うさぎのおじいさん
「さて、今日はお客が来るからの。丸太も少なくなってきたことだし、約束の時間まで木を探してくるとしようか。木がなくては、いくら注文があっても仕事ができんからな」
おじいさんは仕事小屋の前の丸太を確認しながら自分に言った。
そして小屋の中のうさぎに「すこし留守番していておくれよ」と声をかけて、森の奥へ入っていく。
おじいさんのお客さんは、ほとんどが決まった人たちだ。
親戚や友達に赤ちゃんが生まれたなどのお祝い事があると、おじいさんに仕事を頼みに来る。何年かに1度会うようなお客さんがほとんどだが、おじいさんは皆のことをよく知っていた。顔や名前はもちろん、その人がどこに住んでいて、これまでどんな贈り物をしてきたか、どんな話をしていたか、おじいさんは細かく覚えていた。
しかし、今日やってくるお客さんは、初めて会う人だった。それは去年プレゼントされた鉛筆立ての修理をしてほしいという注文だったからだ。
「去年の鉛筆立てというと、隣町のお客が頼んだものじゃった。たしかこの先の町に住む弟夫婦の娘が小学校に入学するんだと言っておったな」
今日の仕事のことを考えながら森を進むおじいさんの耳に、自分の足音ではない微かな音が届いて振り返った。
一瞬、なにもいないかと思ったが、自分の足元を見て驚いた。
突然立ち止まったおじいさんを、うさぎが不思議そうに見上げていたのだ。
「なんだおまえ、わしの後をついてきたのか」
笑いながら、おじいさんは話しかけた。
「わしがどこにいくか、興味がわいたんじゃな?」
おじいさんが再び歩き出すと、うさぎもぴょんこぴょんことついてくる。
普段、昼にご飯を食べに帰る時には、小屋でひとりで留守番している。でも、この好奇心旺盛なうさぎは、いつもと違って森の中へと入っていくおじいさんを見て、自分もついて行きたくなったのかもしれない。
「気になっておったんだが、おまえはわしのことをどう思っとるんじゃろうなぁ。まさかあの小屋にずっといる変わり者のじいさんだと思っておるんじゃなかろうか」
手頃な木を見付けると、斧を握りしめておじいさんはカーンと音を響かせた。
揺れる木漏れ日の下、高い音が響き渡った。
うさぎは怖がりもせず、少し離れたところでじっと見ている。
倒れた木の余分な枝を切り落とし、丸太も1人で運べる長さに切ってから、端をロープで結んで引きずっていけるようにした。
そんなおじいさんの行動を、なにか興味がひかれるものがあるのか熱心に見つめているうさぎに、
「さて、帰ろうかの」
と声をかけて、
「これはおまえの分じゃ。小屋に帰ってから、好きに遊ぶといい」
木の枝を拾い上げた。
丸太を引きずって間もなく、おじいさんは小屋の方から女の子の声がすることに気付いた。
お客さんに違いない。腕時計を確認すると約束の時間にはまだなっていなかったが、どうやら待たせてしまったようだ。
急いで小屋が見える所まで引き返すと、母親らしき女性と小さな女の子が立っていた。
おじいさんが声をかけようとした、その時、
「タッピ!」
おじいさんに気付いて、女の子が叫んだ。
「タッピだよ。ねえ、タッピだよ、ママ!」
女の子はおじいさんの足元を指さして、母親の腕を揺すった。
「まさか。タッピがこんな森にまで来るわけないでしょ。同じ色のうさぎだけど、あのうさぎはおじいさんのうさぎだと思うわ」
「あんなにそっくりなのに?」
どうやら女の子が言っているタッピというのは、このうさぎのことを言っているようだった。
おじいさんは突然のことに動揺して、何といっていいかわからないまま2人の元へたどり着いた。
「タッピ。ねえ、タッピじゃないの?」
女の子がその場にしゃがみ込んで、うさぎに両腕を伸ばした。
すると、うさぎは当たり前のように近寄って、頭や背中をなでられていた。
「ほら、やっぱりタッピだ!」
うさぎを抱き上げて母親に顔を見せると、母親はすぐに何かを確信して驚いた。
「本当、タッピだわ。このうさぎ、うちで飼ってるうさぎなんです」
おじいさんも驚いた。
野うさぎだとばかり思っていた。まさか家で飼われていたペットだなんて、想像すらしなかったのだ。
「…どういうことじゃ。なぜ飼われたうさぎが、こんな森に…?」
「タッピはね、家のガレージでケージに入れて飼ってるんだけど、毎日毎日脱走してるの。ケージには鍵があるんだけど、タッピは頭がいいから鍵の開け方を覚えちゃったみたい。でもね、夕方の餌の時間にはケージに帰ってきてるんだよ。ちゃっかりしてるでしょ」
うさぎは女の子に抱かれて、心地よさそうに目を細めている。
このうさぎは毎日、離れた町から森の小屋までやってきていたのだと思うと、おじいさんはただただ驚くばかりだった。
「タッピ、こんな所まで来てたのね」
うさぎの頭をなでてしみじみと呟く母親に、おじいさんはそのうさぎが毎日仕事小屋に通ってくること、小屋でひとりで遊んだり昼寝をしたりして過ごしているのだと話した。母親はこの小屋がよほど気に入って居心地がいいんだろうと言った。
「この小屋、すごく木のいい匂いがするよ。タッピはこの木の匂いが好きなんだよ。だって…」
元気よく言ったものの、女の子は途中で口ごもってしまう。そして背中の小さなリュックサックを外して中の物を取り出した。
「あのね、この鉛筆立て、壊れたんじゃないの。タッピを私の部屋で遊ばせてる時に、私ね、ついうっかり鉛筆立てについてる引き出しを床に置いたままにしちゃったの。私が部屋に帰ったら、タッピがかじって遊んでてね」
女の子が差し出した鉛筆立てを手にとった。それには消しゴムや小物が入るように引き出しをつけていた。その引き出しを引き抜いてみると、側面が大きくかじられて、これでは引き出した時に中身が外にこぼれてしまうような状態になっていた。
「ちゃんと大事に使えなくてごめんなさい」
俯いてしまった女の子の頭を、おじいさんは優しくなでた。
「大丈夫じゃよ。おじいさんが、元通りにしてあげるからの」
にっこりと微笑むおじいさんを見上げて、女の子も小さく笑う。
「あのね、じゃあ、私の鉛筆立てにもうさぎの絵をかいてくれる?」
「ん?うさぎの絵?」
「だってあれ」
女の子が視線を向けたのは、小屋の中の製作途中のゆりかごだった。それはうさぎの形をしていて、ゆりかごが揺れるとうさぎが跳ねて走っているように見えるのだ。
「机の上にも、うさぎの絵をかいた木があったよ」
「…ああ、うさぎの彫刻をいれた板じゃな。よし、わかった。この鉛筆立てに、可愛いタッピをかいてやろう」
「ありがとう、おじいさん」
「それにしても、最後に、タッピが脱走してどこに行ってるのか、知ることができてよかったわね」
母親が女の子に向けた言葉に、おじいさんは首を捻った。
「最後に?」
「ええ、タッピがいつも脱走するものだから、もっと頑丈なうさぎ小屋を作っていたんです。それが今日完成して…だからもう、ご迷惑をおかけすることはないと思います」
「すごく立派なうさぎ小屋なんだよ。安心して眠れる巣だってあるの。ねえママ、タッピ気に入ってくれるかなぁ?」
「そうねぇ、家族みんなで作ったうさぎ小屋だから、気に入ってくれるんじゃないかしら。今までのケージは、きっと活発なタッピには小さすぎたのね」
そうか…。
うさぎ小屋を、作ってもらったのか。
「でも、おじいさん。またタッピを連れて遊びに来てもいい?」
女の子は聞く。
「タッピはこの木の香りのする小屋と優しいおじいさんのことが大好きなんだと思うの。脱走できなくなったら、きっとタッピは寂しがると思うから」
「ああ、いつでも大歓迎じゃよ。おじいさんは雨の日以外、いつでもこの小屋で仕事をしておるからの」
そうして2人と1羽は、鉛筆立てを頼んで帰って行った。
おじいさんは早速、机の前に座って鉛筆立ての修理に取り掛かった。大切に使ってくれているこの鉛筆立てを、早くあの女の子に返してあげなくてはいけない。
静かな時間に、おじいさんの木を削る音だけがあった。
いつもと同じ時間が流れる。
うさぎはしゃべりもしないし、鳴きもしない。いつも勝手気ままに、小屋の中で遊んでいた。
この小屋で過ごすおじいさんの時間は変わらない。
でも、心に大きな穴が開いたかのように、からっぽな喪失感があるのだった。
もう、来ないのか。
今から考えてみると、野うさぎにしてはきれいなうさぎだった。
森で出会ったうさぎを野うさぎだとばかり思い込んでいたことに、おじいさんは少し恥ずかしくなる。
あのうさぎは、おそらく初めのうちは脱走しては冒険を繰り返して楽しんでいたのだろう。そしてどんどんと距離をのばし、森の中のおじいさんの小屋を見付けたのだ。あの日、丸太の向こうから、おじいさんをじっと見ていたあの時に。
「また、1人になってしまったのう」
しかし、おじいさんは少しも寂しくならなかった。
しばらくして、考えもしなかったことが起きたからだ。
おじいさんの仕事小屋に、次々と小さなお客が訪れた。小さなお客たちは、みんなうさぎの小物を作ってほしいと頼むのだった。
不思議に思ったおじいさんが訊ねてみると、学校の女の子が書いた作文に、丸太小屋の木工職人のおじいさんとうさぎの話があって、とても楽しかったからだと言った。
小さな町で、おじいさんの話は人から人へと広がっていった。そしておじいさんの作る、機能的で温かみのある木工細工も大好評だった。
町の人たちはおじいさんのことを、うさぎのおじいさんと呼んだ。
以前よりずっと忙しくなったおじいさんだが、仕事は嫌ではなかった。町の人たちが喜んでくれる姿を見られることが、おじいさんはとても嬉しかった。
おじいさんの小屋には、度々楽しそうな人々の声がする。
そこには、もちろん、あの女の子とうさぎの姿も……。
おわり