第二章 ~見えない・闇~ 7
私服に着替える。場所などわかるはずがない。だが俺はそれでも探し出そうとする。
一抹の希望。そう、まだ紅染が何かをしたなんてことは、わからないんだ。
「とにかく、あの交差点まで行ってみるか」
見つかるはずはないが、とにかく行動を起こさなくてはいけない。
仮に、今日、紅染を見つけられなかったら――
「いや、もう止めよう」
考えにノイズをかける。そして俺は家を飛び出す。
交差点までは走って五分もかからない。俺は心の中で今日はよく走る日だなと思いながら、一本道を駆け抜ける。
打ち付ける鼓動が一歩一歩早くなっていくのを感じている。
そして、ようやくその交差点へとたどり着く。辺りは暗く、車の通りはほとんどない。街灯だけがさびしく光っているだけである。
「確か、向こうを五分行ったマンションって言ってたな……」
場所ははっきりしないが、だいたいの建物の位置は把握できる。ここら辺は意外と一軒家が多いのだ。ならばこの道沿いにあるマンションは限られてくる。
「だけど本当に紅染なのか……」
もう一度、俺は考えてしまう。
確かに紅染は俺に忠告してきた。「気をつけた方がいい。貴方も、貴方の周りも狙われている」と。しかしそんな言葉、俺をからかってただけではないのだろうか。
――いや、思いだせ――
そうだ。別に今日学校に戻ったのだって、理由は聞かなかったが、忘れものをとりに帰っただけだろう。その時にたまたま笹江がいなくなっただけで。
――俺は、知っているはずだ――
それに一介の女子高生がそんな高校生の運動神経のいい男子をどうにかできるわけがない。誘拐となればそれこそ無理だ。
――誘拐? そんな生ぬるいものだったか――
転校してきた女の子が、そんな馬鹿なことをやるわけが……。
――まだ誤魔化すか。お前はあの匂いを知っている――
「あ」
そう声を漏らしてしまう。
――そう。あれは、あの匂いは、明らかに『血』のそれと同じではないか――
その考えが、奥底から這い上がって、俺の思っていたことを打ち消す。
転校してきた初日、俺の横を横切った時もあいつは血の匂いを纏っていた。そして、昨日はもっと濃厚な匂いがした。
「そうだ。俺は気付いていた。あいつからはずっと血の匂いがするって」
だからこそ、あいつを心の奥で疑っていた。
「探し出す。そして、あいつに聞く」
その疑念を払拭するために。真実を。
何軒目のマンションを当たっただろうか。交差点から少し歩いたところの建物を片っ端からポストを見て行ったが、どこにも『紅染』の文字はない。全てのポストは違う名前で埋まっていた。
「どこだ。紅染……」
また俺は探し出す。
空に広がる暗い闇を、月光だけが消し去っている。
次のマンションを目指して俺は歩く。
すると裏道を入ったところに、本当に小さな公園があった。ただブランコとベンチがあるだけ。おそらく、誰もほとんど近づかないだろう公園が。
しかし、そこには一つの影があった。電灯もないその場所に、うっすらとした人影が、月を眺めながら、中心に立っている。俺は少し気になってしまう。それは何かに誘惑されるように。
「なんだ……これ」
ふらふらと、俺はなぜか公園に入ってしまった。そうすると、その人物が声を発する。
「へぇ。やっぱ待ってみるものだな。飛んで火に入る夏の虫って、確かこっちの諺だよな?」
その公園にいる人は不気味に笑いながらこっちを見てくる。どうやら女性らしい。声の高さからわかった。
おかしい。身体が勝手にその公園に入っていく。いや、吸い込まれるといった方が正しいのかもしれない。まるで花に誘われる蝶のよう。
「こいつはまた、若々しいのにヒットしたな。久しぶりに栄養がありそうだ。まったく。姉気もヘッドも昼間も動けるっていう反則技使うからなー。やってられんよ」
近づくにつれ徐々にその人の姿を確認できるようになる。やれやれと肩を落とし、こちらを見てくるその女性。
ダメだ、これ以上この女性に近づいてはいけない。本能でそう告げる。そうわかってもひとりでに足が進んでいくのだ。
「くそっ!」
俺はさらに意識を強くして、その足を止めようとした。そうして少し緊張の糸を張ると、わけもなく身体は止まってくれた。
「? 何でだ? 誘惑の結界はまだ張られているはずだぞ。おい、お前。何で止まる?」
その女性は急に眼光を鋭くさせる。結界? 何のことだ?
「何がだ。止まりたいから止まっただけだろ。それに誰だ、あんた?」
そう言うと、更に俺を睨みつけ、驚きだす。
「動けて、しゃべれる? まさかお前……いや、そんなわけないな。お前にはそんな気配はない。ただイレギュラーなだけか」
そう言うと、その女性は俺に近づいてくる。
まずい。この女に近づいてはいけない。
そう思って、その場から去ろうとする。
「まぁいい。いや、なおいいか。そんな珍種の味というのも悪くない」
その時、そいつは指を鳴らす。するとガチンと、何かが閉まる音がした。
「え?」
「これでお前は籠の中。もうこの公園内は、全て閉じられた空間だ」
女性はただ不気味に笑っているだけ。その姿にぞっとして、俺は踵を返して駆けだし、公園を出ようとする。
しかしその出口だ、俺は何かにぶつかる。
「っつ……!」
前を見ても何もない。だが、確かにそこには何かが在った。
「これは……壁?」
「だから無理だって。お前はもう、私の獲物。決して逃げられないし、逃がさない」
夢でも見ているように、頭がぼんやりしてしまう。どうなっている? こんなことがありえるのか?
「あんた、何者だ……」
頭の中が錯綜しながら、俺はそう問う。
「これから殺す人間にそんなこと言ってもなぁ。あたしの得ないし」
殺す。この女ははっきりそう言った。その返答はあまりに純粋過ぎて、さらに畏怖の念を募らせる。
何が起きている? たまたま入った公園に、見知らぬ女性がいて、そして俺を殺そうとしている。
「なんで俺が殺されなきゃいけないんだ……原因も理由もわからない」
押しつぶされそうな恐怖という威圧。その女はさらに口を釣り上げて、
「そんなの、あたしのためだよ」
欲望にまみれたような答えを、吐き出した。