107 きな臭い噂
コケコッコー! と元気な鶏の鳴き声がして、ぱっちり目を覚ます。
昔、前世ってことだけど、私の家は小学校の近くにあって、毎朝5時ピッタリに飼育小屋の鶏が鳴いていた。まだ1時間は寝てられるのに、おかげで私はしたくもない早起きをするはめになる。
鶏ってなんで朝に鳴くの?
文句たらたらの質問にママは答えた。
鶏はね、オスが鳴くの。朝早くに鳴く理由は、その時間、世界が静かだから。遠くにいるメスまで自分の声が届きやすいでしょ。つまり、あの鳴き声は求愛行動なのよ。朝早くから情熱的ね。
そういえばママって、こういう人だった。夢見がちのお姫様みたいで……私の憧れ。
いまうちにる7羽の鶏は、オトヅキの街で買った子たち。みんなメスのはずだけど(卵産むから間違いない)、この声はどこか遠くにいる雄鶏の鳴き声なのかな? 中立の森に野生の鶏? うーん、魔物にすぐ食べられちゃいそうだけどな。それでも生き残ってるなら、その雄鶏も相当強いってことになる。
牛に似た魔物『モウモウ』がいるくらいだから、鶏に似た魔物もいるかもね。
で、我が家のオスはといえば……
「………」
祈りのポーズみたいに胸の上で手を組んで、すやすや寝てる。昨夜毛布で作った"仕切り"から一切はみ出さずに。私はちょっとムッとして、見るからに滑らかそうな頬をつついてみた。
わ、何これホントにすべすべ! つんつん。
「スキンケアは何を使ってるんですかー? あ、"ララさん印"のオリーブオイルですね! あそこはいい商品を扱いますよね〜、店主も超絶美人だし?」
なんてしばらく遊んでてもハティはまったく起きない。むー。
「……どこかの情熱的な雄鶏さんに負けてますよー、いいんですかー」
前髪をかきあげて、現れた額に軽くキスしてみた。それでも起きない。いや、少し顔が赤くなった気がするけど……気のせいだね。日の光の具合で、こう……。急にドキドキしてきた。
とりあえず、逃げよう。うん。
バタバタ居間に出ながら思った。
何やってんだろ、私。欲求不満?
ここに来て立場が逆転してる気がする。
前はハティがグイグイ来て、私は戸惑ってあたふたしてたけど、最近のハティはなぜか"健全な姿勢"を貫いてるから……
「物足りなさを感じてる私はエッチな子、なのかな」
「姉さま」
「ひぃあっ!」
急に呼びかけられて、私は飛び上がった。
「ウィル、おはよう」
さっきの独り言、聞かれてないよね? 嫌にドキドキしていると、ウィルが腕の中に飛び込んでくる。……あれ? どうしたんだろう。ネグリジェをつかむ手に力がこもってる。
「姉さま、きのうおへやにいなかった」
「きのう……? ああ、1階の寝室に移動したから」
アロンが出ていく前のレベルアップで部屋数が増えて、私たちは女子男子別れての二人部屋からそれぞれ一人部屋になった。イヴは相変わらずソファのある居間を自室みたいにしてるけど。
3階の右部屋がセオ、左がビビ。
2階の右部屋にウィル、左が私。
1階の続き部屋にハティ。
ウィルは昨夜、私の部屋をたずねたらしい。でも、ベッドはもぬけの殻だった。
「ぼく、姉さまがひとりじゃさびしいかなとおもって」
くすり、と思わず笑ってしまう。私たちってやっぱり姉弟だね。ひとりで寂しいのは、きっと自分の方なんだ。
ウィルも、セオと離れていきなり一人部屋に戻ったから寂しかったんだね。それで、姉のぬくもりを求めたと。愛い!
「じゃあ、今日はいっしょに寝よっか」
「うん!」
満面の笑顔で返事をしたウィルだけど、
「べつに、ねてあげてもいいよっ」
すぐに唇をすぼめてふいと顔をそらしてしまう。
私は口元をおさえて床に倒れ込んだ。
ツンデレか! 天使にツンデレ属性付与したらだめだって。死ぬって。尊すぎて!
「姉さま、おやさいとりに行くんでしょ」
「うーん、あともうちょっと」
うりうり、ウィルをハグしていると、ふいに窓の外から馬のいななきが聞こえた。
これって、植物馬の声だ! ウィルと顔を見合わせる。もしかして、アロンが帰ってきた?
ネグリジェのまま冷たい外の空気の中へ駆け出る! ……けど、違った。いや、植物馬はいたんだけど、アロンはいなかったんだ。
なーんだ。がっかりする私たちに、今日も植物か馬かよくわからない"植物馬"のズィは渋い声で言った。
「アロンどのからお届けものですよ」
驚いたことに国へ帰ったあともアロンとズィは親交があって、時々近くの森でごく短い時間会ってるんだって。足の早い植物馬で駆け、政務の疲れを癒やしている。
毎週、街とログハウスを往復する間にふたりはすっかり意気投合してたんだ。
ズィは背中にくくりつけられた荷物を私に取るよう言った。重そうな麻袋に木箱(『怪力レベルMAX』を持つ私にはへっちゃらだけど)、朝露に濡れないよう何重にもなった革袋には、
「てがみだ! "ウィルくんへ"って書いてるのもあるよ! よんでいい?」
許可を出すと、ウィルは大喜びで封を切り出した。残りの封筒を見ると、私宛のもある。真面目な性格を表したような、丁寧な字。アロンが出ていってまだそれほど経っていないのに、もうその字が懐かしかった。私の心情を察してか、ズィが気遣ってくれる。
「あの方は相変わらずお元気ですよ。お口の方もね」
「うん、だろうね」
思ったとおり、アロンは元気に部下をしごいているらしい。"無能な文官連中"についてズィにあの超毒舌で愚痴りながらも、彼らを首にしたりせず、着実に鍛え上げている。
アロンが教師として優秀だってことは、私もよく知ってる。生まれたての赤ちゃんみたいに無知だった私みたいな生徒も、いっぱしの常識人に育て上げるんだもん。
アロンなら絶対、領地改革をやり遂げる。
「またお昼頃にうかがいます。よければそのときに、返信の手紙をあずかりましょう」
「いいの? ありがとう!」
ズィの提案をありがたく受けた私とウィルは、さっそく居間に戻って手紙を書きはじめた。
なんて書こう。そう、まずは、侯爵家のごはんはやっぱり豪華で美味しいですか? っと……
アロンの手紙には、無事に実家へ到着したこと、叙爵を受けるため、これから王城へ向かうことが書かれていた。
あと、執事のミカエルから、帰還を泣いて喜ばれたことも書かれてた。あれから数日泣き続けているから、煩わしくてかなわないって。
文面は明るかった。
アロンは自分で定めた未来へ、着実に進んでる。
「何やってんだ、こんな朝早くから」
視界の端でぼっと暖炉の火が燃える。見ると、セオが薪をくべたところだった。冒険者装備をきっちり着込んでる。これからビビと"朝練"に行くんだ。
「アロンから手紙が来たの。セオ宛もあるよ」
ビビはまた寝坊かな? と思ったら、イヴといっしょに箱をあさっていた。アロンから送られてきた木箱だ。
「『猿でも失敗しないはじめての料理』『絶対に失敗しない料理術〜第1巻・レシピに従え〜』……あいつ喧嘩売ってんのか?」
暖炉のえじきになるところだった数冊の本は危機一髪! セオによって助け出された。よかった。ビビにはぜひ真摯にその本と向き合ってもらわなきゃ。
いっぽう、イヴは見つけたお菓子をもしゃもしゃやってる。
「やだ、こっちも美味しい。これも。うわーん、どうしましょう! 太っちゃうわ〜! いえ、私は細いってウィルくんが言ってたもの。これくらい食べてもなんでもないわ。またよこせって手紙に書かなきゃ」
ふいに、肩が重くなった。確認して、ドキンと心臓が跳ねる。ハティが毛布をかけてくれたんだ。
「まだ寝間着のままではないか。このように薄着では風邪を引く。以前のように倒れられては、かなわんぞ」
不機嫌に寄せられた眉の下、灰色の瞳と一瞬だけ視線がぶつかる。
「おはよう、ハティ」
なんとなく目を合わせられないのは、寝込みを襲った罪悪感からかな? それとも、バレてないかドギマギしてるせい?
「前に倒れたのは、ジャイアントベアーにやられた傷のせいでしょ。風邪を引いたわけじゃない。ていうか、私、風邪引いたことないし」
それに、いつでも最適温度を保ったこの不思議なログハウスの中にいて、風邪を引くってのはありえない話。
そういえば、アロンに言われたっけ。馬鹿は──
「馬鹿は風邪を引かない」
びっくりした。ちょうどその言葉を思い出してたから。引かないというか、引いたことに気づかないんだって。
不在者の代わりに私をからかったのは……ハティだった。
「薬師が言っていのを思い出してな」
「私、馬鹿じゃないもん!」
すると、ハティは私の耳元でこっそりつぶやく。
「寝込みを襲うのは大馬鹿者がすることだぞ」
バレてる……!
耳の先まで熱くなった。恥ずかしくて逃げたいのに、ハティはそれを許さない。手首をつかんで勝ち誇った顔で言ったんだ。
「心配せずともそのうち喰ってやる」
ぎゃー!
べ、別に心配してないし!
私にあんまり興味なくなったのかな、とか。私に拒絶されすぎて面倒くさくなっちゃったのかな、とか。そんなことちっとも、これっぽっちもね!
「強い武器と防具がほしいです。送ってください、っと。よし、書けた!」
呑気なビビが羨ましくなった。だって、きっと、セオはビビにこんないじわるしない。
「姉さま、おかおがまっかだよ?」
「もう今日からはずっと、ずーっとウィルといっしょに寝る!」
「えぇっ! うーん、でも、ハティがないてるよ」
「嘘泣きだから無視しなさい」
そうだ、アロンの手紙にはひとつ、気になることも書かれてたっけ。
──まだ調べている途中だから詳しいことは言えないけど、きな臭い噂がある。
用心に越したことはないから、しばらく街への買い物は控えなさい。
きな臭い噂って、なんだろう?
次話は11月26日・木曜日に投稿します!