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 日曜日は、時間のある限り読書をした。


 しっかりと朝食を取り、ついでにピザを注文してつみまとし、それから正午には母の作る豪勢な昼食にありついた。午後の三時に、母を訪ねてやって来たママ友達から、シュークリームをお裾分けしてもらい、菓子袋を三つと冷蔵庫に残っていたスイカも食べた。その間、ほぼずっと本を読んでいたのだ。


 私は夕食前に風呂を済ませると、二階へと上がってラジオをつけて読書を再開した。

 いつも日曜日の午後五時十五分から六時まで、私は『ノリフミとノリコ』の番組を聞く事が日課となっている。地元の情報番組で、リスナーからの手紙を読み上げながら『ノリフミ』と『ノリコ』が、楽しい会話を繰り広げていくのである。


 私自身は手紙を出した事はないが、語り手である二人と、まるで顔も住所も知らない視聴者と、お喋りを楽しんでいるようで好きだった。ずっと番組を聞いていると、常連のニックネームがだいたい分かってきて面白くもあった。


 男性で、いつもこの時間帯に車に乗っているというのが『カバさん』。家庭のちょっとした事を述べつつ、話題の大半が五歳半になる娘との触れあいになるのが『ミチハ五十号線さん』。

 去年受験を経て、第一志望の高校へ通っているのが『川のミドリさん』。就職活動二年目と主張する、とてもユニークな文章を書く『トラキチ三郎さん』……。


 皆日常のふとした珍事を述べるので、聞いていて飽きないし、それが常連の誰々だと分かると、面白さはより倍増する。おかげで、たびたび私の腹筋は崩壊した。


『なるほどね。ふむふむ、想いを寄せる先輩と最後の試合ですか。若いですね~』

『おや、ノリコさんにもそんな時代が?』

『うふふふ、甘いモノクロの思い出ですよ~』

『おっと。これ以上言っちゃうと僕ら二人の年齢がばれそうなので、続いてペンネーム【二十五点さん】からの投稿をお読みしましょう』


 私は、思わず本から顔を上げて、ラジオの方を振り返っていた。自分が塀に書き残した単語が出てきたので、もしや、と不覚にも胸が高鳴ってしまったのである。


 聞き耳を立てていると、それは中学のテストで二十五点を取ってしまった、というなんでもない投稿内容から取って付けられた、一時的なペンネームだと分かった。

 なあんだ、そんな事か、と思ったのは束の間で、なんと応用問題と作文だけでその点数を取ったという内容に差しかかると、私の好奇心はすっかり動いていた。


 私は、ラジオに耳を寄せて「むふふふ」と笑って肩を揺らせた。自分の地理のテストも、そんな感じだった事を思い出したからだ。


「二十五点ね、二十五点。確かに、俺のテストの点数も『二十五点』だった」


 当時の私は、北海道と沖縄と青森の三県ばかりしか答えられなかった。あとは、新しく担任になった先生の名前をフルネームで書く、というボーナス問題が正解して、それらの合計が二十五点だったのだ。


 歯を噛みしめて笑いを潜めようとすると、口から「むふふふ」と妙な笑い声が出そうになったので、私は開いた本で口元を覆うしかなかった。


 二十五点、という数字繋がりのせいか、またしても不思議と例の住宅街にある空き地の塀が気になってきた。続いての落書きボーイの、次の行動に興味が引かれたのである。

 前回は英語できたが、今回は更なる進歩や変化はあるのだろうか?


             ※※※


 だから翌日の月曜日、私はいつものように通勤する父に途中のビルまで送ってもらった後、そわそわ――というよりは、うきうきとして仕事に励んだ。


 この時は確信のような「何かあるぞ」という期待感が胸に満ちていた。


 落書きボーイが怒って、私の白いスプレーの上から元の色を塗り直し、二十五点の字を消しているなどという至極単純な行動推測は浮かんでこなかった。落書きボーイは、あの『ノリフミとノリコ』のラジオのように、私の中ですっかり常連としてその名を連ねているようだった。



 私は、メス犬だと判明した『白太郎』の本日の髪型も気になり、午後五時二十分きっかりにビルを出た。



 いつもの『真和志さん』宅ではなく、その手前にある個人住宅の空き駐車場に、あの『おっさん鳩』が暑さにだらけて座り込んでいた。その光景を見てようやく、私はアスファルトを焼くような熱さに気付いて、せかせかと足を進めていたせいで額に多く浮かんだ汗を拭った。


「やあ、今日もだらしなく羽を広げているね」


 私がそう言って、世にも珍しい鳩の態度を眺めていると、彼は「しようのない熱さなんだよ」と言葉を返すように目を細めた。

 どうやら『真和志さん』宅の駐車場には、まだ日中の熱気が残っているらしいなぁ、と私は勝手な想像から推測して通り過ぎた。


 すると、いつもより早く来たためか、いつも彼が居座っている『真和志さん』宅の駐車場に『兄貴分鳩』を見つけて、私はちょっと驚いてしまった。

 そうか、この時間までは奴の場所ってわけだなと一人納得していると、十円ハゲのような白い模様を持ったいかついその鳩が、上品に座り込んだまま無愛想に一声鳴いた。想像していたより穏やかな、澄んだ高い声だった。


 辿り着いた例の空き地の塀は、また白く塗り潰されて、次は黒のトライバルデザインが描かれていた。


 黄色で縁を丁寧に囲っており、軍人が腕に彫っているタトゥーのような威圧感が角を張って主張していた。ご丁寧に影の強弱まで書き足されていて、まるで浮かび上がっているようにも見えるが、やはり閑静な住宅街には相応しくない。


「まあしかし、落書きボーイも少しは意識して描いたか、まるで腕を上げたみたいじゃないか」


 私は、そう正直な感想を口にした。デザインは、柄がごちゃごちゃと込み合ってはいないし、いかにも反抗心旺盛のトゲトゲとした個々バラバラの主張も、息を潜めている気がする。

 逆に、トライバルという様々な形を組み合わせた事によって、新しいデザインがそこに生み出されたような感じはあった。これが車やアクセサリーについていれば、さぞかし格好良いという目で、周りからは見られるのだろう。


「しかし、やはりまだ駄目だぞ、落書きボーイ。場所を考えなくちゃいかん」


 このペイントが夜道にぼんやりと浮かんでいると、女性や子供は危機的意識を呼び起こされそうじゃないか。

 ここは危ない取引や犯罪が行われる場所でもないし、あえて言うと格好良くていかつい兄ちゃんやおじさん等が、常日頃から通る場所でもないのだ。


 白いスプレー缶を取り出して慣れたように振ったあと、私はペイントの上から、再び軽く左右にじぐざぐの白い線を引いて、その下に空いたスペースに「四十点」と記した。

 私がスプレー缶を鞄に戻して悠々と歩き出すと、待っていた白太郎――女の子だが、まあいいか――が柵に鼻を押し付けて「くうん」と鳴いた。彼女はまた柵に両手を当てて立ち上がって見せると、私に向かって、ふさふさとした尻尾を何度も振ってきた。


 今日は頭の左右にリボンがされており、なんとピンクの首輪が桃色のレース付きに変わっていた!


 私は心の中で大笑いし、外には出さないように腹の中で悶絶した。「お前にはきっとレースの服だって似合うだろう」と告げると、白太郎は肯定するように「わんっ」と楽しげで威勢の良い一声を放った。


 自分の台詞がまたドツボにはまって、私は夕方からは家に入れられるに違いない、その可愛い番犬に別れを告げて早々に帰路に戻った。歩いている間、どうにか笑いを腹にねじ込んでいたのだが――、


 玄関先で、何故か頭に白い花を差している仏頂面の父を見た瞬間に、それは爆発した。


 ギャハギャハゲラゲラと笑い転げ出す私を、父は静かな顔に殺気を孕んで、無言で見下ろしてきた。彼の頭に飾られている物と同じ品種の花束を手に持っていた母が、「あら」と言って私を振り返る。


「どうしたの?」

「どうしたのじゃないよっ、母さん、何それ何その花なんで、ぶはっ、ぶくくくくくぅッ父さんの頭、何がどうしてそうなっちゃったのさ」


 私は、そう言うのも一苦労だった。左右から内臓がねじれる痛みを伴って笑いが噴き出し、どうにも止まらない。


 これでレースがついたらドンピシャだよ、という私の台詞に母は小首を傾げ、父は母に対して弱いので――父は社内結婚で、当時部下であった母に相当惚れ込んでいる――耳の上に乗った花を、どうする事も出来ずに立っていた。


「マコトさんが、咲いていたからって持ってきてくれたのよ。綺麗でしょう?」


 母が嬉しそうに言ってきたのだが、私は腹筋が崩壊しかけていて、もはや笑い声しか出せなくなっていたので「なるほど、プレゼントね」という言葉も、「ぶほぉっぼはははぶぷぅッ」としか出なかった。


 父は、よく母にプレゼントや花などの贈り物をしょっちゅう持ってくる。私はそれを考えていたのだが――


 ぷすり、と音がして、私はハタと身動きを止めた。


 正面に立っている人影に向けて、ゆっくり視線を上げてみると、父と私に挟まれるようにして小柄な母が立っており、彼女はこちらに少女のような可愛らしい笑顔を向けていた。どういう事か、頭上から香ばしい花の香りが鼻先に付く。


 まさか、と身体を岩のようにした私に、母は平気な顔で「お花よ」とにっこり微笑んできた。ああ、まさに可愛らしい少女のようではあるまいか。そう思った私は、「……母さんって『若い』よね」と呟いてしまっていた。



 一軒家の玄関先で、白くて可愛らしい花を差した仏頂面の、いかつい上官のような中年男である父。そして、同じように少し癖毛の頭の天辺に白い花を添えた、同じ背丈をした背広姿のいい年をした私が、向かい合ったまま沈黙した。



 通りかかった近所の『シズエさん』が、こちらを目撃して「あら、まあ」と声を上げて立ち止まっていた。

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