ウェルノールとユーフェミアの遠足
「まあ、蝶だわ、待って!」
ふわりと娘のドレスが翻った。華から華へと移る小さな相手を捕まえようと追いかける娘のほうがまるで蝶のようである。
「そんなに急ぐと転んでしまうよ、ユーフェミア」
ドレスをひらひらさせてはしゃぐ娘の後を歩く青年が声をかけた。
「ユーフェミア……ほら危ない」
絡まった草に足を取られて転びそうになった娘をとっさに抱きとめて支える。一瞬のうちに恋人の腕の中に納まった娘は、紅に頬を染めた。
「あ、ありがとうございます。ウェルノール様」
つい一ヶ月前までに僧院の堅固な壁の中で生活していた娘には、こんなときどう振る舞っていいのか分らない。ただ、遠くで見ていた時には華奢に見えた青年の手が、ずいぶんと大きいことに驚いていた。
「……どうしたの、ユーフェミア」
はっと我に返ると、青年が心配そうに覗き込んでいた。
「調子に乗って少し遠出しすぎたかな。疲れた?」
「いえ、そんなことは……」
「無理をしないで。そうだな、あの木陰で少し休もう」
青年は辺りを見回して手近な木を指さした。
二人はラナリアの町を離れて、緑の多い山辺へ遠出してきていたのだった。途中までは馬車で来たのだが、この丘の下に置いてきてしまった。今は二人の他に護衛を兼ねた従者が三人、わずかな荷物を持って従っているだけである。
「ついでだね、ここで食事にしようか」
木陰に座った娘に彼が提案する。恋人の微笑みに見惚れがちな彼女にとっては食欲どころではなかったが、その提案には素直にうなずいた。
持ってきたバスケットには軽い食事と果実酒が入っている。従者たちはバスケットを渡して二人の姿が見える程度のところまで下がってしまったから、娘は婚約者と二人きりで、自分が食べるよりも彼が食べるのを眺めるという至福を味わうことができた。
「ユーフェミアは本当に小食だね。それでどうして立っていられるのか不思議だな」
青年はそういってからかう。そんなことを言って笑っていても、その右手が上がり髪をかきあげるふとした仕草にさえ彼女は眼を取られた。白い指から銀の髪がこぼれる。華奢で、しかも力強い手。自分を見つめる薄暮色の瞳。彼女は光の精霊にさえ見えるこの人が自分の婚約者であることがいまだに信じられない気がした。
あれは一ヶ月前のモントレー家で開かれた舞踏会の時のこと。それは社交界にデビューするために尼僧院から戻ったユーフェミアのお披露目を含めた誕生パーティーでもあった。
結婚にふさわしい年齢になるまで娘を尼僧院に預け、そこで養育するのは貴族にはよくある習慣だったが、彼女の場合は母がごく幼い頃に亡くなったため、普通よりもずっと早い時期に尼僧院に入れられた。その分俗世間をほとんど知らずに育った。父ザイアスもよく訪ねてきてはあちこちへ連れ出してくれたりかわいがってくれたが、やはりほとんど外の世界を知らなかった。彼女自身、自分がかなりもの知らずに育ったのだということをこの一ヶ月で知った。それでも、ウェルノールのような人に会えば誰だって驚くだろう。この、光の雫のような人は突然彼女の前に現れたのだった。




