第四章 ~会えない・声~ 5
そして、全ては終わった。雫は圧倒的な強さを見せつけてその敵を倒した。その姿は、いつもの雫とは違う。凛とした振る舞いや雰囲気が、彼女を別人に感じさせた。
刀をまた鞘に入れて、こちらへ向かってくる。
その眼は、何かを狙う獣のように鋭い。
思わず身を引いてしまう。あれは……誰だ?
「おい、雫。あんまり変な殺気を出すな。カイトまでひいてるじゃないか」
霧が俺の前に立って、そう言う。しかし依然と雫の眼はその光が治まらない。
「悪いけど、そんな余裕はないわ。……なぜだかは分かってるでしょ、紅染リオン」
突然、紅染の名前を呼ぶ。傷が回復してきたのか、先ほどまでの顔色よりかは幾分かましな感じになり、身体を雫へと向ける、紅染。しかしその表情は、晴れてはいなかった。
「ええ。貴方が思っていることは簡単に想像できるわ。……だって、それは私のせいなんでしょ?」
何かを諦めたかのようにそう言い放つ。俺は話についていけない。
「じゃあ私があなたをどうしようかも予測がつくわよね。兄さんは優しい性格だからあなたの傷を治したけど……私は違うわよ」
そして雫は刀をゆっくりと抜く。紅染はそれを見て、微笑を浮かべる。
「そうね。じゃあ好きにしなさい」
槍を捨てる。無防備な状態で、立ち尽くす。
「……! おい! 何する気だ!」
俺は思わずそう叫ぶ。とてつもない、嫌な予感がして。
「見たらわかるでしょ? この女を殺すのよ。今。ここで」
いつもの雫からは想像できないほどの冷たい声で、俺にそう言ってくる。
「……殺す? どういうことだ」
思わず、声が震えてしまう。雫はあの瞳で、俺を見てくる。
「何も知らないのね、カイト」
感情がないというのはこういうことなのだろうか。雫の声は俺の頭の中に直接に入るような気分がする。
「いい? カイト。アンデッドバスターはね、有名になると異名と呼ばれる称号がつくことがあるの。そして、そこにいる紅染リオンにもそれがある。『西の聖職者』『紅の聖槍使い』。紅染リオンはそんな異名を持っている」
月は不気味なほどに明るく、辺りを照らし出す。まるで雫にライトをあてるかのごとく。
「そして、彼女にはもう一つどのアンデッドバスターも持っていない称号がある……それは『同胞殺し』。あなたも見たところ知っていると思うけど、私たちはアンデッドバスターという怪奇殺しよ。それはあの女もそう。でもね、あの女はね、自らが怪奇なのに同じ怪奇を殺す者」
淡々と、雫はそう語っていく。最後まで聞かなくても、俺はその話の意味は理解できた。それは、つまり――
「紅染リオンは確かにアンデッドバスターという衣を纏っているわ。だけどね、その下はアンデッドという穢れた身体があるのよ」
真実がその時紡がれた。
「紅染が……アンデッド?」
紅染を見ると、力なく笑っている。
「その通りよ。私はアンデッド。この身は呪われた魔術のせいで不老不死、不死身を手に入れた……化け物よ」
彼女自身の口からそう言葉が発せられる。その声は自らを嘲笑うものだった。
「……どういうことだ……」
そしてそう聞いてしまう。ただその真実を受け入れたくなくて。
「言った通りよ。私はあのセレナ・ブランアルベルたちと同じ。人の血を注入して存命するような汚い存在っていうこと」
今度は天を仰いで、紅染はそう言った。
紅染がアンデッド。今まで探して、倒そうとしてきたその敵は、ずっと俺の横にいた。穏やかな顔で、俺を守りながら。
どうして、と呟いてしまう。何も理解できない。裏切られたみたいに、心の中で悲しみが込み上げてくるような感じがした。
「そういうことよ、カイト。多分、笹江君を殺したのも、彼女よ。笹江君は学校で姿を消した。となれば、学校内にいる人しか、彼をどうにかすることはできない」
また胸が痛む。そして、思いだしてしまった。そういえば、笹江がいなくなったあの日、紅染は異常なまでに急いで学校を目指していた。
「紅染、お前……」
彼女は何も答えない。ただ風の音と川の音だけが、その場に流れるだけ。
そして、彼女は、雫の方をしっかりと見つめ直す。
「そうね。いつもなら逃げてやり過ごすんだけど、この身体じゃそれはできないわね。……いいわ。どうぞ、貴方の好きにしなさい。これも私の運命だわ」
そして、自らの終わりを受け入れた。
「潔いのね。わかったわ。今、殺してあげる」
雫はその刀をしっかりと両手で構えた。霧はそのようすを、腕を組んだまま黙って見ているだけだ。
俺はどうすればいい。この状況で、俺は――
「待てよ!」
目一杯の声で俺はそう叫ぶ。その声に、三人が俺の方へと顔を向けた。
「雫、殺さなくてもいいじゃないか。確かに紅染はアンデッドかもしれない。でも、アンデッドバスターでもあるんだろ? なら、今いきなり殺すなんてことはしなくてもいいだろ?」
「カイト。あなた、私の話を聞いて他の? 彼女はアンデッドなのよ。それを殺すのが私たちなら、その対象はアンデッドの紅染リオンも同じ」
一歩進む。紅染との距離を縮めていく。
「待てって!」
また叫ぶ。それでも俺の声は無視される。
また一歩。雫の表情は本気。彼女は本当に紅染を殺す。
「待てよ……雫……待てって言ってるだろ!」
そして、眼前。見上げるように、紅染を見ている。刀を振りかざす。
その時、大きなため息が聞こえた。
「待て、雫」
俺がいくら言っても聞かなかった雫が、その声に刀を振りおろそうとした手を止める。その声の主は、俺の後ろにいる、霧だった。
「どうしたの、兄さん」
表情を変えずに雫は尋ねる。霧は腕を組んで、あの三日月型の刃がついた武器を地面に突き刺していた。
「……紅染。お前を助けてやる」
その言葉に驚いたのは、その場にいる霧以外の三人だった。
「なに言ってるのよ、兄さん。こいつはアンデッドよ? 私たちの人生をめちゃくちゃにした内の一人……。そんなやつを助けるって言うの?」
「そうだ」
その答えはすぐに返される。俺には霧が何を考えているのか分からなかった。だが、紅染が助かるという事実にホッとしていた。
「おい。紅染。そう言うわけだ。速く逃げてくれないか? 助けるって言っても、この場は助けるってことだ。だからもしも、次にお前に会ったとき、俺や雫はどうするかわからない」
「兄さん!」
霧の勝手な判断に雫は怒っている。いったい、どういうことだろう。霧はなぜ、紅染を助けようとしているのか。
「いいの? ここで私を逃がしたら、後悔するんじゃないかしら」
「さあ、どうだろう。ただ少し、懸念してることがあってな。だから今日はお前を逃がす」
その言葉を聞いて、紅染は雫の方へと視線を移す。見ると、雫は怒りを無理矢理抑えているため、その刀を握る手は小刻みに震えていた。
「……兄さんの言うことだもの、仕方ないわ。でも、覚えときなさい。私はアンデッドは全員嫌い。だから次は容赦しない」
そう言って、雫は紅染から顔をそらした。
俺は紅染をじっと見る。彼女は傷ついた身体を引きずりながら、その場を去っていく。そして数歩歩いたその時、一度振り返って、
「さようなら、カイト」
どこか物憂げな顔をして、そんな別れの挨拶を、俺に交わしたのだった。