第5章 奪われた心、選んだ力2
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その頃、訓練場でレオンは剣を振っていた。一太刀ごとに、寸分の狂いもない。軌道は正確、呼吸も一定――全ては完璧だった。感情を削がれたことで、判断は澄み切っている。迷いもない。それでも……。
「……くっ」
不意に、動きが止まった。力が抜け落ちて膝が落ち、石床に鈍い音が響いた。
理由が分からない。ただ、胸が締め付けられる。
レオンは眉ひとつ動かさず、目を閉じる。王太子の穢れを探る。波形は安定、異常なし。それでも、この痛みは消えない。
「……なぜだ」
声は平坦なまま。だが呼吸がわずかに乱れる。そのせいで、剣を握る手が震えた。力を込めて抑え込むが、どうしても震えは止まらない。むしろ、内側から広がる。
その瞬間――断片が浮かんだ。
夜の回廊、触れた体温。掠れた声が頭の中に響く。
《俺は、あなたを求めている》
思考が一瞬、空白になる。
あり得ない。記録にない。自分は否定したはずだ。それなのに、身体が覚えている。
「……不具合、か」
呟きはどこまでも無機質なのに、胸の奥が焼ける。感情はない。むしろ、綺麗に削がれている。それでもなぜか痛む。
地下水盤が、微細な揺れを拾う。
「聖騎士側、ノイズ発生。原因不明」
抑圧された振幅が、行き場を失って内側で軋む。
レオンは、ゆっくりと立ち上がる。姿勢は崩れない。視線も定まっている。不思議と足元だけが、わずかに不確かだった。
心の中は空洞――空洞だからこそ、残響が消えない。名前を失った感情が、痛みとして残っている。
夕刻。塔の上で、アシュレイは神殿を見下ろしていた。内なる穢れは静かだった。その静けさは抑制ではない――制御された圧に変化する。
黒が、ゆっくりと広がる。無差別ではない。選ばれた方向へ、わずかに傾く。
「王太子の穢れ、指向性あり!」
神官の声が緊張を帯びた瞬間、老神官の表情が歪んだ。これは偶発ではない、明確な意思を感じ取った。
同時刻、レオンが再び膝を折った。不意に呼吸が乱れたことで、胸を押さえる。理由が分からない。感情は存在しないはずなのに。
失った何かだけが、確かにある。それが時間とともに、痛みは増幅していった。
アシュレイは目を閉じる。遠くにいるはずの気配を確かに感じて、穢れが微かに反応する。
――レオンの心と共鳴する。彼の中にある感情が削がれても、繋がりは断ち切れていない。
「待っていろ」
低く、静かに呟いた。
「必ず、お前を取り戻す」
その言葉と同時に、穢れの質が変わる。守るための力ではない――奪い返すための力へ。
神殿は、ようやく気づき始める。感情を消せば安定する――その前提が誤りだったことに。
王太子は怒りを選んだ。聖騎士は空洞のまま、崩壊へ向かっている。
これは成功ではない。静かに火が走る導火線。戦いは、すでに始まっていた。




