第4章 求めるということ
「聖騎士レオンハルト、接触を開始してください」
合図の鐘が鳴る。規定通りの時間、規定通りの距離。そして規定通りの抱擁。
レオンの腕に包まれると、穢れは嘘のように静まっていく。鎧越しの体温が、アシュレイの胸にゆっくり染み込んでいった。
(――きっと、地下水盤の波形も安定しているはずだ)
外では神官が記録を取っている――それは、いつも通りの変わらない毎日。だが今日は違った。アシュレイはレオンの胸元に額を預けたまま、しばらく動かなかった。穏やかな鼓動を聞きながら、ぽつりと呟く。
「……私がレオンを求めたら、どうなると思う」
レオンの腕が、ほんの僅かに強張る。それは驚きではなく、甘い予感に満ちた空気を肌で感じた。
「求める?」
レオンは告げられた言葉の意味が分からないふりをしながらも、心の奥で何かがざわめく。
(接触は義務だ、必要だから触れている。殿下の中にある穢れが安定するために。それ以外に理由は――?)
そこで、レオンの思考が止まる。
アシュレイがおもむろに顔を上げた。瞳は澄んでいて、優しく輝いている。彼の中にある穢れは、不思議と一切揺れていない。
「安定のためではなく国のためでもなく、私があなたに触れたいと望んだら?」
レオンの喉が鳴る。返答の言葉が出ない。でも胸が高鳴り、頰が熱くなる。
鐘の残り時間が刻まれていく中、アシュレイが告げた言葉により、二人の距離はいつも以上に甘く親密に変わっていく。
「……それは」
任務ではない。制御でもない。依存でもない。ただ、純粋な想いをレオンは感じ取った。
アシュレイが、さらに一歩踏み込む。抱擁の距離をほんの少し変えて、レオンに密着した。体温が混じり合い、甘い香りがふわりと広がる。
「今は、規定時間だ」
そう言って小さく笑う。アシュレイの笑顔は、柔らかくレオンの心を溶かす。
「だから、誰も止めない」
そのセリフに、レオンの心臓が強く打つ。アシュレイの穢れは相変わらず安定している。きっと水盤も変化はない。だが彼の中で、何かが反応した。
「殿下――」
呼びかけた瞬間、アシュレイは背伸びをして顔が近づき、唇が触れた。驚きで息が止まるほど、ほんの一瞬。唇が触れるだけの接触に息が絡み、甘い余韻が残る。
アシュレイの唇に触れられている間、時間が止まった。世界が二人だけのように、温かく包まれる。地下水盤、波形――変化なし。減衰率、通常範囲。
神官の記録は淡々と続く。だがレオンの心だけが、甘く揺れる。レオンの腕の中で、アシュレイは少しも離れようとしなかった。
「……私が求めた」
アシュレイは離れず、耳元で甘く囁く。声は蜜のように甘い。
「あなたを」
静かな宣言にレオンの思考が白くなり、鎧の中が熱くたぎった。
今まで自分は選んでいた。背負うと決めた。責任を負うと誓った。それは守る側の論理だ。求められる側の自覚は、全くなかった。でも今、それが甘い喜びに変わる。
胸の奥で熱が灯る。穢れではない。もっと個人的な衝動に、体が突き動かされそうになる。
「……それは、ずるい」
掠れた声を出すレオンに、アシュレイが瞳を細めて優しく微笑む。
「何がだ」
「俺は――」
言葉が詰まる。任務と感情の境界が瞬く間に崩れ、隠微な流れに変わっていく。
「俺は聖騎士で、殿下を安定させるためにいる、のに……」
そう思ってきた。そう定義してきた。だが今、違う形で求められた。一人の男として心が甘く疼く。
「残り一分」
外から声が響くことで、現実を突きつけられた。なのにレオンの中は、もう元には戻らない。甘い余韻が色濃く残る。
「……俺が殿下を求めたら」
低く震える声で問い返したら、アシュレイの瞳が物欲しげに揺れる。ほんの一瞬、初めて王太子ではなく、ただの恋する人になる。
アシュレイが返事をする前に、合図の鐘が鳴った。
「終了」
規定時間だからこそ、すぐさま腕を解かなければならない。だがレオンは、離れなかった。ほんの一拍だけ、自分の意志で距離を保つ。甘い温もりを惜しむように。
その一拍を、アシュレイは感じ取る。嬉しさに頰を赤らめ、俯きながら微笑む。
穢れは静かなままなのに、明らかに空気は変わった。ふたりだけの甘い空気に。
レオンがゆっくりと離れる。その瞳は以前と違う。覚悟だけではない。アシュレイを求める欲が混ざっていた。
外で神官が報告する。
「異常なし、波形安定」
彼らは知らない。変化は数値に出ないことを――心の甘い変化を。
レオンは静かに頭を下げながら、心の奥ではっきりと理解した。もう、自分は“装置”ではいられない。求められた。そして――自分も求めてしまった。




