「君なら待っていてくれる」と雪の夜に置き去りにされたので、もう窓辺の灯りはつけません
「ミレイユ。君なら待っていてくれるだろう?」
レオナール様は、私の返事を聞く前にそう言った。
王宮の大広間では、冬至祭を締めくくる最後の舞曲が始まろうとしていた。天井から下がる千本の蝋燭が金色に揺れ、楽団の奏者たちが弓を構えている。
私は薄青いドレスの裾をつまんだまま、彼の隣に立つフローラ様を見た。
「急に息苦しくなってしまって……。ごめんなさい、ミレイユ様。少し休めば平気だと思うのですけれど」
フローラ様は胸元を押さえ、レオナール様の腕に寄りかかっていた。頬は白く、声もか細い。けれど先ほどまで、友人たちと笑いながら三曲続けて踊っていたことを、私は知っている。
「馬車で彼女を屋敷まで送ってくる。最後の曲には戻れないかもしれないが、控室で待っていてくれ」
「今夜のために、三か月前から約束していました」
言うと、レオナール様は困ったように眉を寄せた。
「分かっている。だから謝っているだろう。ただ、具合の悪い人を放ってはおけない」
「フローラ様のご家族も、侍女もいらっしゃいます」
「彼女は幼い頃から私を頼ってきたんだ。君は一人でも大丈夫だろう?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが音もなくほどけた。
君なら待っていてくれる。
君は一人でも大丈夫。
七年間、何度聞いただろう。
最初に聞いたのは、婚約して半年ほどたった春だった。
庭園で昼食を取る約束の日、レオナール様は二時間遅れてきた。騎士見習いの訓練が長引いたのだという。私は冷めたスープの前で本を読みながら待っていた。
『怒らないのか?』
『お仕事なら仕方ありません』
『君なら分かってくれると思っていた』
ほっとしたように笑う彼を見て、分かってあげられたことが嬉しかった。
次は、私の誕生日だった。
彼は祝宴に来なかった。フローラ様が飼っていた小鳥を逃がし、一緒に探していたのだと翌日に聞いた。
『君への贈り物は、日を改めても渡せるから』
その年の贈り物は、結局届かなかった。
それでも私は待った。
夜の見回りがある日は、伯爵家の二階にある窓辺へ青いランプを置いた。
王宮から彼の屋敷へ帰る道には、我が家の前を通る場所がある。青い灯りが見えると、無事に帰ってきたのだと安心するから、消さずに待っていてほしい。婚約したばかりの彼にそう頼まれたのだ。
雨の夜も、風の夜も、私はランプに油を足した。
彼の姿を見つけられるわけではない。窓の下を馬車が通る音がするたび、厚いカーテンを少しだけ開ける。けれど暗くて紋章までは見えない。それでも翌日、『昨日も灯っていたな』と彼が笑えば、待っていてよかったと思った。
いつからだろう。
彼がその灯りに礼を言わなくなったのは。
「ミレイユ?」
名前を呼ばれ、私は冬至祭の広間へ戻った。
レオナール様は焦れているようだった。フローラ様を支える腕には力が入っている。
「お待ちします」
私が答えると、彼の顔から緊張が消えた。
「ありがとう。やはり君は優しいな」
優しい。
以前なら、その言葉だけで胸が温かくなったはずだった。
二人が広間を出ていく。閉じた扉の向こうで、楽団が最後の曲を奏で始めた。
私は壁際に立ったまま、一曲が終わるまで動けなかった。
踊り終えた人々が帰り支度を始める。知人から馬車に同乗しないかと声をかけられたが、レオナール様が戻るかもしれないからと断った。
やがて大広間の蝋燭が消され、私は控室へ移った。
暖炉の火は小さく、窓の外では雪が降っていた。侍女のセラが膝掛けを持ってきてくれる。
「お嬢様。先にお帰りになりませんか」
「戻ってくるかもしれないわ」
「戻られるなら、使いを寄こされます」
もっともな言葉だった。
それでも私は待った。
控室には五本の蝋燭があった。
一本目が消えたとき、王宮の使用人が温かい茶を運んでくれた。
二本目が消えたとき、楽団員たちが裏門から帰っていった。
三本目が消えたとき、暖炉の薪が崩れた。
四本目が消える頃には、窓の外の馬車寄せに一台も残っていなかった。
最後の一本が短くなったとき、年配の侍従長が控室を訪れた。
「ベルトラン侯爵令息から伝言をお預かりしております」
ようやく帰ってくるのだと思い、私は立ち上がった。
「フローラ様がお休みになったため、今夜はそのまま侯爵家の客室に泊まるとのことです。ミレイユ様には、どうか先にお帰りください、と」
「それだけですか」
「はい」
侍従長は気遣わしげに私を見た。
謝罪も、待たせた時間への言葉もなかった。
先に帰ってくれ。
私はとっくに、一人で帰ってよかったのだ。
でも彼は、私が帰らずに待つと知っていた。だから急いで知らせる必要さえ感じなかった。
「馬車を用意いたしましょう」
「お願いします」
答えた直後、最後の蝋燭が消えた。
暗くなった窓に、自分の顔が映る。
怒っている顔でも、泣いている顔でもなかった。ただ、とても疲れていた。
私は七年間、彼の帰る場所であろうとした。
けれど彼が大切にしていたのは私ではない。
何をしても消えない灯り。
何度置き去りにしても、同じ場所で待っている未来。
彼が信じていたのは、私の愛情ではなく、私が動かないことだった。
* * *
屋敷へ着いたとき、夜半を過ぎていた。
二階の窓辺では、青いランプが燃えている。
セラが私の帰宅に間に合うよう、油を足しておいてくれたのだろう。雪の中で見る青い灯りは美しかった。
「お嬢様?」
「あのランプを消して」
セラは一瞬だけ目を見開いた。
「よろしいのですか」
「ええ。今夜から、もう必要ないわ」
自室へ入り、私は自分の手で火を消した。
芯から細い煙が上がる。七年間毎晩見てきた窓辺が暗くなった。
怖くなるかと思っていた。
けれど暗闇の中で聞こえたのは、暖炉の薪がはぜる音と、自分の呼吸だけだった。
机の引き出しを開ける。
奥には、港町リュメルに住む伯母から届いた手紙が三通入っていた。
伯母は亡くなった夫のランプ工房を継いでいる。職人の管理と帳簿を任せられる人を探していて、商学を学んだ私に手伝ってほしいと、春から何度も誘ってくれていた。
返事はいつも同じだった。
『婚約者の務めがございますので、王都を長く離れることはできません』
レオナール様に頼まれたわけではない。
ただ、彼が帰ってきたときに私がいなければ困ると思っていた。
私は新しい便箋を取り出した。
『伯母様。工房のお仕事について、もう一度詳しくお聞かせください。できることなら、私もリュメルへ参りたいと思います』
書き終えると、窓の外が少しだけ明るくなっていた。
夜明けを待たず、私は初めて自分から朝へ向かった。
* * *
レオナール様が訪ねてきたのは、翌日の昼だった。
「昨夜は悪かった。フローラが眠るまで手を握っていてほしいと言うものだから」
応接間へ入った彼は、いつもの椅子へ座り、いつものように手袋を外した。
右手の親指の縫い目がほつれている。
以前の私なら、会話をしながら預かっていた。彼が次に来る日までに、同じ色の糸で繕っておくために。
今日は手を伸ばさなかった。
「フローラ様のお加減はいかがですか」
「朝にはすっかり元気になった。大したことはなかったようだ。君も無事に帰れたんだな」
「はい。王宮の方が馬車を手配してくださいました」
「そうか」
彼はそこで初めて、私が茶を用意していないことに気づいたようだった。
「今日は飲まないのか?」
「お茶なら、ベルを鳴らせば侍女が運びます」
「いや、君がいつも淹れてくれるから」
「婚約解消をお願いしたく、お呼びしました」
レオナール様の手から手袋が落ちた。
「何を言っている?」
「父から正式な書面をお送りします。侯爵家からお預かりしている品も、一週間以内にお返しします」
「待ってくれ。昨夜のことで怒っているのか? 謝る。だが、具合の悪いフローラを放っておくわけにはいかなかった」
「送っていかれたことを責めているのではありません」
「では、何が不満なんだ」
本当に分からないのだ。
私は膝の上で手を重ねた。
「あなたは昨夜、私が控室で待っていると知っていましたね」
「待っていてくれと頼んだからな」
「それなのに、戻らないと決めてから伝言を出すまで、何時間かかりましたか」
彼が口を閉じた。
「私が寒くないか、帰る馬車があるか、一度でも考えましたか」
「王宮なのだから、誰かが何とかするだろう」
「そうですね。誰かが何とかしてくれました。あなたではない誰かが」
彼は傷ついたような顔をした。
「君は昔からしっかりしている。フローラとは違う。彼女は放っておけないんだ」
「しっかりしていれば、放っておいてよいのですか」
「そんな意味ではない」
「私が泣かないから、悲しくないと思いましたか。怒らないから、約束を忘れてもよいと思いましたか。待っているから、待たせても構わないと思いましたか」
一つずつ尋ねるたび、七年間の場面が胸を通り過ぎた。
冷めたスープ。届かなかった誕生日の贈り物。窓辺の青い灯り。帰らなかった冬至祭。
「君がそう感じていたなら、言ってくれればよかった」
「昨日、言いました。三か月前から約束していたと。フローラ様にはご家族も侍女もいると。それでもあなたは、私なら待てると言いました」
「それは、君を信頼していたからだ」
「信頼とは、相手の時間を勝手に使ってよいという意味ではありません」
言葉にすると、不思議なほど心が静かになった。
「私はリュメルへ行きます。伯母の工房で働きます」
「港町へ? いつ戻る」
「戻る予定はありません」
レオナール様は椅子から立ち上がった。
「そんなことを急に決めるな。少し時間を置こう。君は今、感情的になっている」
「私は昨夜、五本の蝋燭が消えるまで考えました」
私も立ち上がる。
「もう、あなたのために待つ時間はありません」
床に落ちた手袋を拾い、彼へ差し出した。
ほつれた糸が親指から垂れている。
「これは……」
「お屋敷の方にお願いしてください」
彼は手袋と私の顔を見比べた。
いつもなら何も言われなくても繕った。だから彼は、糸が切れていたことさえ知らなかったのだろう。
「ミレイユ。君なら、こんなことで七年を捨てたりしないと思っていた」
「七年を捨てるのではありません」
私は扉を開けた。
「これからの時間を、拾いに行くのです」
* * *
港町リュメルでは、王都より早く朝が来るように思えた。
工房の職人たちは日の出とともに炉へ火を入れる。赤く溶けたガラスが竿の先で膨らみ、息を吹き込むたび、丸い光の器になっていく。
私は帳簿を整理し、注文票の形式を整えた。油の仕入れ先を見直し、納期を壁に大きく書き出した。
誰かを待つためではなく、自分が選んだ仕事のために一日を使う。
それだけのことが、毎朝嬉しかった。
伯母は私に、窓辺の小さな机をくれた。
「ここなら港が見えるでしょう。疲れたら船を数えるといいわ」
「仕事中にですか?」
「仕事中だからよ。休む時間も予定に入れないと、働くことまで嫌いになるもの」
伯母はそう言って笑った。
王都を出て一か月ほどたった日、港湾警備隊から大きな注文が入った。
対になる信号灯を十組。濃霧の夜、岸と船が互いの位置を知らせるためのものだという。
注文を持ってきたのは、警備隊長のユリウスだった。
日に焼けた顔に、灰色の目。無口そうに見えたが、注文票には必要な寸法と使用場所が細かく書かれていた。
「納期は二十日後でお願いしたい。ただ、難しいなら先に言ってほしい。船の予定を変える」
「二十日あれば大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
「無理をして、あとで困らないか」
尋ねられて、私は彼の顔を見た。
以前なら、大丈夫だと答えた時点で会話は終わっていた。
「では、余裕を見て二十二日いただけますか」
「分かった。二十二日後の午後に来る」
ユリウスはその場で予定を書き直した。
約束の日、完成した信号灯を並べて待っていると、午後から雪が降り始めた。
王都の冬至祭ほどではないが、海風に運ばれる雪は横殴りで、港の道を白く消していく。
約束の時刻を十分過ぎても、ユリウスは現れなかった。
胸の奥に、古い癖が戻ってくる。
何かあったのだろう。忙しいのだろう。私は待てる。
そう考えた自分に気づき、私は工房の扉を閉める準備を始めた。
「伯母様。今日は帰ります。灯りは明日お渡しします」
「それでいいわ。約束は、あなた一人が守るものではないもの」
外套を着て扉を開けると、雪の向こうから人影が走ってきた。
「ミレイユ!」
ユリウスだった。肩に雪を積もらせ、片手に包みを抱えている。
「すまない。港で荷馬車が立ち往生した。使いを出そうとしたが、工房へ向かうなら自分で来た方が早いと思った」
「待っていれば来たのに」
反射的に言うと、彼は首を横に振った。
「待たせているのは私だ。迎えに来るのも私の役目だろう」
何でもないことのように言われた。
けれど私は、すぐには返事ができなかった。
ユリウスは包みを差し出した。中には、工房の向かいにある店の焼き菓子が入っていた。
「前に、木の実が入ったものが好きだと言っていただろう。寒い中で待たせた詫びになるかは分からないが」
私は一度だけ、伯母との会話の中でそう話した。
覚えていてくれたのだ。
「ありがとうございます」
「灯りの確認は明日でいい。今日は送っていく」
「でも、お仕事が」
「明日の朝に回した。君を送ってから港へ戻ると言ったら、部下に今日は帰れと追い出された」
少し困ったように笑う。
私も笑った。
誰かが予定を変え、自分の方へ歩いてきてくれたことが、こんなに温かいとは知らなかった。
* * *
春の初め、レオナール様が工房を訪れた。
一目で彼だと分かった。
けれど、王都で最後に見たときより少し痩せていた。右手には新しい手袋をしている。親指の縫い目だけ、糸の色がわずかに違っていた。
「話がしたい」
私は伯母に断り、工房の隣にある茶店へ入った。
レオナール様は、自分で注文した茶を一口飲み、顔をしかめた。
「濃すぎましたか」
「いや。君がいつも、私の分だけ薄くしていたのを思い出した」
私は何も答えなかった。
「君がいなくなってから、分かったことがたくさんある」
彼は手袋を見た。
「服のほつれも、忘れていた手紙の返事も、母上への贈り物も、いつも君が気づいてくれていた。青い灯りが消えた夜、初めて帰り道が暗いと思った」
「道には、街灯がございます」
「そういう意味ではない」
苦しそうに言う。
「フローラには、もう必要以上に関わらないと伝えた。あの夜も、帰ろうと思えば帰れたんだ。だが彼女に頼られる方が、君に甘えるより立派なことをしている気になれた」
初めて聞く、正直な言葉だった。
「君は何でもできるから、私が何もしなくても離れないと思っていた。君の強さを褒めながら、それを理由に一番後回しにしていた」
「はい」
「謝っても、足りないことは分かっている。それでも謝りたかった」
レオナール様は深く頭を下げた。
「すまなかった」
七年間、欲しかった言葉だった。
胸は痛んだ。でも、窓辺でランプを守っていた頃のように、彼のために何かをしてあげたいとは思わなかった。
「謝罪は受け取ります」
彼が顔を上げる。
「では、王都へ――」
「戻りません」
その目から希望が消えた。
「もう一度だけ、私を待ってくれないか。今度は私が変わる」
「私は、待つことをやめるためにここへ来たのです」
静かに答えた。
「変わるのでしたら、ご自分のために変わってください。私が戻る日のためではなく」
彼はしばらく黙っていた。
やがて、分かった、と言った。
茶店を出ると、港へ続く坂道の下にユリウスがいた。
彼は工房へ来る予定ではなかった。私たちの姿を見つけても近づかず、道の反対側で立ち止まっている。
私はレオナール様へ別れの挨拶をし、自分から坂を下りた。
「待っていたのですか」
ユリウスへ尋ねる。
「いや」
彼は少し考えてから、正直に言い直した。
「待っていた。ただし、君が来なければ工房まで迎えに行くつもりだった」
「どうして?」
「一緒に見たいものがあるからだ」
港には、完成した信号灯が設置されていた。
岸に一つ。沖へ出る警備船に一つ。
夕暮れが海へ降りると、二つの青い灯りが同時にともった。
片方が待ち続けるための灯りではない。
離れた場所にいる二人が、互いの位置を確かめ、互いに進むための灯りだ。
「綺麗……」
「君が作った色だ」
「工房のみんなで作った色です」
「では、みんなが作った色を、君と見られて嬉しい」
ユリウスはそう言い、私の隣に立った。
急かさず、置き去りにもせず、同じ方角を見ている。
「次の休みに、岬の灯台へ行かないか」
「何時に出発しますか」
「君の都合のいい時間を聞いてから決める」
思わず笑うと、彼も笑った。
「では、朝の九時に工房の前で」
「分かった。九時より前に迎えに来る」
「早すぎたら、待たせますよ」
「そのときは、私が待つ」
海の向こうで、もう一つの灯りが応えるように瞬いた。
私は青い光を見つめながら、明日の予定を考えた。
誰かが帰ってくるのを待つためではない。
自分が行きたい場所へ、自分の足で向かうために。
窓辺の灯りは、もう必要なかった。
これからは、私も歩いて会いに行く。




