第4章 求めるということ 2
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地下牢の拘束が解かれた日から、レオンは何かが変わった。表面は変わらない。だがアシュレイの存在を考えるだけで、愛おしさが胸の中に沸き起こる。
「私が、あなたを求めた」
その言葉が、どうしても頭から離れなかった。あれは穢れを落ち着けるために、告げられたのではなかった。しかも数値にも出なかった。つまり――あれは穢れのための言葉ではなかった。
次の接触時間、聞き慣れた鐘が鳴る。規定通りに抱き締めると、穢れはいつも通り安定する。水盤は静かなのに、レオンの呼吸が僅かに深まった。密着すると、アシュレイの髪が頬に触れる。そこから花のような甘い匂いがした。それだけで、呼吸が乱れる。
今までは“殿下の状態”しか見ていなかった。今は、触れた唇の柔らかさを思い出してしまう。腕の中の体温を守る対象ではなく、愛おしいと強く感じて胸が疼いた。
聖騎士は私情を持つな、守るのは国ということを幼い頃から叩き込まれた。そこに立つのは王太子であり国の贄であるのに、守りたいのは心から愛する人に変わってしまった。
「……殿下」
声が、いつもより少し低くなる。不意にアシュレイが顔を上げた。
「どうした」
その無防備な視線に、胸がぎゅっと締め付けられる。それだけで穢れが一瞬、わずかに揺れた。ほんの微細な波形、それは神殿は気づかない程度の揺らぎになったが、レオンは分かる――これは自分がアシュレイを想う、愛の揺らぎだということを。
「残り2分」
外からの声で、無情にも時間が削られる。いつもなら、ここで冷静に離れる準備をする。なのに今、離れたくないと初めて思った。任務や義務じゃない。ただこの温度を手放したくない。愛おしい存在を、ずっと抱きしめていたいと切に願った。
そう思った瞬間、レオンの腕がほんの僅かに強まる。抱擁の圧が変わったことに、アシュレイが息を呑む。その瞬間――穢れが揺れた。地下水盤に、小さな波紋が走る。
観測室がざわめいた。
「微振動を検知」
神官たちが顔を見合わせる。
「原因不明」
レオンは気づく。これは穢れの暴走ではない、自分の感情だということを。守るための抱擁ではなく、求める抱擁に変わった。その瞬間、穢れが反応した。
「……俺は」
喉が干上がるように焼ける。穢れを落ち着かせようと考え、思ってもいないことを口にする。
「俺は、殿下を安定させるためにいる」
言い聞かせるような言葉だった。だがアシュレイは静かに首を振る。
「違うだろう」
視線が絡む。それだけで、胸が痛いくらいに軋む。
「あなたは、私を守るためにいる」
告げられたその刹那、終了の鐘が鳴る。
「終了」
レオンは離れなければならなのに、動けない。一瞬だけ、水盤の波形が大きく揺れる。
神官が叫ぶ。
「感情波動を検知! 聖騎士側からの変調あり!」
レオンの背筋がぶるりと震えた。自分が穢れに影響を与えたことを、ひしひしと感じる。
「……すまない」
震える腕で、名残惜しげにアシュレイから離れた。
《聖騎士の精神揺らぎ、穢れへ干渉の兆候》
神殿は記録した。聖騎士は、壁でなければならない。感情を持てば媒介になる。
夜になりレオンは一人、剣を握る。刃の切っ先が震える。そんなことは以前ならなかった。胸が熱くて、焦がすような甘い感情に支配されるせいで、剣に迷いが生じる。
「俺は……」
気づいてしまった。アシュレイが欲しい。彼に触れたい――愛おしい。そのすべてが、聖騎士である心の鎧を内側から溶かしていく。
そして神殿は、結論に近づく――聖騎士は安定装置ではない。感情を持った瞬間、危険因子になったことで排除対象に昇格したことを。




