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第1章 静かな穢れ2

***


 王宮の謁見室が、やけに広く感じられた。12歳になったばかりのアシュレイは、玉座の前に立っている。


 誕生日の祝宴は、もう終わった。いや終わらされた。庭での“あれ”の後、城の空気は一変した。


 王は長く沈黙し、ようやく口を開く。


「アシュレイ」


 父の声は優しかったが、その優しさはどこか距離があるようにアシュレイの耳に落ちた。


「お前は、この国のために生まれた」


 その言葉は、幼い頃から聞いてきた。今日、その意味が明かされる。


「我が国は、古き契約により存続している」


 神との契約。国に降りかかる厄災を、王家の血が引き受ける。


「本来ならば、第一王子が背負うはずだった」


 自分よりも優秀な兄に、王位継承の権利を託すため。だから――。


「お前が選ばれた」


 第三王子という、絶妙な位置。守るには重く、切り捨てるには惜しい――そんな立場。アシュレイは理解する。自分が大切に育てられた理由。壊れないように、長く保つために。


 気づけば喉の奥がひどく乾いていたが、それでも声を出した。


「……私は、贄なのですね」


 掠れたセリフを聞いた王は否定しない。


「国を守る礎だ」


 どんなに言葉を飾っても、本質は同じ。アシュレイはゆっくりと膝を折る。


「承知いたしました」


 声が震えていないことに、王は安堵する。


「神殿の祈祷棟へ移れ。あそこが、お前の新しい居所だ」


 実質それは幽閉だった。王子としてではなく、“器”として生きる場所。


 アシュレイは立ち上がり、すぐに背を向けた。振り返らない。父を見ない。ただ一度だけ、窓の外の月を見る。


(レオンは……知っているのだろうか)


 胸が、少しだけ痛んだ。だがそれも飲み込む。役目を自ら引き受けたのだから。


 同じ夜、神殿。燭台の火が揺れる石造りの間。レオンハルトは、大神官の前に跪いていた。


「王子の発現は確認された」


 淡々とした声を複雑な心境で聞く。


「予定通りだ」


 予定というその言葉が、胸の奥で嫌な音を立てる。


「俺の加護で、殿下の発作は鎮まりました」


 庭で起きた事実の報告をしたら、大神官は静かに頷く。


「それでよい」


 短い返答に、レオンは唖然とした。


「……よい、とは」


 レオンは、訝しく思いながら顔を上げる。


「俺は殿下の穢れを祓うために生まれたのでは?」

 

 疑問を口したレオンに、大神官は静かに告げる。


「お前の加護は浄化ではない」


 その言葉に、レオンの心臓が強く打つ。


「王子が壊れぬよう、調整するための力だ」


 調整という機械的な表現に、空気が冷える。


「穢れを祓えば、契約は成立せぬ。国は守られぬ」


 レオンの喉が一気に乾く。


「では……殿下は」

「器だ」


 その言葉は、あまりにもあっさりしていた。


「器として長く使えるよう、お前が側にいる」


 どうにも理解が追いつかない。


「俺は……殿下を守るために」

「違う」


 大神官は大きな声で言い切る。


「維持するためだ」


 静かな衝撃にレオンの胸の奥で、何かがひび割れる。


「けして器に情を移すな」


 淡々と告げられる。それは命令ではなく、戒めだった。


「あれは人ではない。国の礎だ」


 レオンの拳が、わずかに震える。庭で見たあの笑顔が脳裏に浮かんだ。焼ける手を握り返した小さな温もりが、手のひらの中に残っている。


「……承知、いたしました」


 口ではそう答えるが、心まで納得できなかった。


 月が神殿の窓から差し込む。同じ頃、祈祷棟の廊下も月が明るく照らした。祈祷棟の最上階へ向かうアシュレイの背中や、大神官の前で頭を垂れるレオンの肩にも。


 二人は、同じ夜に知った。自分が“選ばれた理由”。アシュレイは器として。レオンは調整装置として。


 それでもあの庭で見た笑顔は、偽りではなかった。鮮やかな記憶だけが、レオンの胸に残る。


 それぞれの心に、決意が静かに灯った夜だった。

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