凶虫殺生
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
2億、と聞くとみんなはどのような数だとイメージするかな?
億という単位は日常生活ではまずお目にかかることは少ないだろう。1万円札はあれど、1億円札はないからな。天文学的数値のとっかかりかもしれない。
この2億は人間が一日に殺害する生き物のおおよその量らしい。自然にいるものから家畜として飼われているものまで、ひっくるめたカウントだ。
人類は2025年で83億人ほどいるという。これらの命を支えるのに、日に40分の1
の命を使わなくてはいけないわけだ。人間と等価に扱うかどうか、意見が分かれそうな生命も含めてね。
バチ当たりだ、と思う人がいるのも分からなくもない。数字の魔力は恐ろしいから、具体的に見せられると、多かれ少なかれ感情が揺さぶられる。
世界中には人間以外にも多くの生き物がおり、彼らもまた多くの命を屠っているものの、どうも自分たちこそ無法の代表みたく感じてしまう。後ろめたさを覚える。
やろうと思えば、どこまでもやれてしまう生き物ゆえに、はぐくまれた自制心といおうか。無益な殺生を戒めようとする教えは多い。
しかし益が得られる殺生、というのもまた大事にされるべきだと私は思う。
先生の昔の話なのだけど、聞いてみないか?
先生の実家はたいてい、目覚まし時計よりも手を叩く音で起こされる。
とはいっても、先生本人をターゲットとして叩かれるわけじゃない。先生の母親が打ち鳴らす手の音が大きく、それなりに距離をとっていようとも耳の奥へ響きやすいからだ。
母親がなぜ手をやたらと叩くのか? それは俗に「凶虫」をつぶしているためなんだ。
凶虫。字のごとく、ものごとの吉凶のうち、凶事を招くきっかけを持つ虫のことらしい。
あくまできっかけで、100パーセントとは限らない。それとかかわりをもった存在の生命力だとか運気とかによっては免れるという。
あとは、こうしてあらかじめ食い止めてしまうか。母はむかしから、自分のまわりにこの凶虫が現れやすいらしく、こうして対処しているのだとか。
先生は、この凶虫がどのようなものか知らない。目で見る機会がほとんどないからだ。
母親によると、凶虫はカやハエのような羽虫に似た形をして空を飛ぶながら、赤や黄色や黒といった危うげな色を体中に点滅させ続けているのだとか。
ただ、生まれつき相性がいいか、相当に鍛えないと凶虫は眼でとらえるのが難しいらしい。
先生も小さいころに見られるようになる訓練は受けたものの、てんでセンスがないとのことで。続けてもつらいだけだしと、見切りがつけられていた。
――どういう訓練をすればいいかって?
あ~、こいつはちゃんとした人に教えてもらったうえで、見えるっていう人にしか師事しないほうがいいらしいよ? 先生の母親はもともとセンスがいいうえに、祖母からも正式に教わったから、虫探しに関して抜群の正確さをほこるらしい。
手順をちょっと間違えただけでも、かなりやばいことが起こるとのことで、中途半端な指導しか受けきれなかった先生の口からは説明しづらいなあ。家族や知り合いに詳しい人がいたら、その人のほうがいいよ。
と、母親はけっこうな頻度で凶虫をつぶしていたそうだ。カたちを叩くのとほぼ同じ要領だから空振りだってある。そのうえで月に500匹以上は仕留めているとのこと。
凶虫の姿が見えない先生にとっては、こっけいで迷惑なかっこうどまりであって。いい歳こいてよくやるもんだよ、と思ったが。
小学校5年生のときだったか。
クラス替えではじめて一緒になった子に、凶虫が見える子がいたんだよ。
もっとも、普段から公言していたわけじゃなくてね。昼休みに二人で遊んでいるときに分かった。
その日は雨で、遊ぶとしたら体育館。昼休み限定で生徒に開放されていたんだ。このときはたまたま利用者が先生とその子しかおらず、館内の一角にあるバスケットゴールでフリースロー勝負をしていたんだよ。
それが、休みもあと10分というところで。
「あ、虫だ! 動かないで!」
そう聞いたら、てっきりこちらの身体についた虫を叩くものと思うだろう。
しかし彼は先生から離れたまま、その場で手を叩いていく。右へパチン、左へパチン、背伸びしてパチン……それはまるで先生の母親そっくりだった。
――まさか、凶虫? 本当にいたのかよ。
などと先生が思う間に、頭の上あたりで何かがきしむ音がしたかと思うと、バスケットゴールがボードごと落ちてきたんだ。先ほどまでなんともなく、ボールを駕籠で受け止め続けていたボードがね。
先生の立つ位置が、もう半歩ほど後ろだったら直撃を受けていたところだ。
「動かないで! 動くとかえって危ないよ。まだ虫がいる!」
知ったことかと、先生は手近な体育館の出口へ駆け寄ろうとする。
その行く手を遮るタイミングで、天井にいくつも吊り下げられている電灯のひとつが落ちてきた。
これもまた先生の半歩先あたりで床と激突した照明は、ガラスをおおいに飛び散らせ、先生のむき出しになっている両手、両足、顔を何か所もかすめて、血を流させる。
自分の血を見ると、先生は不思議と冷静になれたよ。友達や母親のやっていることが戯れじゃない、と肌で理解できたからかもしれない。
友達はそれから数分間、空を叩き続ける動きを見せた。その間で、先生が逃げようと思った体育館の出口上にある、非常口マーク。そこがひとりでに割れただけじゃなく、風に吹きつけられたかのように先生へ殺到。
先の照明と同じだ。無数のかけらがかすめたけれど大きなけがにつながるところには当たらなかった。
人ひとり生きていくためにも、相当な命が必要ということを先生はそこでなんとなく感じ取れたんだ。




