ウェルノール、ユーフェミアと婚約する
中庭には午後の陽が一杯に降り注いでいた。時折吹くそよ風が庭を埋めた緑の木々を揺らしていく。手前の木には白い花が満開だ。
中庭に面して作られたテラスは、この庭を鑑賞するためだけに作られた空間だった。大理石で張られた床にほのかな冷風が吹いていく。吹き抜けになった階上の回廊からは楽師の奏でる竪琴の静かな旋律が流れていた。
「美しい庭ですね。ユーフェミアの花が満開だ」
本日の招待客が感想を述べた。ゆったりと足を組んで腰かけた姿は、何の作意がなくとも目にした人間にある種の感銘を与える。洗練された雰囲気を持つ青年だった。肩から背へと無造作に流した髪は透けるような銀色であり、細められた目のブルーグレイとよく調和して青年の容貌を引き立てている。余分な装飾を必要としない高貴の美しさだった。
「たまには花を愛でながら茶を飲むのもよいかと思いましてな。ご迷惑とは思いましたが、貴方をお招きしたわけですよ。ウェルノール殿」
小卓を挟んで腰かけた館の主は、つかの間胸をよぎった苦い劣等感を打ち消すかのようにことさら鷹揚に述べた。
「迷惑だなどと……これほど美しい庭はこの辺りにはありませんよ、モントレー殿。まして……」
青年は否定の印に首を振り、静かに開いた扉を見やって微笑を浮かべた。
「このような美しい姫にお目にかかれるとあっては、千里を超えても駆けつけぬものはありますまい。……お邪魔をしておりますよ、ユーフェミア殿」
後の台詞は扉から入ってきた少女に向けられたものだった。銀の髪をきれいに梳き流した娘が銀細工の盆を提げて入ってくる。花の名を冠された娘はその名に恥じぬほどの可憐さを備えていた。
「おお、ユーフェミア」
「お茶はいかが、お父様。……ようこそ、ウェルノール様」
庭に咲き乱れる花と同じ白と薄紅に装った娘は、青年の視線を受けてその白い頬をわずかに染めた。
「いやぁ、実はですな、娘があなたを呼べといってきかんかったのですよ。あなたにもう一度お会いしたいといってね。あなたがおいでになると決まってからは、やれドレスだ髪飾りだと選ぶのが大変で……」
「お、お父様……」
娘があわてて父親の顔をにらむ。だが、真っ赤に染まった頬がそれが真実だと告げてしまっていた。
「それは光栄です、姫。あなたのような美しい方にもう一人お会いしたいと思っていただけるなんて、これ以上の幸せはありません」
「まあ、ご冗談ばっかり」
「冗談であるものですか。このご招待をいただいた時も、もしかしたらこちらであなたを垣間見ることができるかもしれないと思って、何を置いても飛んできてしまったのですから」
薄暮色の瞳に真摯に見つめられ、娘は視線のやり場に困ったようにうろたえて、頬に手を当てた。その仕草が妙に子供らしくもあり、まだ咲き始めたばかりといった娘の初々しさを引き立てる。
「わ、わたくし、お菓子を持って参りますわ」
困り果てた娘はそう言い置いて身を翻し、扉の向こうへと姿を消した。花びらのように幾重にも重なったドレスの裾が視界から消えるのを、父親は笑いながら見送った。遅くに授かった一粒種の娘を見守る目には愛情があふれ、一見して溺愛していることが分かる。館の主、侯爵ザイアス・ル・モントレーにとって目に入れても痛くないほど愛しい娘なのだ。
扉の向こうを見やって青年は苦笑した。
「嫌われてしまいましたか」
「いやまさか。あれはつい先日、尼僧院から呼び戻したばかりでしてな。なにぶん世間知らずで申し訳ない」
そういいながらも嬉しそうな顔を見ればまんざら悪くもないと思っていることは一目瞭然だった。しかし、やがて館の主は青年を呼んだ本来の用件を思い出した。
「ランスフォール伯、本日あなたをお呼びしたのは他でもない。娘のことなのですがな……あれをもらって下さるおつもりはござらんか」
「……ユーフェミア姫を、わたしに?」
青年のブルーグレイの瞳が驚きに見開かれた。
「それは……正式な婚約のお申し込み、ということでしょうか?」
「ええ、そう思っていただけるとありがたいのですが」
「しかし……」
ウェルノールは困惑したように言いよどんだ。
「ご息女はまだ十六歳。ご結婚には早いのではありませんか? それに、姫ご自身が私のようなものに嫁ぐのを承知なさるかどうか……」
「無論、今すぐと申すつもりはございませんが」
館の王は苦笑した。
「それにこの話はそもそも娘の希望でしてな。先日、あれの誕生日に開いた舞踏会であなたに初めてお会いして、一目惚れという奴でしょうな。お恥ずかしい話ですが。翌日から恋煩いで寝付いてしまいましてな、こちらをさんざん心配させたあげく、あなたがいらっしゃると知ったとたんにあの元気ですよ。……父親とは寂しいものですなぁ」
最後は全くの本気だったらしい。館の主は深々とため息をついた。
「そんなわけでしてな、婚約だけでもしてやってはいただけませんか」
館の主のしょげかえったため息に苦笑しかけた青年は、口元を引き締めて返答した。
「そういうお話でしたら、ありがたくお受けしましょう」
「おお、それはありがたい」
「ただし、当分は様子を見させていただけませんか。ご息女とお会いしたのはこれでまだ二度目ですし、ご息女も結婚にはまだ早いでしょう」
「ああ、それは全く構いませんぞ。さっそく立会人と書類の手配をいたしましょう。……娘がさぞ喜ぶでしょうな」
手を叩いて使用人を呼びながら、館の主は計画の第一段階の成功に心中快哉を叫んでいたのであった。




