モントレーと楽師
「……怖いおじちゃんね。眉間にしわ寄せちゃって。それともあれが地なのかしら」
くすくすと次の間に続く扉の影から笑い声がした。
「……聞いていたのか、マウレシア」
抑えた声でモントレーが振り返る。そこにいたのは昼間、回廊で楽を奏でていた竪琴の奏者、いまや表情を一変させた妖艶な女楽師だった。理知的な光を宿していた緑の瞳は猫の目のようにきらめき、長いまつげが影を落としている。
「……話は聞いちゃいないわよ。あのおじいちゃんが結界を張っていたもの。聞こえやしないわ」
見てただけよ、と女は肩をすくめる。
彼はまだ不信げに女を見つめていたが、やがて己が手を組んだ老魔術師の力を思い出し、首を振った。あの男が盗み聞きなど許すはずもないだろう。老人の陰気な双眸を覗き込んだ気がして、彼は目の前の酒盃をあおった。
「……いらいらしてるのね。それもみんなあのお嬢さんのため?」
女がからかうようにモントレーのそばに寄り、髪を留めていたかんざしを引き抜いた。結い上げられていた豊かな金髪が豪奢な金の滝を作る。
「そんなにあのお嬢さんが大事なの?」
「……あれはわしの宝だからな」
「ま、ぬけぬけと今現在の愛人の前でよく言うこと!」
女は言葉ほど怒った風もなく、テーブルに身を寄せて自分で杯に酒を注いだ。
「まあ、可愛い子ではあるわね。あと四、五年もすればずいぶんな美人になるでしょうよ。あなたには全然似ていないわ。奥さん似ってわけ?」
「……姿形はな」
強い酒をこともなく飲み干した女に、男の声は暗い。
ラナリア一の名家、モントレー家の息女……麗しのユーフェミア。
傾きかけた家のためにザイアスと婚礼を挙げることになっても、成り上がりの彼など鼻にもかけなかった、高慢で美しい娘。そして彼の財力によってモントレー家がラナリア一の有力者の地位についても、その冷然とした美貌が彼に微笑みかけることはなかった。白い肌、薄暮色の瞳。その冷たい目に何よりも傷つけられながら、それでも求めずにはいられなかった……銀の華。その忘れ形見の娘に妻と同じ名をつけたことは、ザイアスにとっては当然のことだ。
「……だが、あれはあの女とは違う」
ザイアスについに心開かぬままに逝ってしまった妻と同じ名の娘は、彼の愛した女と同じ顔で彼に微笑みかける。彼には決して向けられることのなかった瞳が、今は愛情をこめて無邪気に笑いかけてくる。風に揺れて誇り高いユーフェミア。これが愛さずにいられようか。
愛した娘の顔を思い描いて、ふと彼は妻に生き写しの娘の唯一己に似ている点を発見した。
瞳だ。
黒みがかった青い瞳は自分のよりもはるかに愛らしかったけれど、明らかに己の形質を受け継いだものだ。妻の目はもっと薄い……薄暮のブルーグレイ。
不意に、もう一つの顔が重なった。亡き妻と同じ色の瞳を持つあの男……ウェルノール・レ・ランスフォール。モントレー家に次ぐラナリアの名家であり、財力ではザイアスに劣るものの、家格では一向に引けを取らないランスフォール家の若き当主。典雅な美貌と落ち着いた雰囲気を持つ生まれながらの貴公子。
「……いやな男だ……」
彼は昼間、一瞬胸をよぎった劣等感が再び胸を噛むのを覚えた。
己を敗北者だと思ったことはない。自分はいつも己の才覚だけで運をつかみ、欲しいものを手に入れてきた。一介の商人から貴族の位を得、この町の第一人者にまで成り上がり、今ではジェルナーラ地方最大のこの都市を支配し、勢力を振るっている。今となっては誰がザイアスの生まれを云々するだろうか。彼は気の迷いを追い払うように首を振った。言いたい者には言わせておけばいい。自分に勝てず、その下に屈しているのは奴らではないか。自分は今まで自分の能力によって十分に成功してきた。そして今、さらにその上を望もうとしている。
「……必ず成功するのだ」
己に言い聞かせるように、彼は低くつぶやいた。




