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第5章 奪われた心、選んだ力2

***


 その頃、訓練場でレオンは剣を振っていた。一太刀ごとに、寸分の狂いもない。軌道は正確、呼吸も一定――全ては完璧だった。感情を削がれたことで、判断は澄み切っている。迷いもない。それでも……。


「……くっ」


 不意に、動きが止まった。力が抜け落ちて膝が落ち、石床に鈍い音が響いた。


 理由が分からない。ただ、胸が締め付けられる。


 レオンは眉ひとつ動かさず、目を閉じる。王太子の穢れを探る。波形は安定、異常なし。それでも、この痛みは消えない。


「……なぜだ」


 声は平坦なまま。だが呼吸がわずかに乱れる。そのせいで、剣を握る手が震えた。力を込めて抑え込むが、どうしても震えは止まらない。むしろ、内側から広がる。


 その瞬間――断片が浮かんだ。


 夜の回廊、触れた体温。掠れた声が頭の中に響く。


《俺は、あなたを求めている》


 思考が一瞬、空白になる。


 あり得ない。記録にない。自分は否定したはずだ。それなのに、身体が覚えている。


「……不具合、か」


 呟きはどこまでも無機質なのに、胸の奥が焼ける。感情はない。むしろ、綺麗に削がれている。それでもなぜか痛む。


 地下水盤が、微細な揺れを拾う。


「聖騎士側、ノイズ発生。原因不明」


 抑圧された振幅が、行き場を失って内側で軋む。


 レオンは、ゆっくりと立ち上がる。姿勢は崩れない。視線も定まっている。不思議と足元だけが、わずかに不確かだった。


 心の中は空洞――空洞だからこそ、残響が消えない。名前を失った感情が、痛みとして残っている。


 夕刻。塔の上で、アシュレイは神殿を見下ろしていた。内なる穢れは静かだった。その静けさは抑制ではない――制御された圧に変化する。


 黒が、ゆっくりと広がる。無差別ではない。選ばれた方向へ、わずかに傾く。


「王太子の穢れ、指向性あり!」


 神官の声が緊張を帯びた瞬間、老神官の表情が歪んだ。これは偶発ではない、明確な意思を感じ取った。


 同時刻、レオンが再び膝を折った。不意に呼吸が乱れたことで、胸を押さえる。理由が分からない。感情は存在しないはずなのに。


 失った何かだけが、確かにある。それが時間とともに、痛みは増幅していった。


 アシュレイは目を閉じる。遠くにいるはずの気配を確かに感じて、穢れが微かに反応する。


 ――レオンの心と共鳴する。彼の中にある感情が削がれても、繋がりは断ち切れていない。


「待っていろ」


 低く、静かに呟いた。


「必ず、お前を取り戻す」


 その言葉と同時に、穢れの質が変わる。守るための力ではない――奪い返すための力へ。


 神殿は、ようやく気づき始める。感情を消せば安定する――その前提が誤りだったことに。


 王太子は怒りを選んだ。聖騎士は空洞のまま、崩壊へ向かっている。


 これは成功ではない。静かに火が走る導火線。戦いは、すでに始まっていた。

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