シャイレンドルの闇 6
そのまま全てが凍りつくかと思われた時、小さな泣き声が聞こえた。
小さな子供がしゃくりあげるような、抑えてもこらえきれない、あふれてくる声。
重い体を引きずって、ゆっくりと立ち上がる。どこか感覚が麻痺してきたようだ。霧が出ているのだろうか、視界が白く曇る。
霧の向こうに子供がいた。
小さな男の子が膝を抱えて泣いている。膝を抱え、その中に顔を隠して、ただ泣いている。自分の無力を嘆くように、なすすべもなく、ただ泣いている。
「……どうした?」
考える前に声をかけていた。
子供が顔を上げた。短い金色の巻き毛、あどけない顔。どこかファローンに似た子の瞳は若草の黄緑だった。浅黒い顔に涙のあとがはっきりとついている。
「なぜ、泣いている?」
ぷいと少年がそっぽを向く。強情そうな顔を、しかし手足の細さが裏切っていた。ファローンより幼い。七、八歳に見えたが、栄養状態が悪いだけで、十歳ぐらいにはなっているのかもしれない。
足元を白い霧が渦巻いている。少年が寒そうだったので、ユレイオンは何も言わず少年を抱き上げた。少年の体はだいぶ冷たくなっていたが、それでもこの霧の中では暖かかった。
左腕を支えにして少年を抱えると、ちょうど少年と間近で向き合う形になった。
涙と泥でぐしゃぐしゃになった顔をマントの端で拭いてやる。あまりきれいなものではなかったが、前よりましという程度にはなった。だが、あとからあとから涙があふれてくる。その涙をどうしていいかわからなくて、ユレイオンは少年の顔を自分の胸に押しつけた。
「……男がいつまでも泣くな」
「じゃあ、お兄ちゃんは泣いたことがないのかよ!」
ユレイオンの言葉に子供が反発してぱっと顔を上げる。泣きながらも理不尽な言葉に対する一生懸命な抗議に、嘘は付けなかった。
「……いや」
ユレイオンは苦笑する。
「結構泣いていた、かな」
そらみろ、という顔を子供がする。元気になった瞬間の後に、涙がそれをかき消していく。それを拭ってやってユレイオンは言った。
「でも、今は泣かないぞ」
「そりゃ、お兄ちゃんは大人だろ。泣かなくったってあたりまえじゃないか……子供が泣いて何が悪いんだよ!」
「そうだな……」
この子になんと言ってやったらいいのだろう。ユレイオンはこの子供に笑って欲しかった。せめてこの涙を止めてやりたかった。死に取り巻かれた霧の中で、唯一温かいこの子供を、失いたくなかった。
「だけどな、きっとそれでも……泣いちゃいけないんだ」
「なんでさ」
「泣いていたら歩き出せないから。どこへも行けなくなってしまう」
子供はきょとんとした顔をした。
「歩いて……どこへ行くの?」
「大事なものを探しに行くんだ。先へ歩いて行ったら、自分にとって本当に大事なものに出会うかもしれない。大事な人に出会うかもしれない。でも、座り込んで泣いていたら、その人達に会えないだろう?」
子供の瞳が揺れる。怒りと……それ以上の悲しみに。喪失の……失いたくないものを失ってしまったやるせなさ。
「……家族以外に大事なものなんてあるもんか!」
――ああ、そうか。
ユレイオンはようやく合点した。
これは十歳のシャイレンドルなのか。
家族を失った……自分が殺してしまったばかりのシャイレンドルなのだ。
先刻見たばかりの記憶が蘇る。
黒髪を尊ぶキレニアで、鮮やかな金髪をした異端の子供。
それだけならば、成長して世渡りの術を身につければ故国で生活していくこともできたかもしれない。
だが、少年が生まれつき持っていた力と緑の瞳が、少年からその可能性も、家族すらも奪い去ってしまったのだ。
その記憶が……どれほど友人を苦しめたろう。
思い出すにはあまりにつらすぎて、自分の中で消化するために向かい合うことすらできないほどつらすぎて、未消化なまま心の奥底に閉じ込めた。
それを見せつけられた時、納得のできないままに封じ込められていたこの子供は、ユレイオンの相棒を……二十四歳になったシャイレンドルを殺してしまったのだ。
恐怖から逃れるために。大事な人を……愛していた人々を失って、一人取り残される恐怖から逃れるために――。
――俺は、こいつのために何もしてやれなかったな……。
苦い思い。
相棒のそんな一面を、自分はまるで知らなかった。知ろうともしなかった。不真面目なほど明るく、何事にもこだわらない人生を遊びと考えているシャイレンドルの顔しか知らなかった。
殺しても死にそうにない顔をして、あっさりと自分を放棄してしまったことは、今も裏切りだと思う。
だが、それを責める資格も、自分にはないのだ。
自分はそんな相棒を理解しようとしなかったのだから。




