序
世界は、灰を被せたようにくすんでいる。
校門を出て二十歩あまりの位置にある、大手のコンビニエンスストアも、錆びた自転車に二人乗りして、蛇行しながら真下を通り抜ける金髪たちも。そしてそれをもつれる足で追い掛ける、嫌われ者の秀でた教師でさえも。
何もかもが、遠い。
眼下の世界が現実から切り離されたような、あるいは自分だけが無音の別次元に飛び込んだような、そんな途方もない距離を、漠然と感じる。
身長を越すフェンスに足を掛けて身体を引き上げると、交差させた腕に顎を乗せた。風が強い。不安定な足場から来る若干の浮遊感に、目を細める。
何も遮るものがない開けたコンクリート製の屋上は、やけに静かだった。
五感に染み込む冷えた静寂。何と無く、腑に落ちない。居心地が悪い。
それを壊すように、記憶の端にちらついたメロディを口ずさんでみた。苦味のない甘過ぎるバラード。確か、最近流行りの男性歌手の歌だった筈だ。
喉の奥で音の外れた旋律を奏でながら、瞬きを繰り返した。ぼんやりと霞架かった視界を占めるのは、微かな眩暈を覚える俯瞰の風景である。五階分の高さは人間で有る限り絶望的なものだが、現実味のないどこか幻想めいた危険に、恐怖は感じない。
だが、体中を駆け巡る、このどうしようもない落下の欲求がその所為ではないことは分かっていた。
――この感覚は馴染みのもの。高みから眼下を見下ろす度、捕われる衝動である。
このまま手を離して、風に身を任せたい。解放されたい。
何から?
分からない。
高い空を仰ぐ。青過ぎるそれは、また遠い。
目の前が暗転していく。視野が狭まる。気付けば、果てのない暗闇を落下していくような錯覚に陥っていた。
――ああ、堕ちる。
黒を昏く覆うようにふっと瞼を伏せると、瞼の裏に赤色がちらついた。
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