第三章 ~落ちない・泥~ 1
日の光が窓から差し込み、俺は目を覚ます。時刻は七時半。心地よい朝かというとそうでもない。なにせ昨日は体験と知識の情報量がいっきに増えたからだ。
「かったるい……」
つい、そうぼやいてしまう。怪我は一切していない。しかし精神疲労からくる頭のぼやけ具合が、その身体を気だるくする。
「だけど、今日から紅染と一緒にアンデッドの探索をするんだ……。寝言は言ってられないな」
そう言って、俺は勢いよく蒲団から飛び出す。そして朝食を作るためにキッチンへと向かった。
八時十五分。俺は正門をくぐりぬける。いつも通りの登校。ただし俺はずっと、考え事をしながらその通学路を歩いていた。
それはもちろん昨日の出来事。俺はまたアンデッドについて考えていた。
空は相変わらずの晴天。昨日の事件が嘘みたいな晴れ模様。
「おっはよ。カイト」
声を弾ませて俺に挨拶してきたのは雫だった。溌剌とした笑顔で俺の隣りについて歩く。
「おはよう、雫。なんだ、今日は一人か?」
挨拶をし返す、俺。
先ほどからずっと昨日のことを思案していたが、それを止めた。いつも通りにふるまわないといけない。
そんなことを思いながら、俺は周りを見渡す。しかしいつもなら雫と一緒のはずの霧の姿が見当たらない。さては寝坊だなと踏んだ。
「ご察しの通り、寝坊よ。あの調子じゃ後一時間は蒲団から出てこないわね」
腰に手を当て兄のだらしなさを嘆く妹。それがどこかおかしく感じた。
「あいつらしいな。二時間目から登校にかける」
「私は三時間目。それも授業が終わるギリギリね」
俺たち二人はニヤリとしながら、そんなことを言う。そして顔を見合して大笑いする。
「あはは。どうしたの、カイト。何か今日、機嫌よさそうね」
「ん? そうか?」
実際、俺には昨日の事件のことがある。そんな機嫌がいいとは思えないのだが、
「そうだな……。何でだろう。少し心が昂ってるのかもしれないな」
わからない。不安が心にあるはずなのに、俺の意志は、揺るぎないように思える。
「ふーん。へんなの。まぁ空回りせずに頑張りなさいよ」
そんな会話をしながら、俺と雫は昇降口へと入る。まだ教室にはあまり人はいないだろう、余裕の時間だった。
――はずだった。
雫と別れ、俺が自分の教室に入ろうと思ってそこまで歩を進める。
しかしその教室前の廊下には多くの生徒がたかっていた。
「って、なんだこれ!」
ワイワイガヤガヤと、教室内を覗いている生徒たち。どうしたのだろう、事故か何かか?
「っと、悪い、通してくれ」
俺はその人を避けながら、教室へと入るためにドアを開ける。
「なるほど」
その瞬間、納得した。中にも生徒が数人、ある席を囲んでいる。無論、一番後方の窓際の席だ。
「リオン様。暑くはないですか?」
「リオン様。お飲み物はいかがですか?」
「リオン様。愛してます!」
きゃーきゃーと騒ぐ、生徒(男女比3:7)。……なんだろう。新興の宗教のようなものなのだろうか?
見ると、全員が全員『リオン親衛隊』と書かれた腕章をつけている。いつの時代だ……。というか、名称少し変わってる……。
とりあえず無視して席に着こうとしたが、俺の席の方まで人の群れがあるせいで、荷物すらも置けない。
そのせいで俺が呆然としていると、突然奥から、
「カイト」
と、なにやら嫌な呼びだしを食らう。その声の主はもちろん、紅染リオン、その人だ。
「ナンデショウカ、紅染サン」
ハハハと苦笑いをしながら、俺は返答する。席に着いていた紅染は立ち上がり、他の生徒のことなど目にもくれずに、俺の方へ歩いてくる。今、周りのリオン親衛隊の視線が、俺にロックされる。
「なんでしょうか、じゃないわ。要件ぐらいわかってるでしょ」
そう言って、紅染はさらに近くにきて、手を肩に乗せて、俺の耳の近くへ顔を近づける。
「――っ!」
俺はその近さに脈が速くなるのを感じた。微かな血の匂い。その匂いがさらに動悸を激しくする。
それを見て、何やら周りからは落胆の声や、歓喜の声のようものが聞こえた。
そして紅染は囁くように言う。
「いい、今日の放課後、さっそく行動開始だから。とりあえず帰ったら昨日の公園に」
そうして、何事もなかったように、また自席へと戻っていく。
なぁ。それはいいんだが、何で今言う? もう少し人目をはばかるという行為をしないかな。
紅染が席にまた着いても、彼らの眼差しは、俺に向けられている。
居場所のない俺は、その場から逃げるために、トイレへ駆け込んだのだった。