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アダの聖域 ~塔の魔術師シリーズ~  作者: と〜や
一行、罠にかかる
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マウレシアとウェルノール

 ポロン、ポロン。

 気まぐれのように男がハープシコードを弾いている。ポロン、ポロン。途切れそうで途切れない繊細な音は、古い素朴な恋歌だった。

 サラサラと窓からの風で薄い帳が揺れた。透かし織の薄い布は実際の温度よりも涼しげな風情を作る。

 クッションに寄りかかって楽を奏でる男は、半分目を閉じかけて夢幻界を彷徨うかに見えた。そのまま石造りのテラスへと続いた窓から人影が現れた時も、振り返る素振りもなかった。

「公子様は不用心ね。……それとも哀れな獲物を捕らえるための武器のお手入れに余念がないというところかしら?」

「武器とは穏やかじゃないね」

 微笑みとともに銀髪の男が振り向く。女の存在に気がついていたのは明白だった。

「あら、本当のことでしょ? あなたは凄腕のハンターだわ。新しい獲物の話は聞いてるわよ。うまく仕留めたみたいね。あのお姫様、寝ても覚めてもあなたの話ばかり。その調子で遊んでいると、今に闇夜でぐさりとやられるわよ」

「マウレシア」

 苦笑を浮かべて男が首を振る。清雅な顔がまるで濡れ衣だと訴えているように見える。輝く金髪をかきあげて女はため息をついた。

「……それじゃ騙されてるほうが悪いとはいえないわね。そんな天使みたいな顔をして、実はとんだ女たらしだなんて、尼僧院育ちのお嬢さんじゃなくったって思いやしないわ。詐欺よ」

「ひどいな」

 言葉ほど怒った風もなく、ウェルノールが女を抱き寄せる。琴の滝のような巻き毛が肩にかかった。

「だいたい、仕掛けたのはモントレーの方だろう? 彼がわたしを利用しようとするから、自衛手段を講じただけだよ」

「嘘をおっしゃい。そうなるように仕向けたくせに。わざと無能な風流人のふりをして、隙を見せつけて。野心家には何よりの餌だったわ。可哀想なくらい」

 ブルーグレイの瞳が間近で微笑む。

「彼が可哀想なら、わたしは何だと言うんだ?」

「悪党よ」

 言下に言い切った女の言葉の続きは、男の唇の間に消えた。

「……その悪党のところへ情報を運んでくる君は何?」

 唇を離し、笑みを含んで男が尋ねる。

「悪のにおいに女は弱いものよ」

 平然と言い返した女の瞳が碧く笑いにきらめいていた。

「モントレーの方はいいのか?」

「暇もいいところね」

 現在のパトロンの名を挙げられて、女は肩をすくめた。

「ザイアスは今、わたしどころじゃないのよ。かわいいかわいいお嬢さんが心配でね。命より大切なお嬢さんは十七歳も年上の三十路男にさらわれそうで、それが気にかかってきにかかって楽師はお呼びじゃないの。まして愛人なんか目にも入らないわ。……それだけじゃないけれどね」

 男の肩で遊んでいた指を止めて、女は不意に真剣な表情になる。

「……弟さんたち、捕まったわよ。あの魔術師が何か企んでいるわ。……いいの?」

 ウェルノールは答えなかった。その瞳を覗きこんで、女は誤解しようのない答えを見つける。

「……知ってたのね!」

 突き刺さるような碧の視線を受けて、男の顔が不可思議な微笑を刻む。それは無垢とは最も縁遠い笑みだった。

 罠だと知っていて行かせたのだ、この男は。仮にも血のつながった弟を、得体のしれない魔術師のところへ。今は冷酷に見えるブルーグレイの瞳を凝視して、マウレシアはあまり気づきたくない真実に思い当たった。

「彼らをここに呼んだのも……あなたなのね?」

 この男ならそれくらいのことはやってのける。

 マウレシアはさっき自分が下した評価が決して嘘や冗談ではないことを知っていた。本物の悪党なら、いかにもな悪党面はしていない。天使のような顔をしたこの男は、モントレーなどとは比べ物にならない……本物の悪党だった。

「……わたしは情報を提示しただけだ。選んだのは彼らだよ」

 女の内心など知らぬげに、男は口の端をつり上げる。

「あれたちももう赤子ではない。何にせよ一人前を自認するなら、自らの力量を超えることに手を出したりはすまいよ」

 ああ、なるほど。

 視線を反らした男の横顔を見つめながら女がつぶやく。

 酷薄に見えるこの態度も、この男にしてみれば信頼であるらしい。納得するとともに苦笑がこみ上げた。

「……あなたはひどい男ね……」

 その声に非難の響きはなかった。

 それにしてもなんと厳しい信頼であることよ、と思う。だれにでも優しいふりをして、この公子は実に要求が高い。この男に認められるためには相当の覚悟がいるのだ。

「だけど……あなたらしいわ……」

 この話には自分が知っている以上の裏がありそうだ。詰め寄ったところでその全貌をあらわしてはくれないだろうし、その必要もない。自分はすでにこの男を選んだのだから。

 この男は盲信など求めていない。この男の欲しているのは自分自身の意志で動く人間だけだ。そして自分はこの酷薄さも含めてこの男が気に入った。

 ――しかたないわね……。

 口元まで出かかった言葉を飲み込んで、マウレシアは苦笑をうかべたまま、背に回った男の愛撫を受け入れた。


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