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葉崎Guardian  作者: nakoso
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第6話:「尋絵's 腹の虫」


 葉崎市の東端――隣接する市との境界線として流れる宇佐川(うさがわ)沿いに、桜田梨香と井延耕佑の家があった。鬱蒼と草の生える川辺からは夏の虫の鳴き声が染み出る夕方6時。吹く風は湿気を含んで蒸し暑い。

「こりゃまた、人気の少ねえとこだな」

 周囲を見回す。部活帰りと思しき高校生たちが、遠くに見える橋を自転車で走っていた。

「若いねえ」

「年寄り臭っ」

 目を細めた麻生を見もせず、尋絵が吐き棄てた。聞こえなかった事にしよう。

「ここには何度か遊びに来てんの?」

「何度も遊びに来てんの」

「あっそ」

 嫌味ったらしく訂正された。どうやら腹の虫たちがこぞって悪い場所にいるらしい。

 一軒家やらアパートやらマンションやら、住宅が連なる区画の中でも、2人が目の前にしているマンションは建てられて間もない事がはっきりと明瞭に見て取れた。3階建てのグレーの外壁は色落ちもしておらず、オートロック式の出入り口は蛍光灯が明るく照らし出す。幅が狭い代わりに奥行きを持った、神経質なまでに直方体な無機物。埃ひとつ許さないという意気込みを感じる、綺麗にガラスの磨かれた自動ドアで仕切られた、エレベーターホールの手前に備え付けられているのは、2列×5列の郵便ポストである。そのうちの1つを、無遠慮にも、尋絵が開けた。

 ばさっ。

 彼女の足元に封筒がまとめて落ちる。ちっ!――苛立たしく舌打ちする尋絵にうんざりしながらも、

「おまえさー、何そんなに苛立ってんの?」

 封筒を蹴っ飛ばしかねない彼女より先に、麻生が拾い集めた。きびすを返し不機嫌を大いに散布しながら、尋絵がオートロックの自動ドアを開けている。

「……番号、知ってたのかよ」

 ドア脇の壁に埋め込まれたパネルを横目に、ずかずか進む尋絵を追う。麻生の言葉なんて初めからなかったかの如く、尋絵は別の方向から麻生と向き直った。

「仕事でヤなヤツの相手したのよ」

「どんなヤツ?」

「話したくない。思い出したくもない」

「――――おい」

 8通集めた封筒を片手に、大股で歩み寄った尋絵の肩を強引に引っ張る。

「痛いっ!」

悲鳴を上げた尋絵が手を振り払う。

「何すんの!」

「お前が仕事でヤな思いする事だって俺は知ってるよ。仕事が仕事だしヤな客でも相手しねえといけねーだろ? それで不機嫌になって言ってんじゃねーんだ。空気悪くすんなって言ってんだろ。八つ当たりなら1人でやれよ。見せ付けるようにすんじゃねー」

「うるせーよ」

「うるせー? 一緒にいる俺の身にもなれ。めちゃくちゃ居心地わりーんだよ。苛立つくれーなら話してくれた方が断然マシだ」

 唇の端を持ち上げ、睨め上げる尋絵は鼻で笑った。

「話してどうなんの?」

「いつもそうだよな」

「は?」

「自分以外の事だと相談すんのに、自分自身の事になるとまったく話さねえのな。目の前で苛立って八つ当たりして、話してくれねーとわかんねーだろ」

「じゃ、放っといて」

「放っとけねー」

 尋絵の顎を麻生の手がつかんだ。肉付きの少ない骨の感触。前に会った時より痩せ落ちた頬。

「自分の事話したっていいだろ。何を考えて何を感じてんのか、そんな事くれえ言ってくれたっていいんじゃねえか」

「……そんなの知ってどーすんの」

「おめーを知れんだろ。苛立つなって言わねーよ、俺だってイラつく事あんだから。話せ。おめーにとって俺はそんなもんか」

 睨み続けた尋絵から、小さくため息が漏れる。

「…………放して」

 その言葉からはもう刺が感じられない。

 言いたかった事はすべて吐き出した。麻生の胸にあったわだかまりは、払拭されこそしていないものの。

「放して……もうエレベーター来てる」

 見れば、ドアが口を開いていた。一言も口にする事なく手を放し、居心地が悪いまま尋絵とボックスに乗り込む。定員5名の空間で壁に寄りかかり、階数ボタンを押す尋絵を視界の隅で見つめた。

 ――ウゥゥ……ン……

 ドアを閉めたボックスが緩やかに上昇――その機械音だけが響く箱内で、麻生はぽつりと言った。

「友だちなのに何も教えてくんねえって、なんだか寂しいだろ?」

 足元に視線を落としたまま沈黙し続ける尋絵に耐えかねた。

「…………」

「……………………」

「……放っとけねー」

 次の句を放とうと口を開いたら、彼女に先を越された。麻生の口マネをして無表情のまま、また鼻で笑う。

「告白みたいじゃない」

「ときめいちゃった?」

「いっぺん頭かち割ったら?」

 語調が静かなだけに、冗談か判別し難い。

 ――チンッ♪

 3階に到着したボックスは、ゆっくりとドアを開いた。尋絵は動かなかった。

「出ろよ」

 麻生の言葉に応える代わりに、細い指を『開』ボタンに押し付ける。お先にどうぞ、という意思表示らしい。意地を張るつもりもない麻生は、あっさり箱を出た。

「――今日の客ね」

 ふいに尋絵の声が麻生を追い越す。

「ひどい客がいたのよ。店に初めて来たみたいなんだけど、やたらと命令するヤツで。あーしろこーしろ、何してんだバカ、そんなんで金取ってんのか、ちっともよくねーよ、この店はレベル低いなー。何様か知らねーけど、やたらとぶつサイテー男。――あー、ハラ立って来た」

 振り向く。彼女は下唇を噛んでいた。

「やたらとぶつ?」

「そう。文句言う度に」

「殴り返しゃいいのに」

「『殴ったらオーナーに言い付けるぞ』」

「ガキか」

 呆れる客もいたもんだ。

「顔じゃなくて、見えないとこばかり殴るのよ。腹とか腰とか背中とか、肩とか」

 通りで、肩を引っ張った時に痛がったわけだ。

「わりぃ」

「客だからってさあ、そんな事していいの? 真昼間からソープ来てるヤツにどうしてそこまで言われんだよ。ストレス発散グッズじゃねーぞ」

 次第に熱を帯びる言葉を、麻生は受け止めた。

「こっちだって仕事だから大人しくしてんだ、仕事じゃなかったらシゴくかよ! 何だあれ! 勃ってんのかわかんねえくれーのソチンが!」

 エレベーターホールで受け止め切れるものじゃなくなった。

「まあまあ、公共の場でハレンチな暴言は避けよう」

「アソー」

 きっと睨み付ける。

「腹貸せ」

「はい?」

 胸を貸せの間違いじゃ?――言葉の意味は直後にわかった。

 ――ぼぐっ!

「あー! スッキリしたぁ!」

 腰に手を当て仁王立ちする尋絵の足元に、腹を抑えてうずくまる麻生の姿があった。

「……結局、八つ当たりかよ……」

「こういう事あったら、次もよろしくね」

 華奢な体のくせに、不意打ちだったものだから拳が重かった。

「友だちだもんね」

 清々しい笑顔で覗き込む彼女が憎らしい。

 ――二度と店に行くな、ソチン。

 麻生は切に願ったという。

「さっさと起きろよ、アソー」

 つい先程までの事がまるでなかったかのような振る舞いで、爪先で小突く尋絵。

「――――――――ありがとね」

 麻生が顔を上げた時には、すでに彼女は廊下を進んでいた。

「…………まいっか」

 緩む頬を制し、立ち上がる。


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