第六章 ~知らない・程~ 1
三十分ほど経ったのだろうか。
刺された肩から血が流れて、腕が冷たくなってきている。電球一つしかないこの部屋はおそらく地下室なのだろう。出血のせいもあるのか、日も全く入らないここは鳥肌がたつほど寒かった。
「……はは……まさか担任の教師に殺されそうになってるとはな」
所詮はほとんどタニンか、と戯言をはいてみる。
しかしこれは本当にまずい気がする。出血は止まらず、腕の感覚など、もはやあるはずがない。
迂闊だった。まさか愛奈先生がアンデッドだったとは。
「それにしても、一体あの人は何処へ行ったんだ……? 何か苦しそうな顔をしていたが……」
俺に顔を近づけた瞬間、愛奈先生は急に血などを吐き、苦しみながらこの部屋を出て行った。いや、俺の血を舐めた後か……。
「何が起きてるかは神のみぞ知るか……。神様も少しぐらい教えてくれてもいいのにな」
こんな、もう少しで死にそうな身なんだから。
すると、扉の向こう側から足音が響いてくる。おそらく愛奈先生が戻って来たのだろう。それにしてもやけに早い足取りだ。駆けるようなテンポでこちらに向かってきているようだ。
そして、とてつもない勢いでドアが開かれる。
「――カイト!」
そこに入ってきたのは、俺の予想を裏切る人物だった。
「……紅染?」
紅染リオン。俺が探していた人は、そちらから俺の方へとやってきた。
「お前、どうして……」
ツカツカとこちらに寄ってくる、紅染。俺の肩の傷を見る。
「話は後。カイト、すごい出血が酷いわ」
そして、持っていた槍で俺を縛っていた鎖を切断する。ようやく自由に手足を動かせるようになり、張り詰めた緊張も緩んだような気がした。
「ありがとう、紅染」
「いいえ。そんなことより、とりあえず、上脱いで。私、あんまし医療系の分野には詳しくないけど、応急処置ぐらいはできるから」
手足が自由になった分、またさらに肩の出血は増していた。紅染は何処から出したのか、包帯を手に持っていた。
「……ああ。わかった。お言葉にあまえさせてもらうよ」
正直、さすがにこれはやせ我慢をしたら、まずいと思った。それほどまでに、腕の感覚がないのだ。
俺は上着を脱いで、傷ついた肩を紅染に包帯で巻いてもらう。
無言で、一所懸命に、紅染はそれを行っていた。
その静寂に耐えられなくなり、俺は口を開く。
「なぁ、紅染。お前、どうしてここに?」
「……始めから、この屋敷には来るつもりだったのよ。ここの存在も大分前から知っていた。でも結構頑丈な結界が張られてて、近づこうにも近づけなかったのよ。だけど昨日、セレナ・ブランアルベルとカンナ・ブランアルベルが死んで、この屋敷かかっていた結界が緩んだから今日を狙った。でも、その前に誰かさんが捕まっていたのは予想外だったけどね」
紅染は苦笑しながら作業を続ける。よく見ると、紅染もところどころ怪我をしている。
「お前がここに来ていてこんなことを聞くのも野暮だが……その、先生は……」
「……殺したわ」
平々淡々にそう答える。
「前から知っていたのか? 先生がアンデッドだったこと」
「ええ。入学してきた時からね。向こうも気づいていたらしいけど、その後は腹の探り合い。自分自身の存在がばれているか、ばれていないか。ばれていなくて迂闊な行動をとってばれてしまったら、身の危険をさらすことになる。それはどちらにとってもマイナスだからね。だから互いに学校では何もアクションを起こさなかった」
それは一種のジレンマだったのだろう。そして屋敷の結界が解除されて来て、お互いに知っていたことを知ることになったのか。
しっかりと、それでいてあまりきつくないように、紅染は包帯を巻いてくれた。おかげで幾分肩が楽になった。
「さあ。これで大丈夫よ。さっさとこっから出ましょう。ここは、あまりぞっとしない空間だわ」
そう言って、紅染は歩きだす。だが、俺はそのまま立ちすくしたまま。
「? どうしたの、カイト?」
不思議そうに、紅染は振り返ってくる。
一つの疑念を払拭したいがため、多分、ここを出たらはぐらかされて終わってしまうと思ったから、俺はこの場ではっきりと聞く。
「紅染。昨日の話の続きだ。お前が……アンデッドだってことについて」
紅染の瞳孔が開く。無理もない。俺の行為は、再び紅染との距離を離そうとしているものなのだから。
「……昨日も言ったでしょ。それは事実よ。私は化け物。貴方とは別の場所にいる、救われない異端」
「俺が聞きたいのはそんなことじゃない。お前がどうしてアンデッドなんかになったかだ。そして、どうしてアンデッドバスターになったのか」
その質問に、紅染は無言になる。不躾で無遠慮な問かもしれない。その立ち位置をさらに遠いものにする問かもしれない。
それでも俺は――
「知りたいんだ。俺は、どうも、お前が欲望にまみれた人だったとは思えない」
心の底から紅染を蔑むことができなかったから、そう言った。
「……」
紅染は黙って俯く。そして少しの沈黙が流れた後、その声が、この室内に響き渡った。
「……遠い、昔話よ……」