あの日に....
お盆を前に何となく書いてみました。
「あれ?」
私は不思議な浮揚感に目覚めた。
おかしいないつものように眠っていたはず?
「そうか私死ぬのね」
私は納得する。
最近体の調子が悪く病院に行こうか迷っていた。しかし自暴自棄になっていた私は病院に行かずに死を願った。
「願いって叶うものね」
思い返せば私の人生は自業自得と言う言葉が見事に当てはまる。
大好きな人と結ばれ理想の家庭を得ながら自分の最低な行為で全て壊してしまった。
私は力を振り絞り枕元に置かれていた写真を手にする。
それは私が幸せだった頃に家族で写した写真。
私と夫、そして小さな私達の2人の子供達。
遊園地で撮った写真だ。
「あなた...祐輔...夏海...ごめんなさい...」
私の目から涙が溢れた。
気づくと私は空中に浮いていた。
下を見ると布団から這い出て写真を手に事切れた私が見える。
酷い顔だ。まだ40代というのに肌はガサガサ、髪は白髪の方が多く伸ばし放題。70代の老婆にしか見えない。
土気色の顔色が死んだ事を実感させた。
意識が薄れ行くのを感じる。
『これが走馬灯か...』
私の頭の中に幼少期の風景が浮かんで来た。
私は建築業を営む家に生まれた。
体の大きな逞しく頼りがいのある父。
父を支え会社の事務に、帳簿にと忙しくしながら私達に精一杯愛情を注いでくれた母。
6歳下で私をいつも慕ってくれた優しく可愛い妹。
そして私が一番好きだった祖母だ。
『裕子、好きな人と添い遂げるんだよ』
祖母の口癖だった。祖母は戦争で祖父を亡くし女手一つで私の母を育てた。
母は祖母の教えを受け父を深く愛し父も母を深く深く愛していた。
場面は変わり私は大きくなり高校生になった。
楽しい高校生活。懐かしい仲間と部活。
そして私は運命の人と出会う。
彼は私の初恋の人、そして彼は私の恋人となり、私は彼の妻となった。
大学を卒業して2年後私達は結婚式を挙げた。
『裕子、一生添い遂げるんだよ』
すっかり老いた祖母は私の手を取り涙を流した。
『うん、分かってるよ。おばあちゃん』
ウェディングドレスを着た私は祖母の手を握りながら頷いた。
横で夫は優しく微笑んでいた。
安心した祖母はそれから程なく亡くなってしまった。悲しみに沈む私を夫が優しく労ってくれた。
その後私達夫婦に2人の子供が授かった。
祐輔、夏海と私達は名付けた。
2人共凄く可愛くて私達は幸せの絶頂だった。
そんな時、私は生涯最大の過ちを犯してしまった...
あの男は私の勤める会社の得意先の営業マンだった。
『僕も裕子ちゃんと同じ高校に行ってたらチャンスがあったのに残念!』
同い年のその男は他愛もない事から言葉巧みに近づき気を許した頃私は甘い言葉を囁かれ...私は夫を裏切った。
夫だけでは無い子供達を家族を全て裏切り私は不倫にはまって行った。
夫は私に優しく声を掛けるが不倫に心を奪われていた私は煩わしくなって冷たくあしらう。
やがて家族旅行や子供達の誕生日もすっぽかし私は益々不倫にはまって行く。
そんな生活が2年続いた。
『やっと妻と離婚が成立した。俺と一緒になろう』
あの男の言葉に私は舞い上がり夫に離婚を迫った。(不倫を隠して性格の不一致で押し通した)
夫は驚いた顔で私を見て離婚を思いとどまるように説得する。しかし幸せを邪魔する障害にしか夫を感じなかった私は振り切るように離婚届けにサインをさせて私の実家の反対を押し切り離婚届けを役所に提出した。
こうして夫は元夫となった...
出会って12年、結婚生活6年の呆気ない幕切れだった。
不倫の事実は隠していたので慰謝料を払う事もなく財産分与を半分受け取った日あの男と祝杯を挙げた。
子供達は夫の元に置いて来た。
不倫にはまっている間に夫は私の実家で子育てをしていた。そうして育児実積を積まれて親権は諦めるしかなかった。
私は自分の実家からも絶縁された。夫は私の家族からとても大事にされていたからだろう。
『養育費は不要、しかし面会は認めない』
離婚前とうってかわり冷たい態度の夫から言われた時も私は気にせずあの男と喜んだ。
『家計が助かる』...愚かだった。
『また子供は作れば良い』
簡単に考えた。何故なら不倫期間の間に2回私はあの男の子供を堕胎していたからだ。
(中には夫との子供がいたかもしれないが)
そうして始まった私の2度目の結婚生活。
楽しかったのは最初の半年だけだった。
背徳感が無くなった私は急速に冷めていくのを感じていた。
あの男もそう感じている様だった。
減る会話、味気ないセックス。気がつけば何も無い私。
子供は中々妊娠しない。あの男と前妻には子供は無かったのが表向きの離婚原因だ。あの男の子供が出来ないとなるとあの男の実家から私への風当たりが強くなる。
不安になり婦人科に行った。
2回の堕胎が原因で不妊と診断された。
『子供に会いたい...あの人とよりを戻したい』
私は気づくと2年振りに離婚前まで家族で暮らしていたマンションの玄関に立っていた。
震える指先で呼び鈴を押す。
(どんな顔をして会おう?)
(子供達は大きくなったかな?)
私の心は期待と不安で張り裂けそうだった。
『どちら様ですか?』
扉が開いて中から出てきたのは見知らぬ女性。
話を聞くと空き部屋だったこの部屋に1年前家族で引っ越して来たという。
話を聞き終えると私は慌ててその場を立ち去った。
その後夫の職場を訪ねると2年前に退職していて私は全ての手掛かりを失っていた。
(共通の友人からも私は絶縁されていた)
『香織に電話しよう』
私は妹の携帯に電話をした。
私の携帯からしたら着信拒否される恐れがあったので公衆電話から連絡をした。
幸いにも会ってくれる事になった。
『用と言うのは?』
待ち合わせた喫茶店。久し振りに会う妹は私の知る妹では無かった。
顔を見て涙ぐむ私を心底軽蔑した眼差しで見つめる。
(私の離婚を最後まで反対したからだろうか)
『あの人に連絡を取りたいの、香織知らない?』
『あの人?』
香織は眉を上げて聞き返す。不快感を露にした態度に私は怒りを覚えた。
『裕一さんよ!あなた知ってるんでしょ?教えなさい!』
思わず声を荒らげてしまう。考えてみれば妹を怒鳴った事なんか一度も無かった。
『...教えるもんですか...』
香織は怯むことなく私を睨み返した。
『何ですって?』
『浮気して家族を...裕一さんや祐輔ちゃん夏海ちゃんを棄てたあなたに誰が教えるもんですか!』
香織の怒声に私は全身の血が引くのを感じた。
『何の事よそれ...』
私は咄嗟に言い訳を考えるが上手く言葉にならない。
『裕一さんは全て知っていたのよ!あんたの浮気も家族旅行をすっぽかして浮気旅行に行ってた事、子供の誕生日に残業と嘘をついてラブホテルに行ってた事も全部よ!』
『う、嘘...』
『嘘なもんですか!あんたの態度が変わったので裕一さんは興信所に依頼したのよ!』
『な、何故裕一さんは私に言わなかったの...』
『取り返したかったって』
『取り返す?』
『あんたが浮気相手と別れて裕一さんの...家族の元に帰って来る事を信じていたのよ!帰ってきた時に時浮気の事であんたが肩身を狭くなるのが可哀想だから黙っていたのよ!裕一さんあんたの為に旅行の計画建てたり誕生日プレゼントを贈ったりしてたでしょ?』
『う...』
私は思い出した。あの人は離婚の1年前から私を旅行に誘ったり私の誕生日や結婚記念日にプレゼントをいつもより少し高い物を贈ってくれたんだ。
『思い出したみたいね』
私は最早顔を上げる事が出来ない。
『あんたが旅行当日に仕事が入ったと言ってドタキャンして浮気相手と旅行に行った事やプレゼントを質屋に入れた事を思い出したみたいね!』
『それは...』
『裕一さんから聞いたんだよ、あの人は最後まで言わなかった。でも離婚後に届いた最後の興信所の報告に違法に2回も堕胎したって書かれていた時に私達家族に全てを明かしたのよ!涙ながらによ。
[僕が早く浮気を裕子に言って離婚していれば子供は妊娠しなかったのに!命が失われなかったのに!]って...』
ここで私は違和感を感じる。先程から妹は裕一さんと呼んでいる。確か私が結婚していた頃は義兄さんだったはずだ。裕一さんなんて親しげに呼ばなかった。
香織は昔から裕一さんを慕いとてもなついていたことを...
『香織...あなたまさか...?』
『ええ裕一さん家族と4人で暮らしているわ。でも安心してあんたみたいに肉体関係は無いから。あくまで祐輔ちゃんと夏海ちゃんのお母さんの代わりよ。あんたは死んだ事になってるからね』
『ふざけるな!裕一さんを返して!』
私は激昂して妹に殴り掛かった。
妹は抵抗せずに黙って殴られていた。
喫茶店で最初から注目を集めていた私達だ、殴り掛かった時点で周りの客や店員に私は取り押さえられ警察に連行された。
妹は歯が数本折れていて私は傷害容疑で立件された。
私の実家から改めて絶縁され子供達の母代わりの妹を傷つけた元夫の怒りにより離婚の原因となった不倫の請求までされてしまった。
慰謝料の時効は3年でまだ消滅して無かったのだ。
突然の慰謝料にあの男は私に暴行した。
『俺の復縁まで台無しにしやがって!バレちまったじゃねえか!!』
そう叫びながら私を殴り続けた。何て事は無い、あの男も前妻と離婚してからも連絡を取り合っていた。私と別れて復縁を狙っていたのだ。
この件で私はあの男の前妻から慰謝料を請求されあの男とも別れた。私には2つの離婚歴と慰謝料だけが残った。あの男は元夫に慰謝料を払う事なく行方不明となった。
私は1人暮らしを始めた。
パートタイマーとして働きながら生活を切り詰め僅かな蓄えを慰謝料としてあの男の前妻に払い続ける日々。
やがて全てを払い終えた時私に手紙が届いた。
差出人はあの男の前妻からだった。
あの男は復縁していた。前妻に慰謝料を払い頭を下げて復縁していた。
更に私があの男の前妻に払った慰謝料は元夫にあの男からの慰謝料として振り込まれていた。
手紙の最後にあの男と子供が出来た事が書いてあった。
私の家庭を壊した男は元通りの家庭が新しい家族と共に出来る。
(私の自業自得にしてもあの男さえいなければ私は!私は!!)
私は激しい憤りに堪えきれずあの男の前妻の自宅に走った。
そこはもぬけの殻だった。
脱け殻になりながらも私は(元)夫に慰謝料を払い続け数年後漸く払い終え最後に私は(元)夫に弁護士を通じて面会をお願いした。
しかし弁護士を通じて返ってきた答えは拒絶。代わりに今まで私が払い込んだ慰謝料まるまる入った通帳と家族写真1枚。そして手紙が3通だけ届いた。
私はあの人の手紙を開いた。
[裕子。
慰謝料は返す。
お前はお前の人生を生きろ。
裕一]
それだけ書かれていた。
両親からの手紙には
[お前が裕一君や孫に背負わせた傷は私達家族で癒して行く。
お前は好きにしろ。
但し家族の前に一生顔を出すな]
そう書いてあった。
最後に妹からの手紙を開く。
[裕一さんの傷はまだ消えない。
私達家族が、私が一生賭けて癒す。
あなたは要らない。
写真を送ります。意味は自分で考えて下さい]
そう書いてあった。
それが枕元に置いていた写真だ。
不倫の始まる直前。あの男のアプローチを適当に逃がしていた頃。
写真に写るのは最愛の家族。自分から棄てた家族、もう戻る事のない、未来を、先を見る事の無い家族の写真...
私は絶叫した。私の周りの部屋から苦情が来たが構わず、喉が枯れても叫び続けた。
それから10年...気がつけば40代の後半になっていた...
『皮肉だな、走馬灯の思い出が楽しい事より悲しい事ばかりじゃない...』
ますます薄れ行く意識...もう朧気な私はいつの間にか外に、空に向かって浮かんでいた。
『裕子...』
僅かな意識の中で聞こえた懐かしい声
『裕子....』
『おばあちゃん!!』
『裕子...戻りたいかい?』
もう私の目は何も見えない。ただ僅かに聞こえる懐かしい祖母の声。
『戻りたいよ!おばあちゃん私戻りたいよ!』
私は最後の気力を振り絞り叫んだ。
『裕子....』
真っ暗な視界が突然明るく光り...
私の意識は消失した。
濱井裕子の遺体はアパートからの異臭の連絡を受けた管理会社の人と警察が発見した。
死後1週間が経過した遺体は夏の暑さによる腐敗が激しく直ちに検死の後火葬された。
検死結果病死と判断された濱井裕子の遺骨は連絡を受けた妹が引き取りに来た。
その後部屋に残った僅かな遺品整理や特殊清掃等の後始末を業者に任せて料金の支払いを終えると帰って行った。
その後濱井裕子の遺骨はどうなったか誰も知らない。