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父と息子

 ノックの音に、ザイアスはのろのろと頭を上げた。その視線は扉に向いてはいない。テーブルの上に広げられた書類を眺めるだけだ。

 応答しないザイアスに代わって、ウェルノールの置いていった黒髪の侍従が扉へ向かうのが視界に映る。

 ややあって、侍従がザイアスの前に立った。

「ザイアス様、書類の回収に王都より人が参りました。入っていただいてもよろしゅうございますか?」

 侍従の言葉は彼の意識の上を滑っていく。書類にはまだ一切サインをしていなかった。

 侍従はしばらくザイアスの返答を待っていたが、やがて踵を返して扉へ向かい、客人を招き入れた。

「おまたせいたしました、どうぞ」

 金属の触れ合う音がする。

 ザイアスは、視界に銀色のすね当てが目に入ってようやく顔を上げた。

「ご無沙汰しております――御義父様おとうさま

 そこには、リムラーヤの王の隣に侍っているはずの息子が立っていた。

 豊かな黒髪を首の後ろで束ね、戦時を象徴するように銀の鎖帷子と肩当て、肘当て、すね当てに身を包み、くすんだ赤いマントを肩から垂らしている。小脇に銀の兜を抱えて。

「――ケイラス。なぜ、お前がここにいる」

「陛下より遣わされました」

「陛下から……」

 ザイアスは唇を噛み締めた。全ては露呈した。そう、目の前の息子が言っているのだ。

「御義父様……陛下の目は節穴ではございません。貴方の企みは全て阻止されました。ウェルノール殿からの提案はすでにお聞き及びでございましょう」

「……ああ」

 机の上の書類に目をやる。

 ユーフェミアの婚約破棄、ケイラスとの養子縁組解消、ザイアス自身の引退と官位返上、ユーフェミアへの爵位移譲、そして……ユーフェミアとケイラスの婚約。

 どれ一つとしてザイアスが納得してサインできるものはない。

 だが、これしか道がないのもわかっている。

「ユーフェミアは……誰にもやらん」

 ザイアスが言うと、長い溜息が聞こえた。

「ケイラス……?」

「……この期に及んで何を言うかと思えば……。親父殿。いい加減目を覚ましてくれませんかね」

 ケイラスはどかっと床の上に座り込んだ。息子の態度の豹変ぶりにザイアスは目を剥く。

「口を開けばユーフェミアユーフェミアって……。親父殿、ユーフェミアは、あんたの娘だ。あんたに心を開かないまま死んだ妻じゃない!」

「わかっておるわ! そんなこと」

「わかってない。わかってないからこんな騒動起こしたんだろ。それでユーフェミアが喜ぶとでも思ったのかよ」

 ザイアスは口を閉じた。あの日からユーフェミアは閉じこもったまま、ザイアスに顔も見せなくなった。

 全てはユーフェミアのためだったのに。

「俺はね、親父殿。……このままモントレー家が取り潰しになってもいいと陛下に申し上げた」

「なっ……お前はそれでもっ」

「ああ。あんたの跡継ぎとして言った。陛下もウェルノールも甘すぎる。リムラーヤ王家に反旗を翻した首謀者を官位返還と引退だけで済ますなんて、ありえない」

 ケイラスは肩をすくめて大きくため息をついた。

 しかも俺に類が及ばないようにしようとするとかどこまで甘いんだよ、と唇を噛む。

 ザイアスは口を閉ざし、うなだれた。

「親父殿、あんたが選べないなら俺が選ぶ。陛下にはこのままモントレー家を取り潰してもらう。あんたと俺は反逆罪の責任を取る。ユーフェミアは……見逃してもらえるなら修道院に送り返す。見逃してもらえなければ三人とも斬首の刑だな」

「ケイラス……それはっ」

 机を叩いて激昂するザイアスを、ケイラスは冷たい目で見上げていた。

「こんな企み、成功するとでも思ってたのか? 失敗した時の覚悟はなかったのかよ。あんたは、ユーフェミアのためだとか言いながら、本当はどうでもよかったんだろ」

「違うっ!」

 首を振りながらザイアスは否定する。

「違う! お前にもユーフェミアにも、もっといい暮らしをさせてやりたかっただけなんだ」

「……俺やユーフェミアに責任をなすりつけるなよ」

 冷たい声が帰ってくる。顔を上げれば、息子の顔には侮蔑の表情が浮かんでいた。

「俺たちがいつそんなことを頼んだ? 今の状況に不満があると言ったことがあったか? ――あんたは、自分が中央から閉めだされたことへの復讐をしたかっただけじゃないか。南の国境で激しい戦乱が続いてる時期に乗じて、ジェルナーラ地域の都市国家をまとめ上げ、独立戦争を仕掛けて、王になろうとした。そうだろう?」

 ザイアスはもはや首を振る以外何もできなかった。否定することも、肯定することも。

「今、この場で俺に爵位を譲れ。あんたに後始末ができないなら、俺がする。――エーリック殿、立ち会いをお願いできるか?」

「――私でよろしいので?」

 いきなり声をかけられた黒髪の侍従がおずおずと声をかける。

「十分だろう」

 ケイラスは机から白紙を一枚取り上げると、爵位移譲の書類を書き上げる。自分のサインを書き、ザイアスの前に置いた。

「……どうするつもりだ」

「陛下の裁可を待つ。もともとそのつもりだったんだ。二人の厚意はありがたいが、裁可は正しく行われるべきだ」

 ザイアスは顔を上げ、できの良い息子を見た。

 それから手元の書類を見る。ウェルノールの出してきた取引と、息子の言う言葉と。

「お前は……わしに似ず優秀な男に育ったな、ケイラス」

「褒め言葉と取っていいんですか?」

「お前の父も実に優秀な男だった。お前を一時でも息子にできたことを誉れに思う」

 ザイアスはそう言うと、ケイラスの出してきた爵位移譲の書類を取り上げ、破り捨てた。

「なっ……親父殿?!」

 それから、ケイラスの制止も聞かず、五枚の書類にサインをかきあげた。

「なぜ……」

「わしにも自尊心がある。わしが始めたことだ。わしが終わらせるのが正しかろう? わしはウェルノール殿との取引に応じた。お前には何の責もない。――よい友、よい主を持ったな」

 ザイアスは立ち上がると、呆然とするケイラスに歩み寄った。

「王の側近、ケイラス・リューオン。我が娘、ユーフェミアを頼む。――息災でな」

 本来の姓で息子を呼び、その手に書類を握らせる。

「エーリック殿、あとはよろしく頼む」

「畏まりました」

 黒髪の侍従に託し、ザイアスは部屋を出ると、塔の一室に自ら籠った。

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