1 いつか空に…
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"エリス"が目を覚ますと、知らない天井が見えた。
上半身を起こして左右を見渡しても、見覚えのない部屋に、今自分が横たわっているベッドと壁に掛けてある鏡以外は見たこともない調度品の数々。
体は問題なく動かせそうなので、ベッドから降りて大きな鏡の前に立つと、そこには小柄な女の子が映る。
ふわふわの黒髪は腰まで伸び、虚ろな漆黒の瞳は何でも吸い込んでしまいそう。
「かわいい…」
と呟いてから、"自分の姿"にかわいいと言ってしまったことに気づいて戸惑う。
気を取り直して、自分がいる部屋の中を一巡りしたエリスだったが、やはりベッドと鏡以外は何に使う物なのか分からず、手を触れられなかった。
仕方なくベッドに腰掛けると、突然扉が開いて誰かが入ってきた。
「母…様…」
「エリス…ようやくあなたの"自我"が目覚めたのね…この日をずっと待っていたのよ…」
部屋にある物の多くを"知らない"エリスでも、母親である"女帝"リリスについての"記憶"はあった。
それから、隣に腰掛けたリリスにいくつかの質問をされてエリスが素直に答えると、リリスはエリスに優しく語りかける。
「今のエリスは、頭の中に入っている知識や記憶のほとんどを意図的に封じられている状態なの。
それは、目覚めていきなり膨大な量の情報が入ってきたら、あなたはきっと混乱してしまい、最悪の場合、せっかく目覚めた自我が崩壊してしまうから。
"封印"は何日かに分けて解除していくけど、封印を解除すると、翌朝まであなたはずっと意識を失ったままになるの。
でも、知識や記憶が完全にあなたのものになれば、禁忌を犯さない限り何でもできるようになるから、我慢してね」
「はい…母様…」
エリスは虚ろな瞳のまま微笑み、リリスに抱きついた。
「それじゃあ、まずは今日の分…」
リリスが右手の掌をエリスの額に当て、魔力を放出すると、エリスの体から力が抜ける。
リリスはかわいい娘の体を支え、ベッドに寝かせると、
「エクリプス…今日もよろしくね」
「はいですの…」
エリスではない別の者の名を呼び、それに応えるようにエリスの体が再び起き上がる。
虚ろな漆黒の瞳をはじめとして、見た目は変わっていないが、口調は明らかに変わっていた。
生まれてからずっと自我を持たなかったエリスには、"無"の女神レアから送り込まれた眷属エクリプスが憑依している。
エリスの自我が目覚めてからも、今のようにエリスが意識を失った際にも体を動かせるよう、エクリプスはずっとエリスと一緒にいることを命ぜられていた。
エクリプスに操られたエリスは、リリスの後を追って自分の部屋を出た。
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最後の封印が解除された日の翌朝、"パンゲーア"の自分の部屋で目を覚ましたエリスは、起き上がってベッドから降りると、
「エクリプス…姿を見せて」
生まれてからずっと一緒にいる女神の眷属を呼ぶ。
すぐに、エリスにそっくりの少女がエリスの目の前に現れた。
髪の色が銀色で、瞳が極彩色な所以外は本当に瓜二つである。
「今まで、私の代わりに私の体を動かしてくれてありがとう。
でも、これでお別れじゃなく…これからもずっと一緒だよ。
それで…エクリプスだとあまりかわいくないから…レア様の名前をとって、エクレアちゃんって呼んでいいかな?」
「いいですの…エリスからそんなかわいい呼び方で呼んでもらえて…うれしいですの…えへへ…」
エクリプス改めエクレアは、ぱぁっと笑顔を咲かせた。
ナイトウェアから着替えたエリスはエクレアの手を取ると、
「じゃあ、エクレアちゃん、一緒に朝ご飯を食べに行こう」
「はいですの!」
色違いの2人は仲良く手をつなぎながらダイニングへ向かった。
「ノクスお姉ちゃん、イルミナお姉ちゃん、おはよう…」
「お…おはよう…エリス…かわいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
「エクリプスじゃなくて…エリスちゃんが…うれしい…」
ダイニングでエリスが2人の姉に挨拶すると、長女のノクスは早速シスコンを発症してエリスに抱きつき、次女のイルミナは挨拶を返すことも忘れて、かわいい妹から初めて"おはよう"といわれたことの嬉しさに浸っている。
「エリスの隣にいるのは、エクリプス?」
「エクレアですの…エリスがつけてくれたかわいい名前だから…エリス以外にも…エクレアと呼んでほしいですの…」
「いいわよ、エクレア…それにしても、かわいいエリスはネーミングセンスもかわいいわ…」
「確かに、エリスちゃんそっくりの愛らしい姿だから、エクレアちゃんの方がお似合いね…」
こうして、主である女神レア以外はエクリプスをエクレアと呼ぶようになった。
すでにエリスが完全に覚醒したことを知っているリリスが遅れてやってきて、ようやく朝食が始まった。
朝食を終えると、
「エリス、今日は私と"お城デート"しましょう」
「はい、ノクスお姉ちゃん」
ノクスはエリスにパンゲーアの中を一通り案内することになっていたが、あえて"デート"といって誘った。
エリスは微笑みながら快諾する。
「お姉様…羨ましい…わたしもエリスちゃんとデートしたい…」
「そんな悲しそうな顔をしなくても、明日はイルミナの番よ…」
「わかりました…これから明日のデートプランを考えてきます」
羨ましがったイルミナだが、すぐに機嫌を直して"アビュスス"へと帰っていった。
女帝リリスと長女ノクス、三女エリスは陸上の拠点"パンゲーア"に住んでいるが、次女イルミナは地下通路でつながった海底の拠点"アビュスス"から海を支配している。
海上、海中および海底は定住する人間が少ないため、すでにリリスよりも前の代の女帝によって征服され、人間たちから"悪魔"と呼ばれる"ディアボロス"の支配下となっている。
だが、陸上は当然ながら人間が多く、何代にもわたって人間との争いが続いており、次に女帝の位を継承する予定の、女帝に次ぐ能力を有するノクスでも、征服は思ったより進まず、有効な手立てを見いだせずにいた。
そこで、ディアボロスに加担する"無"の女神レアが、ノクスやイルミナが幼い頃からリリスに"第3の矢"を儲けるよう提案し、リリスが産んだ三女エリスには、自我の目覚めが遅れるという代償を負わせた上でノクスに匹敵する強大な能力を与え、"補佐"としてエクリプスをつけた。
2人の姉は、かわいい妹にはいずれ、自分と同じように母である女帝を助けて"征服"を手伝ってほしいと思っているが、しばらくは自由にさせてあげたいとも思っていた。
だからこそ、ノクスはエリスに隠し事をせず、パンゲーアについてできるだけ多くのものを見せた。
翌日にはイルミナが"アビュスス"のほとんどすべてをエリスに見せ、最後に、
「エリスちゃんも、何年かしたら自分の城を造って、お姉様とわたしを招待してね」
というお願いをした。
「はい…ノクスお姉ちゃんが陸上に、イルミナお姉ちゃんが海底にお城を造ったのなら、私は空にお城を造ります。
レア様からいただいた力を使いこなせるようになれば、不可能ではないです」
エリスはそう返事して、いつか空に自分の城を造ると決めた。