第二章 ~見えない・闇~ 3
午前、午後と特に何事もなく終え、現在は下校時刻である。昨日のように霧は何も言わず、まっさきに帰宅し、俺はまた一人となった。しかし今日は課題の出し忘れなどの用事も特にはない。なので俺も直帰でいこうと思っていた。
だがそんな俺を止めてくる人物、一人。
「あら、カイト。もう帰るの?」
……またか。
後ろからやってきて、俺に声をかけるその人物は紅染 リオン。また俺につっかかってくる。
ちなみに今日の昼は俺自身、霧と共に学食にすぐ逃げ込み、そこで昼飯を済ませたので何とかなったのだが。
「ああ。特に残る用事はないからな」
「へぇ。そうなの。じゃあ私も一緒に帰るわ」
「……へ?」
うまく紅染が言ったことが飲み込めない。一緒に帰る、というのは、えっと、要するに……。
「俺と一緒に下校するってことか?」
俺が間抜けた顔でそんなことを言うと、紅染は涼しい顔で首肯する。
「そうに決まってるじゃない」
また俺は四方八方から何かの視線を感じる。まずい。いや、何がって、まず自分の命が。
「な、なんで!」
「別に。ただ何となくだけど」
だめだ、理由になっていない。確かにそんな誘いをこんな綺麗な子から受けて嬉しくないわけがないが、あまりにも俺とは不釣り合いすぎる。
「えっと……」
周りを見渡す。そこには憎悪の目を俺に傾けてくる人たちが。だが、かといって、そんな誘いを無下に断るのもどうかと思うし……。
「紅染。ちょっと」
俺は少し紅染に近づく。もちろんその距離は、この教室にいる殺戮者たちが奮起しない程。そして声をひそめて囁く。
「いいか、最初に俺がこの教室から出る。そうするまでお前はここにいろ。その後から一人で教室から出てくれ。そしたら……」
そう言うと、紅染は頷き、俺はその場を紅染を置いて去る。そして、そのまま教室を静かに出て行った。
「ふぅ。……さて」
そのまま俺はドアの横で立っている。
約三十秒後。紅染が教室から出てきた瞬間。
「行くぞ! 撤退だ!」
そして、一気に廊下を駆け抜けて、他の追随を許さないほどのスピードで学校の正門まで逃げたのだった。
正門を抜けて、そこから長く続く坂道を下っていく。俺は息を整えながら歩を進めていた。
「やれやれ。なんとか撒けたか」
「変なことするのね」
それはお前のせいだろう、と言いたくなる。
教室にいる『紅染親衛隊』(本日昼結成)の目から逃れるには一気に学校を出なくてはならなかったのだ。もちろんそれ以外の生徒の視線もあったが、とにかく、今を乗り切ればいい。明日俺がどうなるかは明日の問題だ。
紅染はあれだけのスピードで走ったくせに息切れしていない。ホントにこいつは何者なのだ?
「で、ホントにどうして俺と一緒に帰るなんて言ったんだ?」
速くもなく、遅くもないペースで歩む中、どうしても、これがまだ疑問に思った。ただ一回だけ話しただけのクラスメートと、一緒に帰ろうと言った理由が俺には分からない。
「ホントに理由なんて何もないわよ。ただ何となく。そうね、あえて言うなら、昨日も言ったように貴方に興味を持ったから」
真正面、坂を下っているのでちょうど雲を見るように、紅染は言った。
「興味ってなんだよ? その、俺、昨日は変なことしか言ってないぞ?」
ただ俺の思ったこと、しかも幼少期に思ったことを言っただけだ。そのどこの要素が彼女に興味を持たせたのだろう。
「多分。今の貴方じゃ理解できない。なにせこれは『私』が『私』だからこそ興味を持てたのだから」
「は?」
見ると紅染は苦笑していた。何だろう、ただ誤魔化されただけだろうか。
「いいのよ。そのうち分かるかもしれないし、分からないいかもしれないけど。とにかく私はそういう気持ちを貴方に抱いた」
こっちを見てくる、紅染。俺は少し恥ずかしくて、前を見る。そこにはまだ沈まない太陽がある。白く光るそれは、後に赤く辺りを覆うのだろう。
「よく分からないが、まぁいいか」
別に深く考えることではないと思い、俺は頭を掻きながらそう言った。
紅染の言うことはいちいちよく分からないなと思う。
そう、昨日の最後に言った言葉だって……
「そうだ」
俺は昨日のあのシーンと、紅染が言った言葉を思いだす。
――気をつけたほうがいい。貴方も、その周りも狙われてる――
あれは何かの暗示なのだろうか。それともホントにこの言葉通りの意味なのか。
「なぁ紅染。お前昨日俺に妙なこと言ったよな」
そう聞くと、何が? という顔でこちらを見てくる。
「紅染が最後に言った言葉だ。「気をつけたほうがいい。貴方も、その周りも狙われてる」って言っただろ?」
俺がそう言うと、紅染は「ああ」と思い出したように言葉を漏らした。
「知りたい? その言葉の意味」
そして、また、昨日のような笑みを見せる。
正直、それはクラっとくる。なぜか艶めかしさを醸し出している、その笑顔。だからなるべく視線を合わせないように話す。
「意味というか、何でそんなことを言ったのを知りたい。そんな『狙われてる』なんて物騒なことを……」
まるで俺を脅すように言ったその言葉。そんなことを彼女が言った理由は何なのか。
「さぁ。どうしてかしら」
また誤魔化すように返答する、紅染。俺はその答えに少し頭にきてしまう。
「おい、ちゃんと答えてくれ。別に俺を怖がらせたって何にも……」
俺がそう言い放っていると、紅染は急に後ろを振り向く。それは俺たちがずっと下って行った、坂道の上を睨むように。
「紅染?」
その時の紅染の様子は少しおかしかった。さっきとはうって変わり、何か険しい表情をしている。
「ゴメン、カイト。ちょっと私、用事がある」
そんな顔のまま、彼女は今来た道を逆走していく。しかもかなりのスピードで。
「って、おい。紅染!」
声をかけても止まらない。どうする。俺はここで、あいつを追いかけるべきか――
「……当り前か。あんな顔してたら、気にならないわけないよな」
だから俺は走り出す。紅染からの答えを聞きだすために。