第四章 ~会えない・声~ 3⇔
何が起こったのか紅染リオンは理解できなかった。
確かにそこで決着がつくはずだった。あの鋭い爪で腹をえぐられ、腕を裂かれる。そんな未来の光景が目に入ってきていた。
だが、その予想は外れる。
「貴方……」
影があった。自分より一回り大きな影が。満月とは別に、三日月をそこに掛けて紅染リオンを守っている。
「そういえば、まともに話すのはこれが最初だっけか。その節は妹が世話になったな」
せめぎ合う爪と刃。三日月を先端に付けた杖を使って、うまく相手の攻撃を止めていた。その武器の主は、雨地霧。彼は態勢を低く、地面を押す力で攻撃を防いでいる。
それに驚きの表情を隠せない、セレナ・ブランアルベル。
「……お前、バスターの……!」
「よぉ。まさかあんな泥人形を四日も追いかけてるとは思ってなかったな。おかげでお前たちを探すのに苦労したぞ。まぁ、こんな堂々と力出して戦ってるんだ。気づかないわけがない」
そう言って、その武器を横に振る。そして、セレナは数歩後退。カンナのもとへと下がる。
「おい、カンナ姉。どうする、バスターだ」
「ああ。しかも二人か。面倒だな」
舌打ちを打つカンナ。それは自分の攻撃を防がれたことに向かってのものだ。
そしてやってくるのは三人目の黒いローブの人物。刀を腰に携え、風のように走ってくる。鞘を左手で持ち、いつでも引きぬけるよう右手は柄に添えている。
「――! カンナ姉、下がって!」
猛進する場は敵二人がいるその一点のみ。
その迎撃に対するため、前に出るセレナ・ブランアルベル。
そして抜刀する。同じように、腕を振るう。
交わるその二つ。月の光に当てられ、反射する刃は輝きを顕にする。
そして弾ける水しぶき。それはその鋭き刀からいずるもの。
「……な!」
その驚嘆に、思わず頬を緩めて笑みをこぼす、刀の主。
防いだはずのその攻撃。
しかし見るとセレナ・ブランアルベルの身体は、点々と、数か所、溶けているような穴がある。否、実際溶けている。
「くっ!」
また後退。しかし今度は自らの危険を察しての逃げのもの。
それを見て、雫はもう一度刀を鞘におさめる。それはその刀の能力を引き出すための、一つの条件だからだ。
「あら。少し刀を出すのが遅かったかしら。もっとタイミングよければあなたの爪を弾けたはずなんだけど」
悪戯じみた笑顔を見せる、その黒いローブの人。三人目のバスターを前に、カンナは眉をひそめた。
雨地雫、そして雨地霧。日本最年少、そして双子のアンデッドバスター。倒したアンデッドは三年で二桁を超えるというほど。
懸念していた一つの不安がここにあった。この街にいる三人のバスターの結託。それをさせないために、カンナたちの上の者は手を回していたのだ。だがそれが起きてしまった。
しかし現在は一人、最も危惧すべきバスターの紅染リオンが重傷を受け、二対二。これならまだなんとかなる可能性があるとカンナは思った。
見るとセレナはその場でしゃがみこんでいた。うめきながら、身体を丸めだして。
その傷を見るために、カンナはセレナに近づく。そして、その傷の意味を知って、雫を睨みつけた。
「なるほど……残りの二人のバスターも厄介だと聞いていたが……まさか、これは……」
「ええ。あなたたちの大嫌いな聖水よ。私の武器はね、その聖水を何度でもだすもの」
遥か極東の国。日本と言う場所に一つの物語があった。
それは八人の『犬士』と呼ばれる侍の話。その八犬士はそれぞれ珠を持ち、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字が描かれていた。
そして孝の珠を持つ犬士。その人が所有する刀。源氏の宝刀。幻の一振りがそこにはある。
名を『村雨』。「抜けば滴る氷の刃」を謳うその一本。
彼女の刀はまさしくその復元物だった。鞘におさめることによって抜刀時に水を滴らせる。
だが、ただの水ではない。それはアンデッドが忌み嫌うものの一つ……聖水である。その水に触れただけでも、それは効果を発揮する。アンデッドの身体の細胞は侵食され、破壊されていく。
故にその刀の銘は『天之水滴村雨』。天からの恩恵を受けた水が迸るその刀は、穢れた存在を浄化する――!
「厄介な特性だね。さすがに私もそれには苦戦するよ」
カンナが取り出したのは注射器だった。それをセレナの腕へ刺す。赤黒いそれはみるみるうちにその容器から消えていった。
雫はじっとその敵を見つめながら、もう一人の仲間へと声を発する。
「兄さん。この人は私がやるから手を出さないで」
「へいへい。お前のことだ。そう言うと思ってたよ」
ちらと紅染のことを見る、霧。まぁ、そういうことなんだろう、と理解していた。
セレナは徐々に回復している。そして、ふらふらと立ち上がっていく。
「……くそっ! バスターめ……。あたしの邪魔ばっかりしやがって……! ゆるさねぇ……。ゆるさねぇぞおお!」
狂気じみた声を上げて、セレナはいきなり飛び出していく。
「待て、セレナ!」
カンナはそれを制しようとした、が遅かった。それはすでにブレーキの壊れた車。止めることのできる方法は何もない。唯一あるのだとしたら――
「うわぁああああぁあああああ!」
「――居合」
一メートル。そこが雫の絶対迎撃ポイント。雫は右足を前に出す。その長いローブを袴に見立てて、足を隠すようにする。
9、8、7、6、5、4、3、2……1。
「入った」
刹那、弧を描いた光が見えた。
飛び散る血。飛び散る水。
――そう、それ自体を破壊すれば全ては止まるのだ。
刀は鞘へ。戻るべきものが、戻るべき場所へと向かう。それはおそらくセレナも同じだろう。
静かに、倒れていく、セレナ・ブランアルベル。
最後に耳に入って来たのは、聞きたくもない、川の水が流れている音だった。