罠にハマる
「モントレー殿が望んでおられるなら仕方がないね」
そう言って兄は一行を送り出した。弟と別れるときだけは幾分名残惜しそうだったけれど。
にこやかに主が美辞麗句を重ねるうちに、衣擦れの音を立てて娘が現れた。
「おお、ユーフェミア。……確か娘はご存知でしたな」
ようこそ、と娘がドレスの裾を摘んでおじぎをする。親父に似なくてほんとに良かったな、、とシャイレンドルが口の中でつぶやいた。
父親に似ず可憐な娘は、今日は首の大きくあいた濃い緑のベルベッドのドレスで微笑んでいる。輪郭のはっきりした濃色のドレスが淡い色のありふれたこの部屋ではよく似合っていた。
「邸内の案内は娘にさせましょう。わしがあれこれついて回るよりはお客人方にもよいでしょうからな」
その意見には一行も異論はなかった。ただ一人を除いては。
その一人は年若い未来の兄嫁の相手をするくらいだったら、中年男の視覚的攻撃など一日中でも耐えてみせると思っていたのだが、哀れなことに反論する立場になかった。
「こちらですわ、どうぞ」
年上の義弟の思いなどまるで知らず、銀の髪の姫は明るい微笑みで一向に道を指し示した。
いくつかの部屋を横切りながら、おおまかな屋敷の作りを説明しようとする娘に、鬱陶しい主が消えたと見た白衣の男が訴える。
「なぁなぁ、お姫さん、悪いんやけど、わい、食事まだなんや。何か食わしてくれへん?」
率直な物言いに、娘は思わず吹き出して、慌てて口元をおさえる。
「ごめんなさい、気がききませんでしたわ。……もしかしてユレイオン様もまだでいらっしゃるの?」
自主的に朝食を抜いた男はしぶしぶ頷く。娘が申し訳なさそうな顔になった。
「朝早くにお呼び立てして本当にごめんなさい。昨夜、皆様のことを父にお話したら、どうしてもお会いしたいと聞かなくて……」
今朝突然主張して聞かなかった父のわがままに、姫本人も驚いていたと見えて、普段はもっと物分かりの良い人なんですけれど、と父をかばいながらも腑に落ちない顔をしている。
セインやファローンがきちんと朝食をとっていることからわかるように、食事を食べそこねたのは主に彼ら二人の事情のせいで、モントレーの迎えがそれほど非常識な時刻だったわけはないのだが、育ちの良い姫君はそのような些末事にこだわりはしなかった。
「……皆様に滞在していただくお部屋はこの続きの間になりますの。こちらでしばらくお待ちいただけますかしら。すぐにお食事を運ばせますわ」
扉を開けた娘の後について足を踏み入れた一行は、今度こそ絶句した。
その部屋はサロンのように薄紅色ではなかったが、センスから言えばその上をいくシロモノだった。
淡緑色の壁、天井と柱は古代風の白、そして何より目を引くのはその一面に施された金の文様である。
金、金、金。
金色の唐草模様で埋めた壁面に、窓枠で金のニンフが笑っていた。
部屋を一瞥した一行は半ばあきれた顔をした。シャイレンドルだけが楽しそうに部屋を見回している。
ユレイオンはめまいがした。金がかかっていることはわかる。値打ちものなのも承知だ。だが、それにしてもこれは……。
――出来る限りのおもてなしはいたしますぞ。
モントレーの言葉が不吉に蘇った。この部屋の装飾は皆、彼の趣味なのではあるまいか。彼は元は金鉱投資で莫大な財産を築いた金鉱王だったと聞いている。その彼の価値観で最高のもてなしというと……。
「少々お待ちくださいませね。すぐにお持ちしますから」
可憐な微笑みを浮かべた娘はそう言って立ち去ろうとする。
いや、お構いなく、と呼びかけたユレイオンの声もむなしく、娘の姿は視界から消え、無情な音を立てて扉が閉まった。
その瞬間……。
かちり、と音を立てて空間が閉じた。




