第二章 ~見えない・闇~ 11
少しの時間が過ぎる。時刻は一時過ぎ。俺は紅染の入れてくれた麦茶を飲みながらそこでくつろいでいる。紅染はさらに細かく説明をした後、朝に食べる者がないことに気付き、コンビニに買いだしに行った。それまで、俺は留守番としてこの部屋にとどまらせてもらっている。
これでようやくモヤモヤしていたものがなくなってくる。それは前の見えない闇から光が漏れるように。
俺に言ったあの言葉、あれは本当の忠告だったのだ。普通なら隠匿すべき情報を、あえて遠回しでも教えてくれた。そして時々感じた、紅染から出ていた血の匂い。あれも戦闘の返り血、もしくは自分の傷からでたものなのだろう。
俺はそう思い、ほっとした。紅染が人を殺すようなやつでないとわかって、安堵したのだ。
しかし不安事も増えた。アンデッド。不老不死でなおかつ不死身の存在。そんな化け物がこの街にいるなんて、考えてみただけでも身の毛がよだつ。
しかしどうやらアンデッドにはもう少し弱点があるようで、基本は夜にしか行動しないらしい。なんでも日に当たると血の腐食が早くなるらしく、行動はできなくはないが、昼の行動は避けているようだ。なので紅染が警戒する時間帯も絞ることができるので、先ほどの俺のように被害者を出さずに済むということだ。
「それでも、さっきのやつはまだ生きてるんだよな……」
紅染はさっきの女アンデッドのことも話していた。名前はセレナ・ブランアルベル。元は魔法を使う人間だったが、それも自身の欲望のためにその禁忌を犯した。しかもそれは一人ではない。計三人の姉妹と共に。ブランアルベル家には三人の姉妹がいる。その他の二人も同時にその術を使い、アンデッドとなった。その三人は何年か前は別々に行動していたらしいが、最近、その姉妹が介しているという情報が、紅染の『組織』とやらに伝えられた。しかも紅染が探し続けているアンデッドがその姉妹を集めたという情報と一緒に。
「でも未だ見つからず、目的すらも不明。さっきの戦闘で聞き出そうと思ったらしいけど、俺の保護を優先した……か」
散々迷惑をかけっぱなしだ。せっかくの情報を俺のためなんかに投げ出させてしまった。
色々な話を紅染から聞いた。どれも現実味が欠けた、ヴァーチャルのような話。しかし俺はそれを体験してしまった。魔法とか、死なない人間とかを、リアルに。
「夢だったら、よかったのにな」
さて、これから俺はどうするべきなのか。街に蔓延るアンデッド。俺ができることは確かにゼロに近い。むしろマイナスの域かもしれない。それでも俺は――
「紅染に協力しよう。確かに危険かもしれない。でもこのままじゃ貸しをつくってばっかだ」
「それは無理よ、カイト」
突然、後ろから声がする。いつの間に帰ってきていたのか、そこには紅染の姿があった。
「紅染……。無理ってどういうことだ」
「他意はないわよ。無理だから無理って言ったの。生身の訓練を受けてない人間が、アンデッドに立ち向かうことはできないわ」
持っていたレジ袋を机の上において、缶コーヒーを取り出す。紅染はそれを椅子に座って飲み始める。
「誰も戦おうなんて言ってない。お前の手伝いをするって言ってるだけだ」
「それでもダメよ。危険が伴うもの。いい? このことを教えたのは、あくまで状況説明の一端としてよ。なにも貴方に協力してもらうためじゃない」
非情な声でそう言ってくる。今はどうやら、アンデッドバスターとしての紅染がいるようだ。民間人の俺には協力させたくないと思っている。
「……怖いんだ」
俯いて、俺はそう言う。
「え?」
「俺が殺されるのがじゃない。他の知り合いが殺されるのが怖いんだ。今日だって一人、俺の友人が行方不明になった。多分それもアンデッドだろ? 原因がわかってるのに俺はそれを止められない。止めたいと思ってるのに止められない。嫌なんだそれは。できることをしないのが、俺は一番嫌なんだ……」
そう。どこかの奥で、そんな声が聞こえてくる。自らを犠牲にして、その――を行う。そんな声が。
紅染は黙って両手のひらの中で缶コーヒーを転がしている。そして少しの沈黙の後、立ち上がってゴミ箱の中に入れた。
「協力はやっぱりダメ。貴方を危険にさせるから」
背中を向けながら、俺に向かってそう言う。
「……でも」
その声に俺ははっとする。そして、その言葉を続ける。
「私の跡をついてくのは構わないわ。それなら危険と呼べるものは無いと同じだから」
そう言って、紅染はさっき持ち帰ったレジ袋の中から缶コーヒーを取り出し、俺に渡す。
「……ありがとう。紅染」
そう言って、俺はその缶コーヒーの蓋を開けた。
時刻は二時になっていた。さすがにそろそろお暇することにした。
俺と紅染は玄関で靴を履く。紅染もおそらくまたアンデッドが出現するとは思えないが、念のために途中まで送っていくとのこと。
「色々と迷惑掛けたな」
「これからも掛けるの間違いじゃない?」
悪戯な笑みを見せながらそんなことを言う。それに俺は苦笑いをする。
「ああ……それと、ごめん、紅染」
「? 何が」
俺はその謝罪の意味を言わない。
そう、俺は疑っていたのだ。紅染が笹江や他の人を殺してしまったのだと。それは今さらながら、最悪のことだと感じる。
「いや、別に。じゃあ行こうか」
俺はドアを開けて歩きだす。そうして俺の長い夜は終わる。全ての始まりの夜。その日の星はやけに澄んで見えていた。