最終話:「Tessy said...」
1ヵ月後、勅使河原が死んだ。
「…………」
食料を詰め込んだビニール袋を下げて、マンションの前で、彼を待っていた細木から聞いた。
「いつ」
「昨日、亡くなりました」
いつでも仏頂面だった目が、心なしか腫れていた。
「どうして」
「街をぶらついていたんです。新入りに街を案内するって言い出しまして」
「あいつらしくねえ」
「私もそう思います。それで、隣町の組のヤツと出くわして……」
「やられたのか」
「はい。新入りをかばって、撃たれました」
――ガタタン! ガタタン!
高台の線路で電車が騒ぎ立てる。
勅使河原が、新人をかばって死んだ。
あの勅使河原が。
――ガタタン!
あっという間に電車は過ぎた。
「……会長の遺書を目にしてから、社長は少し変わったんです」
遺書。そこに何があったのか、麻生は知らない。細木は――慇懃な彼の事だ、きっと目の前にあっても読みはしないだろう。
「むやみやたらに血を流さなくなりました」
「大きな変化じゃねえか」
「はい」
細木はくすりとも笑わなかった。
「じゃ、三雲興会はどうなるんだ?」
社長である勅使河原が死んだ今、組織はそれでも存続するのだろうか。
「私が、社長になります」
やはり仏頂面に変化はない。麻生は頷いた。
「そっか。なんつーか…ま、がんばれ」
我ながら、もっと気の利いた、場の空気を汲んだセリフはないものかと呆れる。それでも細木は、
「ありがとうございます」
と礼をした。
顔を上げた細木が1度だけ瞬いた。
「それと、社長の今際の際に言った言葉なんですが――」
2人の脇を乗用車が走り去った。エンジン音に紛れて、細木の声が鼓膜を震わせる。もしも彼の声が太いものでなければ、きっと聞こえなかったように思う。
「――麻生さんは、どう思いますか?」
返答を求めた細木の瞳は、少しだけ潤み始めている。いくら心のどこかで許せなかった相手だったとしても、細木にとっては社長であり続けていたのだと実感した。
「そんな事ねえよ。あんただってそう思うだろ?」
「はい」
確固たる信念を感じさせる首肯だった。
「それでは――失礼します」
一礼して踵を返した細木を、麻生は慌てて呼び止めた。
「どうしました?」
「あんた、社長だろ? 迎えの車とか、ねえの?」
見回した範囲には、それらしき車は見られない。社長という身分上、1人ノコノコ歩いていいものでもないはずだ。
「正式に社長となるのは明日からなんです。だから、まだ社長は社長のままなんです」
「まぎらわしいって」
「ここまで、歩いて来たんですよ」
「電車とか使えよ」
「葉崎を歩きたかったもので。よく、社長と歩いていたんですよ。――では、失礼します」
それ以上、話す事はなかった。細木は勅使河原の死を伝えに来ただけだろうし、麻生はこれから食事の準備をしようと思っていたところだった。
「――じゃあな!」
別れの挨拶が一泊遅れてしまったのは、不意を衝かれたから。
よく、社長と歩いていたんですよ――そういった細木は微笑っていた。普段能面のような彼らしい、ぎこちなく照れもある笑顔だった。
「――さて、と」
ガサガサとビニール袋を鳴らしマンションに足を向けた麻生の頭の中で、勅使河原が言う。
あー。
かっこわりいな、俺。
「そんな事ねえよ、てっしー」
もう一度呟いて、麻生はエレベーターのボタンを押した。
――了――




