第一章 〜死ねない・君〜 7
約十五分後、準備体操を終え、ようやくメインの球技に入っていく。この授業は練習をせずに、すぐ試合をやる形となっている。
俺たち男子陣は三チームに分かれて二チームが試合。後の一チームは場外で見学、及び審判をやることになっていた。
俺は霧と同じチームで最初の試合。結果はというと俺たちの圧勝。というか、霧が……いや、霧と雫がいるチームは、たとえ相手にその種目の部活をしている部員がいたとしても必ず勝てるというセオリーがある故、このような結果になるのだが。
「つかれた~」
と、さも疲れてなさそうなやつがそう言う。
「お前が疲れてるんだったら、俺はすでに瀕死寸前だがな……」
はぁはぁと息切れをしながらそう答える。
俺たちは一試合目を終え、一度もう二チームの試合をやって次に入る。なのでこの時間は少しでも息を整えるための休憩時間となっている。
「はぁ。ようやく落ち着いてきた」
地べたに座りながら深呼吸をしていると、横から甲高い声の歓声が聞こえてくる。
「ん? なんだ?」
そしてその音の方向を見てみる。
それは凄まじい女子同士のバスケットボールという名の攻防戦。
女子たちも俺たちと同じように三チームに分かれて試合をしているらしい。そして今試合を行っているのは雫のいるチーム。
得点板を見てみる。十四対二十。なかなかいい試合だ。しかし俺は「あれ?」と声を出してしまう。
「雫のチームが負けてる……」
そう。雫のチームが十四点で負けている。普段なら雫のチームが毎回接戦で勝っているはずなのに、今回は違った。六点差、雫のチームが負けている。
「どうなってるんだ……雫のチームが負けてるなんて……」
「あいつだな」
俺の横に腰を下ろした霧が指をさす。それは転校生、紅染リオン。
「んな馬鹿な。いくらあの転校生が運動神経いいからって、今まで雫やお前を超えるようなやつを見たことないぞ。今だって、きっと雫が手加減してるに決まってる……」
そう言いながら雫の方に目線を向けてみる。その姿は汗にまみれていて、とてもつらそうな顔をしている。
驚愕だった。雫が今まであんな疲れた顔をしたことなどただの一度たりとも見たことがない。これは言いすぎでもなんでもなく事実だ。毎回雫は体育が終わっても涼しそうな顔をしていつも終わらせている。
「……どうなってる」
そして、また同じことを言ってしまう。
「見てればわかるだろ。また紅染側の攻撃だ」
そう言われてボールの方を見る。パスが回って今現在、紅染リオンの手にボールがあった。ボールを弾ませては手に吸い付くようにして戻ってくる。何回もそのドリブルを繰り返し、目の前の相手を見ている。
その真正面には雫が腰を低くして構えている。その目つきは妙に殺気立っていて、意地でも止めてやると言っているようだった。
そしてその身は動き出す。
一気に走りだすのではない。徐々に、歩き出す。雫の方はそれに合わせて、体をずらす。
段々とコートの右側に移っていく、紅染。センターラインまで行き、それを過ぎていく。そして、それを雫が先回りする。ゆっくり近づいてくるその獲物を通さないように。
瞬間。紅染リオンは走り出した。
『走り出す』というよりは『突っこんでくる』の方が合っている。それほどまでに彼女のスタートは速かった。
ディフェンスの雫は抜かされないよう、走ってくる道をふさごうと割って入る。だが、紅染はその程度の壁は壁とみなさない。わずかにディフェンスの開いているコートの横の方、ライン際から体勢を低くして一気に抜こうとする。
それでも雫はそのぐらいはわかっている。だから足を小刻みに動かし相手の道をなくしに行く。
紅染リオンはそれに対し、スピードを緩める。その身を内側に入れて、コート外の方に体を向けドリブルをつき始める。
雫が動きを止めた。そう思った。
しかし、その獣はまだ停止しない。
次は最初にふさがれ、今は開いているコート内側の場所を、ゴールを背に向けた状態から反転し、抜こうとする。
まずい。そう直感したが、それでも雫は食らいつく。そこを更にカバーした。
だがしかしそこで、その勝負は終了していた。
「まずいな」
そう霧が漏らした直後のこと。さらに足を切り返して、ボールを斜めにつく。そして逆の開いてる手に持ち替えて、また先ほどガードしていた場所を、今度は少し大周りで走り去る。さすがの雫も、それは追いつくことができない。
そして彼女は領域の中。すでに止めることのできるものなどいない。
しかしゴール下にはまだディフェンスがいた。三人ほど、どうすればいいかわからないといった表情でそこにいる。それでもその場所は彼女のゴールを邪魔するにはいいポジションだ。これならレイアップは決められない。
否、それでも彼女の足は止まらない。
紅染リオンは真ん中に入っていき、ゴールから少し離れた所まで走っていく。もちろん一度ゴールに向かってもう一度後ろに下がっているのだから、ゴールに背を向けたまま。
そして中心、ちょうどフリースローを打つ線まで来た瞬間、宙に飛んだ。
半回転。ゴールに体が向いたその刹那。彼女はシュートを放つ。
そうして、二十二点目のゴールが決まってしまった。
とてつもない切り返しのクロスオーバー、フェイクの応酬。敏捷性ならNBA選手並みとも思えた。
「何もんだあいつ。雫が出し抜かれるなんて」
そう口にしたのは俺ではなく、霧の方だった。しかし驚きは俺とて同じ。あのデタラメな身体能力はいったい……。
雫を見ると、床に手をつきながら息切れをしていた。目の前のことがもの凄く信じられない。
「次のチーム。早くコートに入って。試合始めるぞ」
すると、他の終わったチームが俺たちに声をかけてくる。
女子の方はまたすぐにプレーが始まる。しかし、ボールマンの雫はすでに疲れで機敏に動けるはずがない。
俺と霧は女子の試合を後にし、その衝撃を胸に抱きながら試合を行った。
ただ目の前のありえないだけを頭の中で回転させて、俺たちのその試合、負けてしまったのだった。