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後日譚

「ユレイオン様、シャイレンドル様をご存知ありませんか?」

 朝の挨拶もそこそこにセインが口を開いた。

「いや、今朝から見ていないが、どうかしたのか?」

「はい、それがどこにも見当たらないんです。町に降りてった様子もありませんし、なにより朝起こしに行ったときにはもう、部屋はもぬけの空だったんです。ベッドには寝た形跡もないし、いつもの服も鞄もありませんし……」

「シャイレンドルが……」

 ユレイオンは眉をひそめた。あれからずいぶん経ったのに、あの闇の中で垣間見た彼の記憶がまるで自分のもののように生々しく蘇ってくる。

「分かった。シュワラジー様にお伺いを立ててこよう。セインはファローンの訓練につきあってやれ。今日は風の訓練だったな」

「はい」

 それでもなお不安が拭い切れないのか、ぱっとしない顔でセインは出て行った。黒衣の青年は表情を曇らせた。

 ――あの記憶のせいだろう。

 肉親の血肉にまみれた幼き金髪の子の放心した目。記憶の底の封じられた扉の中で、自らの呼吸も心臓すらも止め、自分の生を否定してしまった彼の姿は、ユレイオンにとっても恐怖そのものであった。

 彼を失った、と思わずにはいられなかった。

 シャイレンドルが誰にも――自分にさえ何も言わずに出て行ったことは、ユレイオンには納得できた。

 あの、いつもの憎ったらしい顔が目に浮かぶ。

 ――あいつが俺にも黙って行ったということは、そういうことなのだろう。

 その思いを察しながらも、心の何処かで絶望感が湧いてくる。

「長様にお伺いをせねばな」

 つぶやいてユレイオンは立ち上がった。しかし、その姿は生気の欠けた幽鬼そのものであった。



「シャイレンドルが?」

 その話はシュワラジーにとっても初耳だったようで、塔長は驚いたように顔を上げた。

「ええ。先ほどセインが伝えてくれました。どうも昨夜のうちに姿を消したようです」

「そうか。――あのシャイレンドルがな」

「――長様、いくつかお伺いしたいことがございます」

「シャイレンドルのことか?」

 ユレイオンの、幾分躊躇しながら口にした問いに、長は半ば覚悟していたように答え、愛弟子をまっすぐ見つめた。

「ええ。……よくよく考えれば、五年も彼と組んで働いてきましたが、私は彼のことをよく知らない。――知っているのは、五年前のあの祭の時のことぐらいです」

「そうであろうの。そして、それはシャイレンドルにとっても同じであろうがの」

「――そうでしょうか」

 愛弟子の白い顔が曇るのを見て、塔長はため息をついた。

「お前は何を見てきたのだ?」

 ユレイオンは長い間逡巡していたが、ようやく口を開いた。

「――彼の、おそらく一番見られたくないであろう記憶を。彼が力を発現した瞬間を」

 一番言いたくない言葉だった。自分が一番見たくなかったものだ。彼の語ろうとしなかった昔の記憶が、自分の中でじくじくと膿を持って腐り落ちていくような感覚に陥る。

「そうか。――おまえも見たのか」

「塔長もご存知だったのですね」

 塔長の落ち着いた回答に、ユレイオンはやはり、と自分の予測が正しかったことを確認する。

「シャイレンドルは古い友人から預かった子だった。お前も覚えておるであろう? 太陽神殿のあるキレニアのカリス。あそこがシャイレンドルの故郷だ。そこの神官を務めている友が、この塔まで連れてきたのだよ」

 あのいけすかない黄色い瞳が不意に目の前に現れる。不敵な笑いを浮かべた相棒の顔。

「ここに来た時は感情のない子どもだった。笑いも泣きもせず。ちょうどお前のようにの」

 思いもかけない言葉がユレイオンの胸をえぐる。

「お前とシャイレンドルを組ませたのはいわば実験でもあったのだよ。あれにとっておまえは、遠い昔の自分を見ているようなものだったかも知れん。――心配するな。原因はお前の見たとおりだろうが、あれはもう克服しておる。現に、アダの仕事から帰ってきても態度は何も変わらなかったであろう? それに、お前が復帰するまで待っておったのじゃろう。ならば、あれは必ず帰ってくるよ」

「心配なぞしておりません! ――失礼しますっ!」

 心の底を見透かされたようで、ユレイオンは思わず叫び、荒々しく塔長の部屋を出て行った。その背を見送り、シュワラジーは微笑んでいた。




 さくり、と砂を踏んで男は足を止めた。

 ぎらぎら照りつける太陽が暑い。汗で張り付いた金髪をはがしながら、彼は遠くを見つめた。

 この黄色い砂漠の果てに、見慣れた形の神殿の姿が浮かび上がっている。

 何年ぶりだろう、と数える。

 ――俺がこの街を去ってから、今年でちょうど十五年目。最後に訪れたのは五年前の祭だ。何も変わらない。照りつける太陽も、熱い砂も、遠くにそびえる青い山並みも、そしてあの白い神殿も。

「十五年、か」

 そうつぶやくのはもちろんシャイレンドルである。

 いつもなら白い派手な出で立ちで揃えているのに、今日の彼は違った。まるで相棒を思わせるような暗色のオンパレードだ。羽織っているのは、いつもなら絶対着ようとしない魔術師の象徴である黒いマント。その下から覗くのは灰色の、これまた暗めな旅装束である。肩に担いでいる袋すら、暗雲の如き色だった。

 だからこそ、余計に太陽を引けて輝く彼の金髪は目立った。その黄色い瞳すら、闇の中に浮かぶ光のように見える。

「そろそろ行くとするか。どこか泊まれるといいんだけどな」

 そう言って彼は歩き出した。その口調に、いつものきつい訛りはかけらもない。



 町まではそうかからなかった。中央を抜ける大通りを避けて、裏路地を渡り歩き、町外れのひっそりとした共同墓地へ向かう。

 たくさんの墓碑が並ぶ中、彼は迷わず奥の、寂れ朽ち果てた墓標に歩み寄った。

 誰も参る者がいないのだろう。墓の周りは荒れ果て、雑草に覆い隠されている。四角い石の墓標は通りすぎた年月を数えるように風化しており、刻まれているはずの名はほとんど読み取れなかった。

 荷物をおろして雑草を抜き取り、それから花を買ってこなかったことを後悔する。

 シャイレンドルはホコリと砂のたまった墓碑を指でなぞった。久しく思い出すことのなかった懐かしい名前が四人分、連ねてある。

「父さん、母さん」

 まだこの町にいた頃の、幸せだった自分たちを思い出す。悪魔と呼ばれる前の自分と、家族の姿。

「ティア」

 幼かった妹。誰よりも可愛らしく愛らしかった。生きていたらきっと美しく成長していただろう。

「イグレーン姉さん」

 気の強い姉。誰よりも誇らしくて立派だった。生きていたら今の俺を怒るだろうか。

 ――みんな、俺の摘みとった命。

「ごめん。放置してて……五年前、あんなに誓ったのにな。ごめん、イグレーン姉さん」

 まったくだわ、と声が聞こえそうな気がする。

 こじ開けられた記憶、焚き付けられた憎悪がふっと湧き上がってきて、シャイレンドルはぐっと唇をかみしめた。噛み切ってしまったようで、鉄の味が口に広がる。

「俺さ、自分の存在が許せなかった。自分を抹殺しようとしてた。十五年も経ったのに、あの怒り、あの憎悪が蘇ってきたら、もう何も考えられなかった。全てを終わらせようと思った。何もかも壊して、俺自身も何もかも」

 シャイレンドルは自嘲気味に語りだした。

「なのに、あいつは許してくれた。――殺しかけたのに。選りに選って俺の中に飛び込んで、俺の全てを見たはずなのに。あいつがいなかったら、今ここに俺はいない。五年前、あいつと出会わなければ、あいつが相棒になってなければ、今の俺はいなかった。あいつは、俺を許してくれる。認めてくれる。だから……俺、まだ生きててもいいかな」

 風がふわりと通り過ぎる。答えはない。

 ――きっとあいつなら、いいに決まってると言ってくれる。逃げるのは許さないと言ってくれる。

「ごめん、父さん、母さん。ティア、イグレーン姉さん。俺、まだそっちに行けそうにないや」

 あいつがいる限り。

 ――あいつがいるだけでどれだけ俺が救われてるのか、あいつは知らないだろうな。

 シャイレンドルは頬を伝う涙をぐいと拭って口角を上げ、立ち上がった。

 もうここに来ることはないだろう。でも、忘れない。

 生きてる限り、忘れない。

 じっと墓碑を見つめたあと、シャイレンドルは踵を返した。振り返ることはなかった。




 夜、皆が寝静まったあとに塔の屋上に出て、空を眺める。

 闇に覆われた空は今日も月が明るく輝いている。ユレイオンは何を見るでもなく、ぼんやりと暗闇の方角に目をやっていた。

 シャイレンドルがいなくなったと聞いた日から、時折こうして上がってきては、空を見る。

 任務帰りの魔術師たちとすれ違うこともよくある。任務を請け負えるレベルの魔術師たちは上階に部屋があり、上から出入りしたほうが早いのだ。

 今日は任務帰りの魔術師たちもいないようだ。

 どれぐらい外にいただろう。

 体がすっかり冷え切っていることに気がついて、ユレイオンは踵を返した。

 ――今日もあいつは帰らない。

 あれから何日経った? 待って、期待して、裏切られて、失望して、部屋に戻る。

 ユレイオンは自嘲の笑みを浮かべた。

 ――期待するからいけない。帰って来ようが来るまいが関係ない。ただ、空を見に来ただけだ。そう、思えばいい。

 もう一度空をちらりと見て、ユレイオンは今度こそ本当に部屋に戻るために風を呼んだ。

「なんやぁ、迎えに来てくれたんとちゃうんか?」

 背中越しに声が飛んできた。いつもの――訛りのきついしゃべり方。

 ふわ、と風が後ろから吹いて、ユレイオンの黒髪を揺らした。それに金の糸が混じる。

「……遅い」

 すぐ横に人の体温を感じる。いつもの白装束が風になびく髪の毛の合間から見える。

「悪ぃ。ちぃと道に迷うてな」

「そうか」

 振り向かなくても相棒がにやにやと笑っているのが目に見えるようだ。ユレイオンは口元を引き締めた。

 ほんの少しでもゆるめようものなら、押さえつけている感情が爆発しかねない。――喜びと、怒りが。

「あー、腹減った。なんか食うもんない?」

「……知らん。セインにでも頼め」

「ひでぇなぁ。こんな時間やで、セインもファローンももう寝とるやろ? お前の部屋、何か置いてへん? お菓子でも酒でもチョコレートでも何でもええわ」

 ぐぐぅ〜と腹の虫が主張しているのが聞こえる。

「こんな空腹やったら眠れへんわ。な、何か食わして」

「知るかっ!」

 ユレイオンはいつものつもりで怒鳴って振り向いた。相棒はいつもの顔でいつもの笑顔で立っていた。

「……お前のいない間にお前宛に兄上から焼き菓子がたっぷり届いてる。それでも食え」

 ぷいと顔を背けてユレイオンは呼んだままだった風に飛び乗ると自分の部屋に向かう。

 限界だった。

 部屋に飛び込んだユレイオンはその場で立ち尽くし、片手で顔を覆った。

 口元が緩む。と同時に鼻の奥が痛くなった。顔が火照っているのを自覚する。

 ――こんな顔、あいつに見せられるかっ! 死ぬまでからかわれるわっ!

 さっきまで寒かったのが嘘のように汗が吹き出していた。

 不意に足音に続いてノックの音がして、ユレイオンは体を硬直させた。シャイレンドルに違いない。努めて平静を保とうと一つ咳をする。

「……何だ」

「なんや、開けてくれへんのか?」

「もう寝る」

「そか。……ありがとな」

 それが何に対する感謝なのか、ユレイオンにはわからなかった。菓子を残しておいたことだろうか、と頭をひねる。

「別に構わない。兄上には礼状ぐらい出せよ」

「あ、ああ。そーするわ。……ああ、せや」

「何だ」

「言うの忘れとった。……ただいま。ほな、おやすみぃ」

「……あ、ああ」

 それだけ答えるのが精一杯だった。しばらくして足音は遠ざかり、隣の部屋へと消えていった。

 ――おかえり。

 言うべき言葉を口に出せず、ユレイオンは心の中でつぶやくのが精一杯だった。


シルミウムの塔の魔術師たちの話はまだまだ続きますが、これにて「アダの聖域」は完結です。


作品としては大学時代に友人と合作で作り始めたもので、二十数年に渡って温めてきたものでもあるので、完結と銘打つことができて感慨深いです。

完結を優先して来ましたのでいろいろ齟齬はあると思います。

彼らの十年前を描いている「翠の瞳」については今後も継続して連載していきます。

「アダの聖域」で垣間見たシャイレンドルの闇の部分を描くために書いている「翠の瞳」も、興味がありましたらぜひお読みいただければと思います。


では、最後までお読みいただきありがとうございました!

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