をメイに伝えたという。
話を聞きながら、エリスはメイがすでに"壊れかけている"ことを悟った。
「私は、あなたの敵といってもいい"ディアボロス"…しかも人間からすれば、"魔王の娘"にあたる存在だけど…それでもいい?」
「はい…両親とわたくしを酷い目に合わせた人間たちよりも、かわいくて…わたくしの話を真剣に聞いてくれたエリス様に…この身を委ねます…」
「うふふ…私も…人間ながら同じ人間に憎しみを抱いたあなたのこと…その見た目も含めて…気に入ったわ…。
メイ…あなたをパンゲーアに連れて帰って、私の専属侍女にする」
「ありがとうございます…この命ある限り、エリス様に精一杯お仕えします…」
「それで、外に張ってある結界は今のメイのような人間では通れないけど、私のようなディアボロスであれば問題なく通過できるみたいだから、ここであなたをディアボロスにするわ」
「わたくしを…エリス様と同じディアボロスにしていただけるなんて…うれしいです…えへへ…」
「もともと、私の侍女にするからには人間のままでいるわけにはいかないから、いずれディアボロスにするつもりではあったけど、結界がある関係上、今というタイミングになっただけよ。
でも、ディアボロスになることを喜んでくれるのなら、私としてもうれしいわ。
ちなみに、私がメイにディアボロスになるための魔法"ディアボリー"をかけたら、メイはしばらく意識を失うわ。
目を覚ますのはパンゲーアに着いてからね」
「それくらい…ディアボロスにしていただける喜びに比べれば些細なことです…」
「それなら…心の準備はいいかしら?」
「はい、エリス様…いつでもどうぞ…」
エリスはメイを抱きしめると、唇を奪い、口から魔力を流し込む。
程なくしてメイは意識を失った。
魔法を使ってメイが人間からディアボロスに変化したことを確認し、自分と同じくらいの背丈で整った顔立ちのメイをお姫様抱っこすると、"半分沈んだ塔"から出たエリスは空に浮き上がり、パンゲーアへの帰途についた。
人の出入りを阻む結界も、もともとディアボロスであるエリスと、人間をやめてディアボロスになったメイには何の意味もなさず、あっさりと通過。
帰りもアマージエン島に差し掛かるまで認識阻害の魔法を使ったエリスは、無事パンゲーアに帰還した。
自分の部屋に戻り、ベッドにメイを寝かせると、エリスはメイが目覚めるまで彼女の寝顔に見惚れていた。
メイは目を覚ますと、上半身を起こして
「エリス様…ここは?」
と問いかける。
「ここは私たちの本拠"パンゲーア"にある私の部屋よ。
それにしても…メイは人間をやめる前の灰色の瞳もきれいだったけど、ディアボロスになって緋色に染まった瞳はもっときれい…」
「エリス様…顔が近いです…」
「メイったら…私たちはもう、唇を重ねた間柄よ…。
これくらいのことで照れているメイもかわいらしいけどね」
「エリス様…こんなにわたくしの見た目を褒めてくれる方は…エリス様が初めてです…。
エリス様がお望みなら…わたくしの体でいくらでもお楽しみください…」
顔を真っ赤にしたメイが落ち着いてから、エリスはメイにパンゲーアについての簡単な説明をした。
「この後、夕食の時にあなたを、母様とお姉ちゃんたちに紹介するから。
メイの食事については、私たちの夕食中に、お姉ちゃんたちの専属侍女に聞けば教えてもらえるわ」
「わかりました…」
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エリスとメイがダイニングに到着すると、
「エリス、その子はエリスの専属侍女?
そんなにかわいい子、どこで見つけたの?」
先に来ていたノクスが早速メイについて尋ねてきた。
「エリスちゃんと同じくらい小柄なのね…ほんとうにかわいらしい…」
イルミナは"かわいらしい美人"であるメイに見惚れている。
エリスはノクスに、アヴァロン王国の王都に近い場所で幽閉されていたメイを助けたことと、ついでに王都周辺の情報を入手してきたことを告げた。
「ありがとう、エリス…アヴァロンの王都へ本格的に攻め入るのは当分先になるけど、陽動のための攻撃を仕掛ける時に、エリスが取ってきてくれた情報は参考になるわ」
ノクスは貴重な情報を持ち帰ってきたエリスの頭を撫で、大好きな姉に褒めてもらったエリスは、相変わらず虚ろな瞳のまま笑みを浮かべた。
「それに、メイからも人間側の有益な情報をもらえれば、エリスちゃんは大変なお手柄よ」
「お役に立つかは分かりませんが、お尋ねいただければ、わたくしの知る限りの情報をいくらでも提供いたします」
「ところで、今晩メイと一緒に寝たいといったらどうする?」
「それは…エリス様が了承されるなら…」
「だめよ…メイは私のものになったばかりだから…」
「冗談よ…うふふ…本当にエリスちゃんはメイのことが気に入ったのね…」
イルミナは小柄な2人を見比べながら目を細めた。
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夕食を終え、メイがエリスの部屋に戻ってくると、
「メイの侍女服とナイトウェアと下着はあちらのクローゼットに入れておいたわ。
身長も体型も私とメイはほぼ同じだと思うから、私と同じサイズで揃えさせたけど、合わないようだったら言ってね」
エリスがそう言ってクローゼットの1つを指差した。
「ありがとうございます…」
メイは早速クローゼットを開き、エリスがすでに着ているものと同じ色のナイトウェアを取り出した。
「やっぱりその色を選んだのね」
「はい…大好きなエリス様と同じ色がいいので…」
そう言いながらぽっと頬を赤く染めるメイ。
「今日は、メイみたいなかわいい専属侍女を手に入れられて本当にいい日だったわ…」
一緒に浴室に入って身体を洗い、ナイトウェアに着替えたエリスとメイはベッドに腰掛ける。
「本当に私と同じサイズでぴったりだったわね…」
浴室の手前にある脱衣室の身体測定用魔導器で測ったところ、メイはわずかにエリスより小さいだけで、用意していたナイトウェアと下着はちょうどいいサイズだった。
「えへへ…エリス様と一緒なんて…とてもうれしいです…」
「さて、これから一緒に寝るけど…その前に、一つやることがあるの」
「なんでしょうか?」
「今のメイは私がディアボロスにしたけど、いくつかの手段を使えば解除されて人間に戻ってしまうの。
メイを人間に戻らない、完全なディアボロスにするためには、母様と私たち姉妹だけが使える魔法を、夜にかける必要があるわ」
「わたくしはずっと…エリス様と同じがいいです…。
是非とも…その魔法をわたくしにかけて下さい…」
「私が"フォルシュテンディゲ・ディアボリー"をメイにかけるとすぐにメイは意識を失ってしまうけど、明日の朝になれば、メイは完全なディアボロスになっているわ。
覚悟ができたならするけど、いいかしら?」
「はい、それでは…おやすみなさい、エリス様…」
エリスはメイにこの日2度目の口づけをすると、意識を失ったメイの小さな体を優しくベッドに横たえる。
それから、
「おやすみ、メイ…」
安らかな顔のメイに抱きつきながら、エリスも眠りについた。
<2021/ 5/ 8修正>"ノクスが幼い時~"の行を一部加筆修正しました
<2022/ 2/13修正>誤字を修正しました(貼→張)