アダの聖域調査
手妻を使って町のはずれ、聖域アダのすぐそばまで空を飛んできたシャイレンドルは、まだにやにやしていた。今頃は相棒が居心地の悪い恋人たちの間でおたおたしていることだろう。その面をこの眼で見ることができないのは残念だが、あとでウェルノールから話を聞くことにしよう、と心を決めて、空中からすとんと地上に降りる。
とりあえず美味しい話は後に残しておいて、仕事を片付けよう。
目の前に突然広がる森に眼を転ずる。
聖域といわれただけあって、黄色い砂の海の真ん中に、突如木々が乱立し、奥も見通せぬほどの鬱蒼とした茂みを作り出している。
「へ~え、これが聖域、ねえ」
触れずとも木の茂るところからはっきりとした白い光を感じる。誰かが故意にこの森を封じ込め、外界から完全に切り離して維持しているのだ。でなければどうして砂漠の荒涼たる風景の中に、忽然と森が出現しようか。それも何の前触れもなく。
シャイレンドルは、これがあの噂に高い白氏一族の仕業だということを思い出した。力のある者でなければ見ることのできない結界。何の力もない人間であれば、ここもまた砂漠の一部でしかないのだろう。普通の者には行き着けぬところ。それが聖域の聖域たる所以だ。
「なーるほど」
感心したところで、聖域に入ることは出来ない。どこかに道を作るかあるいは……。
ためしに右手をそっと伸ばし、白い結界の表面に触れてみた。結界に入れる者の限定が厳しければ厳しいほど反発力が強い。万が一の場合は触れたものを消してしまうことすらある。
だが、結界は想像とは反対の反応を示した。
シャイレンドルの手は結界をすり抜けたのである。
「なんや……?入れるやん。この結界、破られとんとちゃうか?」
ぶつくさいいながら中に入る。砂漠特有のじりじりと暑く乾いた空気にさらされていたシャイレンドルは、結界内のしっとり水分を含んだ暖かな空気に包まれ、口笛を吹いた。
さらに内部の風景に目を見張った。
巨木が生い茂り、枝を絡ませ、天を突くほどに伸びている。弦が絡み、生い茂り、足元にも草が生い茂っている。
ただでさえ木や森の少ない砂漠の中で育った彼にとっては、これほど鬱蒼と茂る森は初めてだった。自然が作り出した天蓋は太陽の恩恵を遮るほどだが、木漏れ日のせいなのか森全体は明るい。もっと陰気でじめじめしたところかと想像していたかれは拍子抜けした。
「さてと」
依頼にあったアダの祭壇とやらを探しにかかる。塔で見た地図には聖域アダは描かれていなかった。それは、アダが今もなお膨張し続けるせいだとも、アダ自体が移動しているせいだともいわれている。だが、少なくとも北の海に面した辺り一帯に広がっているというのは事実らしい。そんな広い地域を当てもなく歩き回って探そうものなら、一日やそこらでは見つからないだろう。
しばらく考え込んでいたシャイレンドルは、身近なところにある相性のよさそうな樹を選び、両手を当てた。
長い年月を経たであろう幹にはひびが入っていたが、ひんやりと心地よかった。両目を閉じ、樹に語りかける。
適切な魔術を用いれば、樹の言葉や鳥のさえずりを聞くことができる。ずいぶん前に習った授業を思い出しながら、シャイレンドルはさらに幹に抱きついた。
本当はそこまでする必要はない。木々はさやさやと梢を鳴らして彼の問いに答えてくれていたからだ。だが、シャイレンドルは実に気持ちよさそうに幹に抱きついていた。
塔に入ってからこの方、これほど豊かに茂り、これほどどっしりと幹を構えた樹に会うことがなかった。それに、相棒と組んでからの単独行動は実に久しぶりだ。しばらくこの楽園で骨休めをして行こうか、とさえ思う。
だが、ややあって彼は顔を上げた。風が吹いて、木の葉が一枚目の前でくるくると回っている。彼を誘うように梢を揺らし、彼の頬をなでる。
「ちくそー、ちったぁゆっくりさせてくれたってえーのになぁ」
ぶつくさいいながらも、シャイレンドルは起き上がった。
風や木々の機嫌は損ねたくない。道を見失ってしまえばこの結界から出ることすら難しくなるからだ。




