休息
三人の魔術師を乗せた馬車がビブリアに到着したのは予定通り、夕刻だった。
「シャイレンドル様! ユレイオン様! ご無事ですかっ」
馬車から降りたところで声が飛んできた。
「セイン」
ユレイオンは駆け寄る青年に安堵のため息をついた。それから後ろに控える銀の公子に目をやった。
「セインさん!」
「ファローン!」
黒髪の弟子は幼い弟弟子に抱きついた。
「すみません、セインさん。ご心配をおかけしました」
「ほんとだよ……無事でよかったっ」
最後に降りてきたシャイレンドルは二人の頭をぽんぽんと手のひらで軽く叩いた。
ユレイオンは静かに兄に歩み寄った。
「セインを保護いただきありがとうございました」
頭を下げる弟に、ウェルノールはほんのりと微笑んだ。
「構わないよ。可愛い弟が頼ってくれたのだから、当然のことだしね。……それにしても、ずいぶん傷めつけられたようだね?」
頭を下げたまま、ユレイオンは口元を歪めた。身は清めてあるし、衣服も整えた。見える範囲の怪我は治癒師が綺麗に消してくれている。
「顔をあげておくれ、ユレイオン。そんな真っ白な顔を見て心配しないはずがないだろう?」
「……ご心配をおかけして申し訳ありません」
すると銀の公子はそっと歩み寄り、白い手で弟の頬にそっと触れた。
「お前が無事戻ってきてくれてよかった。さあ、宿へ案内しよう。しばらく静養が必要だろう?」
「しかし、兄上……」
「ご覧、もう日が暮れる。これから夜になるのに、その体で西へ向けて帰るつもりかい?」
促されてユレイオンは西に目をやった。茜色の太陽が傾きかけている。
「急ぐというなら今日はゆっくり休んで、明日の朝出発すればいい。西に戻る馬車を用意させているから」
ね? とウェルノールは微笑む。
「そうさせてもらおうや、ユーリ」
後ろから金髪の相棒が近寄ってきた。
「シャイレンドル殿、あなたも無事でよかった」
「ああ、あんたもな。セインが世話になった」
ウェルノールは微笑みを浮かべた。
「セイン君は実に優秀ですね。できることなら引き抜いて私の手元に置いておきたいと思いましたよ」
「まあ……わいらの世話役で苦労させとるからな。でも、あんたにはやれへんで」
シャイレンドルはにやっと片頬だけで笑った。
「それは残念です」
「それに、セインはあいつのような魔術師を目指しとる。あんたの側近にはなれへん。まあ、あと十年したらどうかわからへんがな」
「そうですか。――あれのような、ね」
ふふ、と笑うウェルノールの目は実に楽しそうだ。
「――二人だけで勝手に話を進めないで下さい。兄上にはエーリック殿がいらっしゃるでしょう?」
「優秀な者を見ると放っておけなくなるだけだよ、ユレイオン。では、移動しようか。エーリック」
「はい」
ウェルノールの側近は歩み出ると深々と礼をして言った。
「ではみなさま、こちらの馬車にお移り下さい。別邸まで少しありますので、馬車で参ります」
用意されていたのはここまで乗ってきた幌馬車とは違う、銀の立派な箱馬車だった。座席には緋色のベルベッドが敷いてあり、柔らかい。
「セイン殿もそちらにお移りください」
言われたように四人で馬車に乗り込む。ユレイオンとファローンが並んで座り、ユレイオンの向かいにセイン、その隣にシャイレンドルが腰を下ろす。
「ユレイオン様、体はお辛くないですか?」
ファローンの言葉に、ユレイオンは口角を上げた。
「ああ、幌馬車でゆっくり休めたおかげで大丈夫だ」
「セインも大変だったろう?」
「いえ、ウェルノール様のお屋敷で大事にしていただきましたので。それに、ウェルノール様のお屋敷には兵も来ませんでしたし。じっとしてるのも暇でしたから、いろいろ館の方に教えていただきました。塔に戻ったら、あの美味しいサンドイッチをお作りしますね」
「へぇ、そりゃ楽しみやな」
シャイレンドルはセインの頭をがしがしと撫でた。
別邸に入ると、四人は客室に案内された。別邸自体は来客時の使用を考慮していないのか、あまりきらびやかな装飾はされていない。ぐっと落ち着いたグリーン基調の壁紙やカーテンで気持ちが安らぐのが分かる。
寝室は広く、補助ベッドを入れても狭く感じられない。使用人控室の方にもベッドが入れてあり、そちらをセインとファローンに割り当ててあった。
「食事は後ほどこちらに運ばせますので、ゆっくりなさってください。それから、屋敷の一階に大浴場がございます。必要な物は全て揃っておりますので手ぶらでお越しください。また、お風呂は部屋にも備え付けがありますので、そちらを利用いただいても構いません。夜着やタオル等はクローゼットにございます。足りないものがあればいつでもお申し付けください」
エーリックは一通り部屋を案内するとそう言って出て行った。
「すげぇな。塔の部屋より豪華やで」
「……塔と比べるな」
「屋敷の風呂、覗いてくるわ。お前はしんどいんやろ? 部屋の風呂使わせてもらえや」
喜々としてあちこちのぞいていたシャイレンドルはぷらっと部屋を出て行った。
ユレイオンはひとまずベッドに腰を下ろした。やはり血が足りないのか、時々頭がふらつく。
「ユレイオン様、大丈夫ですか? 何か飲み物を飲まれて、お休みになりますか?」
「ああ、ありがとう。そうだな……何かもらってきてくれないか?」
わかりました、とセインは急ぎ足で部屋を出て行く。ファローンはついていこうとしたが、セインに断られて仕方なく傍の椅子に座った。
「ファローン、心配しなくてもいい。少し疲れただけだから。それより、ファローン」
「はい」
ユレイオンは居住まいを正した。
「いや……ファローン殿下。今もまだ魔術師になりたいと思っていらっしゃいますか?」
「……ユレイオン様……?」
怪訝な顔でファローンは目の前の師匠を見た。それから、背筋を伸ばした。
「……塔に入る時に王族であることは捨てました。今の僕はただのファローンです。確かに、塔に入ることを選んだのは、僕が……兄上のお役に立つにはこの道しかない。そう思ったからです。まだ初等教育しか済ませてなくて、人のお役に立てるような魔術は一つも使えない。でも……ユレイオン様やシャイレンドル様、セインさんと一緒に旅をして、僕は魔術を学びたい、もっと深く知りたい。そう思ったんです。だから――諦めません」
まっすぐ師匠の目を見てファローンは言い切った。
黒髪の魔術師は感情の浮かばない瞳で彼を見つめていた。どれ位の時間、黙り込んでいただろう。ふっとユレイオンの瞳が揺らぐと、口角をわずかに上げた。
「その言葉、確かに承った。塔に戻ったら修行を始める。覚悟しておくように」
「はいっ!」
ファローンは嬉しそうにうなずいた。
「いやぁー、すっげぇ風呂やった。お前も行ったらよかったんに」
にやにやしながら相棒が戻って来たのを、ユレイオンは顔をしかめて迎えた。
「いや、ここの風呂で十分だ。それにお前と一緒とか冗談じゃない」
「ちぇっ、おもろないのぉ。そういや下でお兄さんに会うたで」
「兄に?」
ユレイオンが首を傾げると、相棒は水差しからコップに水を注いで取り上げた。
「ああ。ずいぶんお前のこと心配しとったで」
その言葉にユレイオンは顔をしかめた。心配性のあの人のことだ。うっかり体の傷でも見られたら当分安静とか言い出しかねない。
下の風呂に行かなくてよかった、と心から思う。
「そうか」
「たまには顔を見せろと言うとった。ああ、そうそう。近々塔に挨拶に来るとか言うとったな」
「えっ……」
あからさまにユレイオンは狼狽え、口元を手で覆った。シャイレンドルはにやにやしながら水を呷る。
「なんでも、今回のアダの聖域の件、依頼したのはお兄さんやったんやってな。無事に地震も起きんようになったし、礼をしたいんやそうや」
「――あの人はっ!」
拳を震わせる。
「近々じゃありませんよ、明日の朝、皆様と一緒にウェルノール様も同行なさるそうです」
食料の載ったワゴンを押しながら入ってきたエーリックが口を挟んだ。
「ええっ!?」
「ほんまかっ?」
二人の導師が同時に口を開いた。エーリックは主人の笑みを思わせる微笑みを浮かべていた。
「ええ。入国許可はいただいております。ですのでどうぞよろしくお願いいたします。あ、明日の朝は早いですから、今晩はお早めにお休みになってください」
では、と酒瓶を置いて側近の青年は部屋を出て行った。
「――お前の兄貴って、ほんまおもろいなぁ」
「――勘弁してくれ」
シャイレンドルのにやにや笑いに、ユレイオンは両手で顔を覆って深く深くため息をついた。




