第1章 静かな穢れ2
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王宮の謁見室が、やけに広く感じられた。12歳になったばかりのアシュレイは、玉座の前に立っている。
誕生日の祝宴は、もう終わった。いや終わらされた。庭での“あれ”の後、城の空気は一変した。
王は長く沈黙し、ようやく口を開く。
「アシュレイ」
父の声は優しかったが、その優しさはどこか距離があるようにアシュレイの耳に落ちた。
「お前は、この国のために生まれた」
その言葉は、幼い頃から聞いてきた。今日、その意味が明かされる。
「我が国は、古き契約により存続している」
神との契約。国に降りかかる厄災を、王家の血が引き受ける。
「本来ならば、第一王子が背負うはずだった」
自分よりも優秀な兄に、王位継承の権利を託すため。だから――。
「お前が選ばれた」
第三王子という、絶妙な位置。守るには重く、切り捨てるには惜しい――そんな立場。アシュレイは理解する。自分が大切に育てられた理由。壊れないように、長く保つために。
気づけば喉の奥がひどく乾いていたが、それでも声を出した。
「……私は、贄なのですね」
掠れたセリフを聞いた王は否定しない。
「国を守る礎だ」
どんなに言葉を飾っても、本質は同じ。アシュレイはゆっくりと膝を折る。
「承知いたしました」
声が震えていないことに、王は安堵する。
「神殿の祈祷棟へ移れ。あそこが、お前の新しい居所だ」
実質それは幽閉だった。王子としてではなく、“器”として生きる場所。
アシュレイは立ち上がり、すぐに背を向けた。振り返らない。父を見ない。ただ一度だけ、窓の外の月を見る。
(レオンは……知っているのだろうか)
胸が、少しだけ痛んだ。だがそれも飲み込む。役目を自ら引き受けたのだから。
同じ夜、神殿。燭台の火が揺れる石造りの間。レオンハルトは、大神官の前に跪いていた。
「王子の発現は確認された」
淡々とした声を複雑な心境で聞く。
「予定通りだ」
予定というその言葉が、胸の奥で嫌な音を立てる。
「俺の加護で、殿下の発作は鎮まりました」
庭で起きた事実の報告をしたら、大神官は静かに頷く。
「それでよい」
短い返答に、レオンは唖然とした。
「……よい、とは」
レオンは、訝しく思いながら顔を上げる。
「俺は殿下の穢れを祓うために生まれたのでは?」
疑問を口したレオンに、大神官は静かに告げる。
「お前の加護は浄化ではない」
その言葉に、レオンの心臓が強く打つ。
「王子が壊れぬよう、調整するための力だ」
調整という機械的な表現に、空気が冷える。
「穢れを祓えば、契約は成立せぬ。国は守られぬ」
レオンの喉が一気に乾く。
「では……殿下は」
「器だ」
その言葉は、あまりにもあっさりしていた。
「器として長く使えるよう、お前が側にいる」
どうにも理解が追いつかない。
「俺は……殿下を守るために」
「違う」
大神官は大きな声で言い切る。
「維持するためだ」
静かな衝撃にレオンの胸の奥で、何かがひび割れる。
「けして器に情を移すな」
淡々と告げられる。それは命令ではなく、戒めだった。
「あれは人ではない。国の礎だ」
レオンの拳が、わずかに震える。庭で見たあの笑顔が脳裏に浮かんだ。焼ける手を握り返した小さな温もりが、手のひらの中に残っている。
「……承知、いたしました」
口ではそう答えるが、心まで納得できなかった。
月が神殿の窓から差し込む。同じ頃、祈祷棟の廊下も月が明るく照らした。祈祷棟の最上階へ向かうアシュレイの背中や、大神官の前で頭を垂れるレオンの肩にも。
二人は、同じ夜に知った。自分が“選ばれた理由”。アシュレイは器として。レオンは調整装置として。
それでもあの庭で見た笑顔は、偽りではなかった。鮮やかな記憶だけが、レオンの胸に残る。
それぞれの心に、決意が静かに灯った夜だった。




