130 今後の方針
「襟の内側に毒を縫い付けていたらしい」
お兄様の治療を終えたアロンが、まくっていた袖を戻しながら言った。
もはやここまでと悟ったギドはあの時、服毒自殺を図ったのだった。
「お兄様は……」
二階のウィルの部屋、ベッドに横たわったギドを見る。アロンは打ち身や傷の手当もしてくれて、顔は常の美しさを取り戻しつつある。
「命に別条はないよ。いまは飲ませた薬が効いて眠っているだけ。回復には数日かかるだろうけど、後遺症も出ないはずだし……数時間後には目覚めるよ」
ほっと全身の力が抜けた。
「ありがとう、アロン」
「どういたしまして」
ふらふら足元のおぼつかない私を、ハティが椅子に座らせてくれた。頭がぼんやりしてる。張り詰めていた気分は落ち着いたけど、私はまだショックから立ち直れずにいた。
信じられなかった。ワガママで、プライドが高くて、自分のことが大好きなあのギドが、死のうとするなんて。
「それほどの覚悟を決めてきみたちを捕らえようとしてたってことだね。敵ながら大したもんだよ」
ってアロンは言うけれど……私が思ってたお兄様像とかけ離れててイマイチぴんとこない。
「しかし君はやっぱり"良い子ちゃん"だよね。お兄様からはひどい扱いを受けてきたというのに、助けたいなんて」
指摘されて、私はギクッとした。
……やっぱり、変だよね。
「自分でもゴチャゴチャしててわかんないの。大嫌いなはずなのに、許せないはずなのに、死にそうになってる姿を見たら、なんか……」
「それが血を分けた兄妹ってもんだよ。私も借金作って他国の女の元に逃げた弟を殴れなかったし」
「そういうもんかな」
「そういうもんだよ」
二人そろって苦笑する。こんなでも兄妹。どうしたって絆は断ち切れない。それが普通。そう認めると、少しだけ心が軽くなった。
「まぁ、これだけ殴られたら仕返しにはじゅうぶんって気もするけどね。ビビはそうとうキレたみたいだなぁ。何言ったんだろうね、ギドくん」
アロンが興味深そうに、傷の残るギドの寝顔を見つめた。
たしかになぁ……
正直、ギドの顔を見ても思うような怒りが沸かなかったのは、ビビがボコボコにしたあとだったからかも。
ギドに会ったら『怪力』スキルで大岩くらい投げつけてやる! とか息巻いてたけど、すでに潰れたカエルって感じのお兄様が出てきたんじゃぁ張り合いがない。
小鳥が飛んできて、ギドの枕元に小花をそっと落としていった。
「ギド兄さま……」
ウィルがおずおずと力ないギドの手を握る。本当は会わせたくなかったけど、どうしてもって押し切られちゃったんだ。トラウマ刺激されてないかな? と私は気が気じゃない。
寝室にはアロンと私、ウィルとハティの4人だけ。1階から遠慮した話し声がぼそぼそと聞こえてきた。たぶん、ビビたちが留守組(イヴと子どもたちと護衛のミア)に事情を話しているところだろう。
ぽすっとウィルが私のスカートに顔をうずめた。前より頭の位置が高い。成長したんだなぁ……
兄さまはね、とウィルは泣きそうな声で教えてくれた。
「ギド兄さまは、本当はぼくたちと仲良くしたかったんだよ。でも、義母さまが仲良くしちゃだめって言うから。ぼくたちをイジメてたのもね、『仲良くしてないよ』って見せるためだった。いっしょにあそびたくても、できなかったんだよ」
「……見えたの?」
コクンとウィルが頷く。
ギドが自殺を図ったあの瞬間、ウィルはやっぱり窓から『モウモウ』の小屋を見つめていて、そんなウィルに、スキル『真実の目』は容赦なくギドの真実を見せてしまったらしい。
「ぼくは姉さまがいたからさびしくなかったけど、兄さまにはだれもいなかったの。義母さまにホントの気持ちは言えないし、父さまはむずかしいお話しかしてくれない。ずっとつらかったの。だれにも言えなかったの」
スキルのせいで、ギドの感情が流れ込んでしまってる。スキルも良し悪しだよなぁ。
耐えながら泣くウィルを、私は柔らかなスカートの生地で包んだ。
「もういいよ、ウィル」
「ぼく、兄さまと仲良くなりたい。たくさんお話したい」
「そうだね。お兄様が起きたらお話しよう。いままで話せなかったぶんも、たくさん」
──あれ? ウィルを落ち着かせるためにとりあえずそう言ったのに、なんか、本当にお兄様とたくさん話したい気がしてきた。
『ギド兄さまは、本当はぼくたちと仲良くしたかったんだよ』
スキル『真実の目』が見せるものはぜったい。てことは、ウィルが見ちゃったギドの気持ちは紛れもない真実なんだ。
ワガママで、プライドが高くて、自分が大好きで、すっごく意地悪。お兄様のことはよぉく知ってると思ってた。
だけど、好きな食べ物は?
嫌いな食べ物は?
学校はどう?
どんな本を読むの?
何をしてるときが幸せ?
友達は?
好きな人はいる?
──私。私、ギドのこと何にも知らない。
ウィルが握りしめたギドの手が、ピクッと一瞬動いた気がした。
◇ ◇ ◇
「さて、ギドの身柄をどうしましょうか。人質としての利用価値はないようですが」
何か問題が起きたときの定番。大人は紅茶、子どもはオレンジジュースで食卓を囲んだところでアロンが議題を投げかけた。ギドが跡継ぎをおろされた捨て駒だ、と教えられてアロンはがっかりしてる。
すぐに話を引き継いだのはハティだ。
「コーネット伯爵はなかなかに激しい気性の持ち主だ。手ぶらで帰したら、腹いせにギドを殺すくらいするだろう。そうしてますますウィルに執着する」
「それは困りますね。コーネット伯爵には、ララとウィルを諦めてもらわねばならないのに」
「ギドは悪者でしょう? 役に立たないなら追い出せばいいわ。家に戻ったら殺されるかもしれないけど、それが何? これまで悪いことしてきたんだから、因果応報ってやつでしょ」
イヴの発言に、ハティが眉をひそめた。
「ララとウィルの実の兄だぞ」
「だから何よ」
「本気で言っているのか」
「何よ、あなただって前は言ってたじゃない。ララとウィルが受けた傷の分、百倍にしてヤツを傷つけ返してやりたいって」
「思うのと実際やるのとは話が違うだろうが」
「ややこしくてわたしには分からないわ」
「落ち着いてください。決めるのはララとウィルくんです」
アロンが私とウィルに向き直った。
「君たちはどうしたい?」
ウィルと顔を見合わせる。気持ちはもう決まっていた。
大きく深呼吸する。
「私は……お兄様を帰したくない。お兄様にはいっぱい嫌なことされたけど、死んでほしいって思うほど恨んでないもん」
「ぼくも、兄さまを助けたい」
うん、見殺しにするのはさすがに寝覚め悪いしね。しかもウィルからあんな話聞いたあとじゃあ……
アロンはメガネの奥からしっかり私たちを見定めた。「わかった」とゆっくり頷く。
「ではその方向で、私は君たちに協力する」
「ちょっとアロン!」
言い切ったアロンに、すかさずイヴが噛み付いた。
「あなたまで何を言い出すの! ギドは昨日まで敵だったのよ!? そんなのを家に置いておくなんて信じられない!」
「昨日の敵は今日の友、ですよ。ギドは親玉(コーネット伯爵とボルドー侯爵)に最も近い敵でしたから、有用な情報もたくさん持っているでしょう。寝返ってくれればこれほど心強いことはないですね。そしてウィルくんの『真実の目』によれば、彼がこちらにつく可能性は非常に高い」
「でも、万が一ってことも……」
イヴの反論は尻すぼみになっていった。ウィルにスキルをあげたのは自分で、スキルの能力に絶対の自信を持つイヴだ。『真実の目』で見えたことを否定はできない。
「ララはこれまでのこと、もういいの? せっかく仕返しするチャンスなのに」
ビビが聞いてくれるけど、私は苦笑して首を振った。
「仕返しはじゅうぶんビビがしてくれたから」
でも、ビビはあまり納得いかないみたい。
「誰にでも親切なのはララのいいところだけど、さすがにもっと人を選んでもいいと思うぞ。私だったら兄上たちを徹底的に叩きのめしてるとこだし。うん、少なくとも国外追放にはするな」
「差し出がましいようですが、私も甘いと思いますわ」
シュガの護衛、ミアも控えめに意見を述べた。
「人間は何度だって裏切る種族ですわ。一度許せばつけあがる。そしてまた過ちをおかすのよ」
「んな言い方。俺たちも一応人間なんすケド……」
セオの独り言に、ミアはつんと顔を背けた。人間がエルフを狩ろうとして戦争が起こったのは数百年前。その頃生きてたエルフはみんな死んじゃったから現代のエルフは人間を恨んでないって族長さんは言ってたけど……そうでもないみたい。少なくともミアは人間が嫌い。
変な空気になる前に……私が言葉を引き継ぐことにした。
「ミアの言うことも一理あると思う。正直、私もまだお兄様を心から信じることはできない。だってまだ、お兄様の気持ちを直接たしかめてないし。まずは話してみるよ。お兄様が起きたら、ウィルといっしょに。もしもお兄様に怪しいところが少しでもあれば、すぐに家から追い出す。約束する。でも、お兄様がここに居たいって、私たちの味方になるって心から言ってくれたら……そのときはみんな、どうかお兄様にチャンスをください」
そう言って頭を下げる。ウィルがとなりで慌てて私を真似るのがわかった。
「ララ」
ほっぺを柔らかく包まれ顔をあげると、ハティが椅子の前に片膝をついて私を見上げていた。灰色の目は澄み切っている。
「好きにしたらいい。ここはララの家なのだから」
ハティの声って、どうしてこんなに安心するんだろう。私を包む手に、思わず猫みたいにすり寄ってしまう。長い指が驚いたようにピクッと動いたけど気にしない。……はぁ、大好き。
「まーね、ララはそういう子だよ。問題児ばっかり抱え込んで。もう、仕方ないなぁ」
「うちの戦力ならいっこくらい毒を抱え込んでも何も問題ないっすよ」
ビビとセオが困ったように、だけど前向きに協力を申し出てくれた。
すると、部屋の隅で様子をうかがっていた小鳥や猿やうさぎ、小動物たちもピーチク鳴いて、ウィルが訳してくれる。
「"ギドの見張りはまかせろ! 変な行動とったらすぐに報告してやるぞ!" だって!」
「けっきょく、どうゆーこと?」
オレンジジュースを美味しそうに飲みながら、シュガがこてんと首を傾げる。だーかーらー、とリアム様が偉そうに解説を始めた。
「ウィルの兄さんは悪いやつだったけど、これから改心するかもしれなくて、なのに作戦が失敗したからって殺されるかもしれない実家に帰すのは可哀相だろう? だからとりあえず、この家で保護するわけ」
「それでぼくらはどうするの?」
「決まってる。レインボーナイツは囚人の見張りに徹する。今度自殺しようとしたり、逃げ出そうとしたり、ウィルに危害を加えそうになったら正義の剣をもって阻止するのだ!」
「おっけい。理解した。ぼくそういうの得意」
シュガは可愛い顔に似合わず、悪い顔でにんまり笑った。……何する気だろ。
スゥベルはこの場にいないから、残るはムスッと不機嫌なイヴだけ。
「イヴ」
「わかったわよぅ」
ハティにうながされ、最後にはイヴもしぶしぶだけどギドの滞在を認めてくれた。
「ただしギドに優しくしてやることはないからねッ。まったくもう、みんな甘すぎるのよ」
私はウィルと顔を見合わせてくすくす笑った。相談できる人がいるって、支えてくれる人がいるって、素敵なことだね。
「みんな、ありがとう」
それから改めて心からお礼を言った。





