77 諦めない
"命令"を駆使した友好的な話し合いの末、私はハティとの間でひとつの約束を取り決めることに成功した。
『結婚式を挙げるまで、1年だけ待って』
ハティが思う結婚式なので、つまり、肉体関係を結ぶまでってことだけど、身体の成熟具合からすれば、いますぐしたって問題ない。問題は、気持ち的な面。どうにもまだ、そういう、心の準備ができていない。
私ももうすぐ15歳。精神年齢は20歳。しかし知識も心も小学生なみ。どうにもお子ちゃまなのだ。なにせ、ハティへの気持ちもいまさっき気づく、というへなちょこさ。このまま夫婦になんて、なれっこなかった。
それに、アロンのこともある。
「しっかりケジメをつけたいの。このまま私達だけ、抜け駆けみたいに先へ進むのは、いや」
一応私の考えを尊重しつつも、1年も待つ自信がない、とハティは予防線を張るように言った。
「もしも俺が暴走したら、命令してくれ。ララの命令には、どうやら俺を縛る力があるらしいからな」
そう、どういう仕組みかわからないけど、ハティは私に"命令"されると、とたんに動けなくなる。私、そういうスキルは持ってないはずなんだけど。
フェンリルのつがいになった伴侶特有の能力かもしれない、とハティは言う。こんな特典があるなら、狼のつがいになるのも悪くない。ていうか、つがいには望んでなるんだけど。
ハティには当然、力じゃ敵わない。でも、そういうわけで、もしもハティの理性がぶっ飛んで、私をベッドに押し倒す、なんてことになっても、「おすわり」と言えば即逃げられるってわけ。
「ララから離れるくらいなら、俺は死を選ぶ。フェンリルにとって、望んだ伴侶が得られないということは、それほどの苦痛なのだ。ララのもとを去ったあと───おそらく俺は、火の神に食われに行っただろう」
手を繋いで森を出てログハウスの前に着いた頃、ハティがぽろっとこぼした言葉に、私の背筋はたちまち凍りついた。
つまり、仮に私がアロンを選んでたとしたら、ハティは自殺してたってことだ。
「だめだめだめ、ハティは私の側にいるの。一生だよ、老衰で健康に死ぬまでだよ」
「老衰で健康にか。わかった、約束する」
きゅっと片側の口角を上げる。それは私を安心させ、とろかせる笑顔だ。未来は幸せだって、疑いなく信じさせる笑顔だ。
「ところで火の神って?」
新しい神様が出てきたことを、私は耳聡く聞き取っていた。獣の神、植物の神、水の神、火の神。頭の中のリストはどんどん増えていく。
ハティはうんと苦い顔になった。
「俺がケンカして、犬っころの姿にまで落ちぶれる原因になった神だ。普段は、龍の姿をしている」
「ドラゴンと戦ったの!?」
「もちろん勝ったぞ。俺も深手を負ったが、やつのほうが手傷は多かった。まぁすでに、回復しているだろうがな」
「月を食べて、ドラゴンにも勝って、万の生き物を配下に収める神様が私の恋人になるんだね」
ハティの腕に手を絡めて、上目遣いに言ってみる。好きな人ができたらこうするのよ、と伝授されたイヴのテクだ。こうすれば、どんな相手も顔を赤くして恥ずかしがる、イチコロよ! のはずだった。
だけど、ハティには効かないみたい。
余裕たっぷりに微笑んで、私の唇を奪っていく。けっきょく、みんなに赤面を晒すことになったのは、私の方だった。
そういえば、すっかり忘れてたけど、このキスは2度目のキス。ファーストキスは、私からだったんだ。思い出して、またぼっと頬が燃えた。
「私、ハティのこと好きだったみたい」
真っ赤な顔で報告すると、イヴは「やっと気づいたのね」って呆れてた。でも、ちょっと嬉しそう。なんだか拍子抜け。イヴにはずっと前から、私の気持ちはお見通しだったんだ。だったら、教えてくれればよかったのに。
「言ってもどうせ認めなかったわよ。こういうことは、自分で気づくことが大事なの」
そうかもしれない。今朝までの私に何を言ったところで、響かなかっただろう。なにせ、私は───もう、ホント情けない───ポンコツだから。
ビビとセオにいたっては、私達はもうとっくに"そういう関係"たって思ってたそうで、まだ付き合ってなかったことに逆にびっくりされた。
「結婚? 結婚?」
ウィルはにっこにこで嬉しそう。ウィルにとって、ハティと私は、もうずっとパパとママだった。恋人になって、将来的に本当の夫婦になるなら、それはとてもステキなことだって、感じてるみたい。
そして、アロンは……
「君がハティ様を好きだってことは、ちゃんと知ってたよ」
バラの花束の代わりにたくさんの食材を持ってやってきたアロンは、少しだけ悲しそうに言った。
「じゃあ、どうして」
続きの言葉は口ごもってしまう。
「なぜ、ふられると分かってるのに、君に告白したかって?」
はっきり言われ、私はたじろいだ。
「それでも君が好きだからだよ」
「……」
「どうしても好きなんだ」
なんで私、アロンの気持ちに応えてあげられないんだろう。それがとても悲しかった。アロンが好きだ。でも、その好きはアロンとは違う。だから私は謝ることしかできない。
「ごめん」
アロンは笑った。
「少しでも私をあわれに思うなら、ひとつだけ約束してほしいんだけど」
「なに? なんでも約束する」
アロンとずっと仲良くしていたいって願う私はずるいのかも。でも、これまで通りいっしょにいられるなら、私はわらにでもすがる気持ちだった。
「悪あがきを許して」
「悪あがき?」
「気にしなくていい、とは言わない。むしろ、私のことを気にして考えて、そうしてるうち少しでも私の方へ気持ちが傾けばいいと思ってる。知ってると思うけど、私はずる賢いんだ」
はにかむアロンに、私はこんどこそ何も言えなかった。
追手の最初のひとりが私達の『安寧の地』に到達したのは、その夜のこと。





