1話 心理士着任前(前編)
初めての投稿です。色々とアドバイス頂けたら嬉しいです。
私は今年の3月に大学を卒業したばかりで、心理士一年生の社会人だった。普通の人よりも社会に出ることは遅くなったけど、この日を待ちわびていた。大学在学中は通学こそは車でしていたが、昼は精神科デイケアの職員として働き、夜は福祉の専門学校に通学。休日は通信大学のスクーリングで学んでいた。心理士になりたかった理由は人並みにあるけれど、今まで、好き勝手なことをやってきたのにハードな4年間は自分でもよくやれたなと感慨深いものもあった。おかげで、大学卒業までには認定心理士という認証資格と精神保健福祉士、社会福祉士などの国家資格も取得できた。
国家試験の前日は中学生以来の試験のためか緊張して眠れなかった。そのため、眠ろうと深酒をしてしまい結局、朝を迎えてしまうという始末だった。慌てて朝の5時頃にお酒を抜こうと熱い風呂に入り...。お酒を抜こうなどと無駄なことをしていた。当然、そんなに都合よくお酒が抜けるわけもなく、中学生の試験の時に母が言っていた言葉がふと頭をよぎる。
「ネギは頭に良いから、試験の前に食べていきなさい。」
私は入浴を諦め、そのまま家の冷蔵庫を開く。狙い通りの場所にネギが納まっていた。しめしめと、そのままネギ一本を素手で取り出し、生でそのまま、がぶりとかぶりつく。少し...、いや結構、鼻に苦みが抜けるが仕方がない、今日は大事な国家試験の日だと自分に言い聞かせる、そのまま苦みを我慢しながら少し大きめな噛む動作で頭に良いんだからと、再び自分に言い聞かせて白ネギ一本分を片目をつぶりながら飲み込んだ。
「ぐううー、苦い...。」
その時は、これで試験は受かったものだと軽く考えていた。だって、お酒も大分飲んでいて酔っぱらっていたし母親の言葉を信じていたから...。
しかし、結局は試験中に喉に引っかかっていたネギが気になって、何度も何度もネギを喉からはがそうと唾を繰り返し飲み込んでいた。
「んぐ、んぐ。」
なんて言いながら試験を受けていたんだから周囲からみたら、おかしな奴に写ったことだろう。おまけに、深酒をしすぎて妙なハイテンションにもなっていて休憩中に自己採点を聞きに来る学友の目にも変な奴に写ったことだろし、試験に集中もできない。
試験は精神保健福祉士と社会福祉士のダブル受験だったので、2日間に渡って14科目(もう随分、昔のことなので、うろ覚えではあるが)?の試験となっていた。とにかく、初日は深酒と喉に張り付いたネギの強烈の印象しかない。その後、どうやって家に帰ったのか。友人宅に行ったのかすら覚えていない。
翌日はどうやって試験会場に行ったのか、どうやって試験に臨んだのかすら覚えていない。記憶があることと言えば、試験の休憩中に、
「こういう問題は消去法で解けば正答率が上がるんだ」
と偉そうに学友に話していたことと、試験後の解答速報を自己採点と照らし合わせて、まあこんなもんだろうと思ったのを覚えている。
試験が受かっているだろうと安堵し帰宅した。帰宅後、自己採点の結果を妻に伝え(この時、私は学生結婚をしており、妻との間に長男を儲けていた。)、家族3人で細やかにお祝いをした。私は料理をするのが意外と好きで、お祝いの日にはよく自分で料理をした。お祝いの日だけに料理をするのは、妻に言わせると、どうやら私の料理の買い出し料金は、妻がしてくる買い物の何倍もするらしい。家計のことをことを考えて食材を買わないので日常では言われたものを買ってくる、買い出し係と料理の補助をメインにしていた。
その日は、夜遅くまでやっている近くの大型スーパーに買い出しに行った。大学時代に学生結婚をしたため、常にお金が必要だったので休日の夜にはイタリアンのBarでも働いていた。そのためか料理の腕には多少自身があった。タリーアータする牛肉を選んでいると、こういうところが妻には疎ましいなのだなと国産牛は諦め、オーストラリア産の牛肉を選ぶと調味料とワインを選び、野菜コーナーで付け合わせ用のアスパラガスとエリンギ、ニンジンを買い物カゴに放り込むとレジへと向かった。
結果から話せば、またしても妻に買い物代金の高さについて御高説を承る結果となった。料理の牛肉のタリアータとワインは絶品だったのだが、牛肉のランクを落とした代わりに調理でとワインを奮発してしまった。それが、結果として致命傷になった。
「貴方、本当に馬鹿なの」
と言われ、本当の馬鹿とは何なんだろう、逆に本当の馬鹿でないのは何だろう...。と思いながら
「ごめん...。」
と謝ることしかできなかった。しかし、少し奮発したワインは学生時代に妻と記念日に通っていたフレンチレストランでお気に入りのワインだった。シャートー・アンティアンと名付けられたワインは値段は手頃(外でフレンチレストランで飲むには)でタンニンが醸し出す渋みが牛肉によく合った。それに、そのフレンチレストランはあんなに美味しかったのに、いつの間にか閉店しており、妻とは良心的だから潰れてしまったのかなと懐かしんだものだ。私は妻が寝静まるとコッソリとキチンへ向かうと、カウンターに置いてあったワインのコルク栓を見つけ、試験終了祝、と書き日付を追記してコルク栓をテレビボードに置いてある銀製のバケツをモチーフにしたオブジェへと放り込み、妻と子どもの待つ寝室へと向かいそのまま眠りについた。
その後から、心理士としての初出勤まではとても忙しく、どの様に過ごしたかあまり覚えていない。就職先も資格取得前提での内定であったため、在学中に取得した各種の資格の登録手続きや、勉強しながら無資格(私の就いていた職種に資格要件はなかった)で働かせて貰った精神科クリニックのデイケア職員から受けた気の利いた送別会、就職先を紹介してくれた実習担当の先生や実習担当員(私の卒業校の先輩で精神科退職後に運命が交差することとなる)へ御礼に伺ったり、学友や友人たちと飲み明かして就職先や将来について語り合うことで日々が過ぎていった。
私は恩師の勧めもあり、診療科目が精神科単科の精神科病院に内定していた。面接というものは殆どなく、採用責任者の事務長と世間話しを交わした位だろう。とは言っても2週間の実習先である、この病院での私の実習の様子は事務長の耳には入っているとは思うが…。事務長は実習中もよく話しをかけてくれたのを覚えている。なんせ、実習中は毎日顔を合わしたのだ、喫煙室で。
私は本当は、児童心理学か犯罪心理学を探求したかった。実際、資格取得要件の際の実習先では児童相談所にも行った。心理系の道に進もうと考える学生は、半分以上は自分自身が病んでいる、との偏見の目に晒されながらも心理学を専攻し続けてきたのは行動心理学に惹かれたからだ。プロファイリングの方が馴染みが深いかもしれないが、理数系であった私は統計学に基づく行動予測に強く惹かれていった。若しくは、他者に覗くことのできない心の内界を数値化することによって何かを得ようとしていたのかもしれない。他にもこころ当たりはあるが、それは大学に入学を決める前の話しだ。
私の偏見ではあるが、心理学を本気で学ぼうとするか、学ぶ過程で青臭いと感じる人間は大半が児童心理学か犯罪心理学を専攻する。早期に発見して治療の開始と社会資源の援助体制を構築したり、犯罪者の推測や鑑定、または、更生まで見守るのは職業意義的にも達成感があり、心理士としてのアイデンテティーをハッキリと形成できるからだ。私は捉われた自分の後悔の念から当初は児童心理学を学び始めた。しかし、犯罪心理学を学び、触れたことで、児童心理学では得られないアプローチもイメージできた。青臭くないと思っていたが、犯罪心理学を専攻した際は反面、自分の青臭さに落胆をした。
問題を未然に防ぐ児童心理学か、発露してから解決する犯罪心理学か、このどちらかの選択で今後の進路が大きく変わるため決めかねた挙句、恩師に相談をした。そこで勧められたのが更生病院だった。そして、それが闇を肥大化させていく滑らかな潤滑油になるとはこの時は思いもしなかった。後悔の連鎖が思念となり纏わりつき浸潤されていく。今はもう後悔さえできない。
厚生病院は292症の単科の精神科病院だった。病院は5階建てで1階から合併症、男子閉鎖、女子閉鎖、女子療養、男子療養といった病床を保有していた。職員と患者の駐車場はDrの指定駐車場以外は混合で、駐車から病院に入るには4カ所の入り方がある。1つ目は喫煙室にある応接室の棟を抜けて入るルートで、これが正規の入口までのルートだった。応接室の棟の2階から上には看護師の女性専用の寮があり、私はそこに以後、何度も呼び出しを受けることとなる。1階には喫煙室があり、厚生病院に実習に来ていた私を恩師と事務長が呼び出し、患者が出入りするなかで話しは始まった。
「進路は決まったかね。」
煙草を箱から出しながら唐突に聞かれた。
「まだ、児童相談所や他に良いところがないか探しています。」
事務長に煙草を勧められ、白衣のポケットから煙草を取り出す。
「丁度いま、うちの病院も求人を出していてね…。有資格者の男性職員が欲しいんだ」
少し白衣を上げながら椅子に足を左右に大きく開く特徴的な座り方をしながら、目の前で手を三角のような形にしながら私を覗き込んだ。
「ありがとうございます。職員さんは、みんな親切だし、ありがたいです。」
少し手が汗ばむ。
「では、厚生病院で働いてくれるということで、いいかね。」
少し後ろに姿勢を反らしながら目を少し嬉しそうに細めながら言った。
「はい、ありがとうございます。」
と大袈裟に頭を下げて、そのまま煙草を吸いながら談笑をした。
大学3年時の3月のことである。やけに早い内定を貰えたことで安堵し、他に就きたい職種はないか情報収集を始めた。無論、児童心理学か犯罪心理学を基礎とし活躍できる職場を探したのだ。
それは、ある休日のスクーリングの日だった。私は恩師に呼ばれると、
「厚生病院で本当に働くのかぁ」
と不意打ちで聞いてきた。他の職種を探しているのがばれないように、違う先生に相談していたのだ。
「まだ、決めてはいません。」
鋭い眼差しを私に向けて言う
「しかし、お前はあの時、事務長の前で働くみたいなこと言ってたやないか」
俯きながら答える
「はい。」
恩師の目は見れなかった。
「お前が適当なことしたら、次回から実習の受け入れもしてくれんくなるかもしれん。他の在校生の迷惑にもなる。」
何も答えられなかった。
「何か引っかかっとるんか?」
何も答えずにいると、
「急性期病院は勉強になるぞ。一番状態の悪い患者が相手だから。そんな経験ができる所は少ない。」
それでも、何も答えられなかった。
「何処か、働きたい場所でもあるのか?」
人に自分の思いを正確に伝えられる人間は果たしてこの世にどれくらい存在しているのだろうか。自分の発した言葉で社会のピースが嵌っていく、社会の歯車としてギシギシと音を立てながら崩壊を恐れ、願いながら…終わることのない罪業に円連を望み、生きていく。
グルグルと回る。罪と罰、現実と幻想、闇と夜明け、業と使命、自分自身が何をしたいのか何をすべきなのか分からない。わかることは自分が背負っている業と、それを時折思い出させる生存本能や防衛機先の脆弱性であり、闇への浸潤が進んでいく。私が生きるために改竄された記憶は浸潤から、徐々に解き放たれている。解き放たれることは自分の蝕みを増し、記憶を混濁させる。救済なのか、予兆なのかも分からずに時間の経過とともに、流木のように流されていく。流されれば怪我をするんだろう...、きっと。
八方美人で、断れ切れない自分をアルカディアの板に乗せることを放棄した末路なのかもしれない。観客は歳月とともに増えていき、憎しみを重ね、眠れない夜の闇の恐怖を増幅させる。何に恐れているかすら分からない。激しい動機と胸騒ぎ…。何も起こらない現実を繰り返し、心が徐々に蝕まれていく。
人生の岐路に立たされた時、何が正解かは誰にも分からない。刻が経過しても答え合わせはできないのだから。それでも時間は進んでいく、過去に戻ることは一切なく。試験みたいに答え合わせのできない残酷な一方通行。それは、子どもが屋上で落とした缶ジュースのように無情にも地面に叩きつけられ、味わうことを取り戻せないように、誰の意思にも影響されず淡々と世界は回っていく。取り戻せない時間は、取り返せない罪と同じだと感じ、私はまた少し自分の業に浸潤される。浸出液はガーゼでは防げない。現代医療のどんな治療をもってしても防ぐことはできない。だから、心のオーバードーズになるのだ。選択肢は他にもある、ロボトミーになるか、ベンゾジアゼピン系の精神病薬を服用し薬物依存によりヤクトミーになるか...。幸せな選択はどれだろう。誰も苦しめない、誰も不幸にならない選択は、一体どれだろう。
私ほど死に魅入られた人間はいないだろう。自死、殺人、死からの渇望、死への切望、好むと好まざるに関わらず沢山の人の死に触れてきた。死に慣れた。死を受け入れた。死に同調した。その末路として死に魅入られた秒針の狭間で彷徨っている。それが数奇の運命と共鳴し終わりのないメビウスの輪へと誘う。そして、それはいつまでも私の人生と深く関わっていくことととなる。
読んで頂き、ありがとうございました。