第34話:「Eliminated 男子」
麻生からその話を聞いた時、幸輔の頭は半信半疑どころか、一割信九割疑に傾いていた。
「ロッカーのカギをトウゴに渡してみてくれねえか。もしかすると、ロッカーまで行けるかもしんねえから」
「トウゴが連れてってくれるって?」
「そういう事」
病室のベッドで頷く麻生は、どうやら信じ切っているようだった。
「場所を示してくれんのがトウゴにしか思えねえんだよ」
「まさか〜」
幸輔は一笑したのだが、もしもそれが本当ならば少しだけ素敵だと思えたのが一割。彼を実行に移させたのは、むしろ九割の『ありえない』であって、その証明のために行動を起こしたようなものだった。
幸輔はトウゴを気に入っていた。トウゴも幸輔にはよく懐いていた。ロッカーのカギはむしろついでとしての付加物に追いやって、純粋にトウゴと遊ぼうと思った――のだが。
「…………」
呆然と佇む幸輔の足元で、尻尾を上機嫌に振るトウゴがいる。
「……………………」
くわえたカギを地面に置いて、トウゴは吠えた。
「……ま、ここはひとつ、整理してみよう」
平静を取り戻すため、つい先刻の事をわざわざ思い返してみる。
トウゴに会いに行くためコミュニティへ向かって、幸輔を見付けるなり跳び込んだトウゴをひとしきり撫でた後にカギを見せ、匂いを嗅ぐや彼の手から奪って駆け出して、どうしたのかと追い駆けて。
――ガタタン! ガタタン! ガタタン!
頭上を電車が過ぎる。佐岩井公園から10分ほど走って辿り着いた高架下は人気がなく、蛍光灯は思い出したように灯り、使われなくなって久しいと窺える寂れたコインロッカーが、陰湿な空気を致命的なまでに演出していた。
「……マジでか」
本当に、コインロッカーまで来てしまった。
「どうしてここを知ってんだ?」
聞いたところで、トウゴは幸輔の撫でる手に頭をこすり付けるだけ。
に、しても――ロッカーと対峙する。酔っ払いかケンカか八つ当たりか、随所がボッコリとへこんでいる外観、中にはドアがひっしゃげ、閉じる事も適わないものもある。ずいぶんと開放的になってしまった戸を指先で押してみると、錆びた蝶番が軋んで鳴った。
一抹の不安。
「……まだ残ってんのか……?」
意見を求めたら、トウゴに首を傾げられた。
カギを拾い上げた幸輔の目の高さに、『015』と記されたロッカーを見付けた。恐々とカギを差し込む。錆付いているせいかわずかな抵抗もありはしたが――
――ガチッ。
カギは回り、施錠は解けた。
――……あれ?
ふと手を止め、目の前にある『015』のプレートとトウゴを交互に見比べる。
「もしかして、そういう事?」
トウゴは幸輔をじっと見つめていた――
「――015(トウゴ)って事?――」
「――そういう事」
大東病院308号室。投げかけた問いを、麻生は顎を引いて受け止めた。
「015――15――トウゴ。頼んどいてアレだけど、まさかな〜とか思ったんだけど、アタリだったわけだ」
入院生活は退屈なようで、大口開けてあくびする麻生。
「これで全部、終わりだ」
ベッドいっぱいに背伸びした。
「あれ、中身は何?」
「遺書だってさ」
「へ〜――そんな大層なもん、コインロッカーに入れてたんかい」
ロッカーにぽつんと置かれていたのは1枚の茶封筒だった。さすがに、しっかりと閉じられた封を切る勇気も、ふてぶてしさも備えていなかった幸輔は一旦コミュニティに寄ってからトウゴを返し、ここまで足を運んだ次第。病室の前で、麻生と細木という奇妙な組み合わせと出くわし、麻生を介して茶封筒を受け取った細木は、
「迷惑かけました」
と深々と頭を下げ、帰って行った。
「中身、見なくて良かったの?」
「タケさんの遺書なんか、見たくねえよ」
ぶっきらぼうな麻生の語調は、どこか不安定さを隠し切れていない。そうだね――小さく、幸輔は応えた。
「――そういえば。細木さんは元気そうだったけど、あの、勅使河原ってヤツは?」
「元気みてえ」
今度は安定したぶっきらぼう。大して興味なしといった口調。赤く染まる左肩に手を当て苦痛に歪めた勅使河原の顔を、麻生は思い出していた。2人とも、撃とうと思えば続けて撃てたはずだ。いち早く動いた忍足を押しのければ、勅使河原は確実に細木を殺す事はできた。
しかし実際は――2丁の拳銃が同時に地面に落ちた。
――殺すつもりなんてなかったんだろよ。
屋上に到着した看護士たちは有り様を目の当たりにするなり蒼褪めたが、忍足の機敏かつ的確な指示を前に処置を優先してくれた。担架に乗せた麻生を先頭にして、左足を引きずる忍足、左肩を押さえる勅使河原、左脇腹から血を流す細木――1列になって手術室に吸い込まれる様は、端から見ればさぞ珍奇に思えただろうに。
「ふふ、ふふふ」
「…………」
聞こえない振りをしていたが、先程からずっと尋絵の含み笑いが続いていた。
「――あ、そうそう」
尋絵を、まるで不気味な何かのように見ていた幸輔が口を開く。
「受付の奥にさ、その日にいる医者の名前がひと目でわかるボードがあるんだよ。医者のフルネームが書かれたプレートを差し込んで、簡単に入れ替えられるヤツ」
単なる無駄話。
「へーそー」
麻生があくびするのも構わず。幸輔の話は進む。
「忍足先生の下の名前、憶えてる?」
「忘れた」
「ヒロトっていうんだけど、どういう漢字だと思う?」
「知らん」
「糸偏に広いの『絋』、透けるの『透』でヒロトなんだって。読み方かえるとコースケになるなあとか考えて、すっげー偶然!」
勝手に感動する幸輔、依然として含み笑う尋絵。
紘透――紘透。
過ちは5人――細木の言葉が蘇る。
消息を絶った、5人目のコースケ。
――もし……
もしも性転換をしていたら――女になっていたら、どうなる? コースケという男を探し続けても、女には辿り着かないのではないか。
忍足は時折、女とは思えない気迫を発揮した。元が男であったなら。
「……バカバカしい」
「何か言った?」
呟いた麻生の声は小さくて、幸輔の耳にまでは届かなかった。
「女って、ブランド物を与えたらこうなるもんなのか?」
「あんたにはわかんねえだけだ」
指差した先で尋絵に睨まれた。
「ブランド物ってキレイだし、女としては持ち歩きたいものなんじゃないの?」
「幸輔ってばいい男! どうして恋人いないのか不思議! どうしていないの?」
「俺に聞かれてもわからないっす」
「何でいないの?」
「わからないっす」
「ほしくないの?」
「ほしいっす」
「どうして作んないの?」
「できないんっす」
何とも取り留めのない一問一答を始めた2人をよそに、
――まさかな。
麻生は思考をシャットダウンした。




