地の王の解放
「では、一つご覧に入れましょうかな」
魔術師は立ち上がり、両手を高く上げた。気付かぬうちに地の聖獣の像の足元には魔法陣が描かれている。魔術師の影から流れ出した黒い影が白い大地を覆っていく。
黒い古い気配がする。地の王は左の黒い目が疼くのを感じた。
「何をする」
「御身を縛る縛鎖の封を解いておるのでございます」
地の王は像を中央にして四隅に置かれた白い石を見た。魔法陣から立ち上る影は、空間の見えない縛鎖に絡みついていく。四方から立像に伸びる鎖が黒く染まって浮かび上がってくる。
体に這い上がる不快な感覚に血の王は身じろぎした。と同時に地面が揺れ始める。鎖がじゃらりと鳴った。
黒く染まった鎖は四方の石から像をぐるぐる巻きにとらえていた。立像の上に浮かぶ光の玉が姿を現し始める。
「これが核ですな……どれ」
老魔術師の影はそういうと、光の中央に向けて手を差し伸べた。黒い気配が光に集中する。と同時に鎖が立像を締め上げた。
全身に走る鋭い痛みに地の王は身もだえした。大きく地面が波打つ。
「もう少し耐えてくだされ」
光の玉は次第に輝きが弱くなり、最後に一瞬輝いたあと消えた。地の王は痛みに悶え、肩を大きく上下させた。
老魔術師の影の手には黒くなった玉が握られていた。それが影なのか実体なのか、地の王にはもはや分からなくなっていた。
「何がどうなった……」
「御身の封じの核でございます。私の言葉が嘘ではないと信用いただけましたでしょうかな?」
地の王は髪を鋭く尖らせると魔術師の影を攻撃した。が、髪の毛は黒い影を通り過ぎた。
「気高き地の王は短気でいらっしゃる。器の痛みは一瞬でございますよ。古い封じの魔法でしたゆえ多少手こずりましたがの」
「私を解放してどうするつもりだ」
「さて、どうするつもりもございませぬ。御身の気の向くようにしていただければ」
地の王は馬の像に座ったまま、両目を閉じた。
もうよいではないか、と右目が言う。私は出たい。この器から。一千年の孤独。もう一千年重ねるのはもういやだ。
私はいやだ、と左目が言う。私は残る。この器に。一千年の眠り。もう一千年重ねるだけだ。私は守る。この地を。
地の王はゆっくり目を開けた。その両目は空色をしていた。
「老魔術師よ、私をどこへ連れて行くつもりだ?」
「どこへでも。御身の望む場所へお連れいたしましょう」
「で、その代償は」
老魔術師はにやりと笑った。
――かかった。どうやら目論見どおりうまくいったようだ。あと一押し。
「御身の力、と言ったら?」
「この力は破壊の力だ。ゆえにここに封じられている。それを人間のお前が何に用いる」
「争いを収めるため、と申しましょうか」
手にした封じの玉をローブの隠しにしまいこみながら、老魔術師は続けた。
「御身や十柱の聖獣により地が平定されてから一千年。人間は結局戦いの歴史ばかり繰り返して参りました。今もこの大陸のあちこちで争いや戦が続いております。この地でも同じこと。御身には、この地の争いを収める際に力をお貸し願いたいのです」
「人の世の争いには加担しない。我らの力は人の争いには大きすぎる」
「それは残念でございますな……」
答えながら、老魔術師は口角を上げた。これも計算のうち。
「なれば、わが身に御身の依り代を下さいませ」
「何だと?」
「御身をこの地から他所にお連れするには、御身の依り代が要りましょう。この封じの玉は依り代にはなりませぬゆえ、御身の瞳をいただきとうございまする」
地の王は笑い始めた。笑いは長く続き――彼はぽんと馬の背から飛び降りた。
本来、馬の背から降りることはできなかったはずの人型の王は、馬の像を下から見上げた。
一千年。待っていたのはこの男なのか。解放されることを待ち望んでいたのは間違いない。叶うはずのない長い夢。
「いいだろう。我が半身、持って行け。だが、私は気まぐれで奔放だ。気が向けばお前の元を去る」
「構いませぬ。御身を飽きさせぬよう務めましょうぞ」
地の王は影の魔術師に歩み寄ると手の中のものを差し出した。魔術師は恭しく両手で受け取り、品を確かめた。こぶし大ほどもある青い宝石。仰ぎ見ると、黒い馬の右目があった場所には穴が開いていた。
「御身の名を、お教えいただけますかな。我が名はセゼルと申しまする」
「メルキトと呼べ」
メルキトは聖獣の像をかえりみた。
――私は出て行く。お前はそこで眠れ。この地を守るため。盟約を果たすため。
影の魔術師は結界を横切り、アダの結界内にいた老魔術師の足元に戻った。メルキトも影のあとを辿り、地上に足を下ろした。
風が彼の髪を揺らしていく。足元の土の感触、花の香り。なにもかもが懐かしかった。
木の根元に座っていた老魔術師は立ち上がった。その手には確かに、影の手にしていた封じの玉と青い瞳が握られている。
セゼルは柔和に微笑み、腰を折った。
「参りましょう、メルキト殿」
ひときわ強い風が吹いた。
風が通り抜けたあとには何も残っていなかった。




