第15話:「壊」
「エ――エリカは?」
急に声を張り上げ男の身が跳ねる。体を起こそうとしたのかもしれないが、タオルケットが許すべくもない。
「エリカはどこだよぅ! ぼくの愛するエリカは…!」
「なあオジサン」
静かに強く、男の語を遮った。
「オジサンとエリカは恋人か? 店の中だけの関係だろ? 別に付き合ってるわけでもねえだろ」
「なっ何を! ぼくはエリカを愛してるんだ!」
弱々しかった態度が一変、唾を飛ばして抗議する。
「いっぱい店まで行って! 手紙だっていっぱい書いて! プレゼントだってあげたんだ!」
純情とは程遠く濁った想い。ノイズの混じった恋心。ねじれた愛情――
「愛してるって言ったか?」
赤く濡れた男の瞳を見つめる。
「ぼくはっ…!」
「オジサンの事じゃねえよ」
その想いを。その恋心を、その愛情を。
「エリカはあんたに、一度でも愛してるって言ったか?」
ねじ伏せる。
男の右まぶたが痙攣した。
「……え?」
ぴくっ。
「愛してるって、あんたに言ったか?」
ぴくっ。ぴくっ。
「……エリカは、恥ずかしがりやだから……」
ぴくっ、ぴくっ。
「言わなかったろ?」
ぴくっぴくっ。
「……い、言いたくても、恥ずかしくて……」
ぴくぴくっ。
「言わなかったんだろ?」
ぴくぴくぴくぴくっ。
「……エリカは…ぼ、ぼくを、愛して…」
ぴくぴくぴくぴくぴくぴくぴくぴく。
「結局よ、あんたとエリカの仲ってのは――」
言葉を突き付ける。
「――商売なんだ」
ぴくっ――痙攣が止まった。表情が醜く歪む。
「う、あ……」
「一方的に愛してるだけなんだ」
「あ……」
「エリカにはれっきとした恋人がいるんだよ」
「…うぁ……」
「こんな事したって、あんたの愛は届きやしねーよ。エリカはあんたを愛しちゃいない」
決定的に、男の顔が崩れた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
自我も崩れ我が崩壊した、ざらついた悲鳴が鼓膜をつんざく。尋絵が耳をふさいだ。冷ややかに麻生は見つめた。ひっきりなしに叫ぶ音は部屋内を暴れ、途絶える事なく続いた。
「――――どうしてエリカを刺した?」
10分ほど声帯を酷使した男は、涙と鼻水とよだれを惜しげもなく垂れ流したまま呆けていた。喪失した自我を手探る事もなく、茫然自失としていた。
そんな彼に投げられた麻生の問いは、当然のように返る事もなく、虚空に吸収される。
「……そんな状態になる前に聞きなさいよ」
背後で尋絵が毒づいた。
「だよなー」
彼女の言を軽く流したのには理由がある。
麻生はケータイを取り出すとアドレス長を開き、電話をかけた。相手はすぐに出た。
『どうした、コウ。人殺しの自首だったら歓迎するぞ』
しゃがれた声はいつもの調子でからかった。
「ちっげーよ。出世できずにいる遠野のオッサンに手柄をあげようと思ったんだ」
『うれしくて涙が出る言葉だねぇ。飴ちゃんをあげよう』
「いらねーよ」
『ははっ! 俺にくれる手柄ってな、どんな首だ?』
「すとーかー」
『シケた首だな。どうせなら連続殺人事件の犯人の首をもって来いよ』
「そんな事件、起きてんのか?」
聞き覚えがなかった。テレビニュースなんて、思えば最近見ていない。
『ああ。九州でな』
「遠いよ。どう捕まえんだよ」
受話口でガハハ笑い。あまりの声の大きさに携帯電話を耳から離す。
『まあいい。今回はストーカーで我慢してやる。次はでっけぇ首を待ってるからな』
マンションの住所を告げて通話を終える。
「誰?」
「ケーサツ。仲のいいオッサンにこいつの世話頼んだ」
不思議そうに聞いた尋絵へ、魂の抜け切った男を携帯電話で指した。
「あ」
電話をしまい、ふと思い出す。
「こいつの名前って何だ?」
おもむろに麻生が、男のタオルケットを解きにかかったもんだから尋絵は驚いた。
「ちょっとっ!」
「何?」
体を拘束していたタオルケットが解ける――
「――おおおおお!!」
刹那、雄叫びを上げた男が麻生の首に手をかけた――!
「アソー!?」
尋絵の悲鳴――
ごっ!!
――鈍い音。
テーブルにあった招き猫の陶器をこめかみに打ち付けられ、白目を剥いた男は2度目の失神に倒れた。
「……ひやっとさせんなよ」
ほっと胸を撫で下ろす尋絵に破顔一笑。
「変態にやられるわけないっしょ――あ」
きしっ――麻生の右手の中で、招き猫が真っ二つに割れる。
空っぽの中身から何かが落ちた。
「何だこれ?」
麻生の拾い上げたそれは、小型マイクだった。




